-NO63~72-

------------ソ連検察官による731部隊関係者の尋問要求-------------

 下記は、「ソ連検察官による何人かの日本人に対する尋問要求」に関わる文書である。この文書を受け取る以前のアメリカによる731部隊の調査報告書(サンダース・レポートおよびトンプソンレポート)には、人体実験や中国への生物兵器による攻撃については、触れられておらず、解明されていなかったのである。このソ連の尋問要求が出されて以降、アメリカの関係機関の間でさまざまな文書のやり取りがあり、右往左往したことが「標的・イシイ(731部隊と米軍諜報活動)」常石敬一(大月書店)の資料からうかがい知ることができる。資料の一部を抜粋する。
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主題──尋問要求
発信──連合国軍総司令部 国際検察局
あて先──GーⅡ
                                                         日付──1947年1月9日
注一、マッカイル中佐が話し合った結果、ソ連側の国際検察局から調査部を通じてGーⅡに、同封の覚え書が送付された。覚え書についての説明は不要である。覚え書に対する適切な措置について当部に対して助言を求める。
同封書類一通(極東国際軍事裁判 ソ連よりの覚え書)。

      覚え書

あて先──ウィロビー少将、GーⅡ部長、連合国軍総司令部
経由──国際検察局調査部
発信人──ヴァシリエフ少将、極東国際軍事裁判所ソ連次席検察官
 国際検察局のソ連代表部には、関東軍が細菌戦の準備をしていたことを示す材料がある。
 これら材料を証拠として軍事裁判所にだすには、関東軍防疫給水部すなわち満州731部隊でかつて活動していた人物について数多くの補充的尋問が必要である。
 それら人物は、
 一、石井軍医少将、防疫給水部第731部隊長
 二、菊池斉大佐、防疫給水部第731部隊第一部長
 三、太田大佐、防疫給水部第731部隊第四部長(かつて第二部長を務めていた)
 これらの人物は、彼らが戦争に細菌を使用する目的で細菌の研究を行っていたこと、またこれらの実験の結果として多くの人びとを殺していることについて証言することとなる。この調査が完了し、材料が裁判所に提出される前に、本調査に関する情報が拡散することのないよう予備的な措置を講じるのは妥当なことと信じる。すなわちこれら証人から、この調査についてだれにも言わないという約束をとりつけ、予備的な尋問は陸軍省の建物内では行わない、ということだ。
 前述のことに関連して、1947年1月13日に前述の尋問ができるよう国際検察局を通じて助力していただきたくお願いする。尋問はとくにこの目的のために用意された場所で、本調査について口外しないという約束をとりつけたうえで行われる。
 このほかに当方は貴下に対し、国際検察局のソ連代表部に防疫給水部第731部隊元第二部長村上隆中佐、および同部隊元総務部長中留金蔵の所在について文書で知らせるよう要求する。これら文書は彼らを裁判にかけるために必要である。
                                                              ヴァシリエフ少将
                                                 極東国際軍事裁判所ソ連次席検察官
                                                                 〔R・G331〕
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極東軍総司令部
参謀部、情報局
                                                            1947年1月17日 
主題──日本の細菌戦実験
あて先──極東軍、GーⅡ参謀副長
 一、以下に報告する言明は東京のソ連検察局のメンバー、ソ連軍のスミルノフ大佐から得られたものである。本情報は陸軍
  省情報局の日本部から陸軍省に生物戦の補遺レポートとして送付するよう勧告する。
 二、前記主題についてのソ連の関心がGーⅡに知らされたのは1947年1月7日国際検察局のワルドーフ氏が、ソ連から生
  物戦についての尋問のため日本人の引き渡しを求められている、と述べたときである。GーⅡから国際検察局に、ソ連に対
  して要求の理由を覚え書きとして提出させるよう指示した。その結果が添付の覚え書(同封書類一)である。そのときソ連
  に、マッカイル中佐がこの問題について彼らと会談する用意がある、と告げ、会合は1947年1月15日9時から東京の陸
  軍省で行うことになった。
 三、出席者は以下の通りである。
    R・P・マッカイル中佐 極東軍、GーⅡ
    O・V・ケラー少佐 化学戦将校
    A・J・ヤヴロツキー 極東軍、GーⅡ、通訳
    D・L・ワルドーフ 連合軍総司令部、国際検察局
    レオン・N・スミルノフ大佐
    ニコライ・A・バゼンコ少佐 ソ連軍将校
    アレックス・N・クニフ ソ連通訳
 四、マッカイル中佐はスミルノフ大佐に、ソ連がこの問題で尋問を必要とすることになった材料あるいは情報の説明を求め
  た。スミルノフ大佐はクニフ氏を通じて次ぎのように述べた。
    「終戦からまもなく満州第731部隊第四部の川島将軍と彼の補佐役柄沢少佐を尋問した。彼らは次のように証言した。
   すなわち日本軍は細菌戦の大規模な研究を平房の研究所、および安達の野外実験場で、満州人や中国人馬賊を実験
   材料として使って行っていた。実験の結果、合計2000人が死亡した。平房には発疹チフスを媒介するノミを大量生産す
   る装置やコレラ菌や発疹チフスの病原体を大量に培養するベルトコンベヤー・システムが2基あった。ノミは3ヶ月で45
   キログラム生産された。コンベヤー1基で1ヶ月に、コレラなら140キログラム、発疹チフスなら200キログラムの病原体
   を培養した。」
    「発疹チフスを媒介するノミの生産は次のようにして行われた。発疹チフスに感染させたネズミを4500個の特別な缶の
   中に入れ、ノミに刺させる。しばらくして、缶の中の電灯をつけ、感染したノミをネズミから引き離し、着脱できるノミ容器に
   追い込む。ノミを大量に集める。ネズミを刺してから7時間後には、刺したノミは感染している。」
    「平房では人間は監房にいれられ、研究室で培養される各種培養菌の効力についてのデータを得るため、いろいろな
   やり方で感染させられた。人間はまた囚人護送車で安達に送られ、杭に縛りつけられ、実戦におけて細菌を散布する
   方法、主に飛行機からの爆弾投下あるいは噴霧によって細菌を浴びせられた。犠牲者は平房に戻され、観察された。」
    「前記情報はソ連にとってあまりにも途方もないことだったので、ソ連の細菌戦専門家が呼ばれた。彼らは再尋問を
   行い、平房の廃墟を調べ、この情報を確認した。(平房施設は日本軍が破壊した。それがどんな具合かについてはっき
   りさせるため、マッカイル中佐は次のように質問した。問──大佐は『平房の廃墟』と言われた。それは爆撃によるのか、
   それとも戦闘の結果か。)」
    「平房の施設は、日本軍の手によって、証拠隠滅のために完全に破壊された。すべての文書が破棄され、わが方の
   専門家は廃墟を写真に撮ろうかと思い悩むこともないほどひどい破壊状況だった。」
    「日本軍は満州人や中国人2000人を殺すという恐るべき犯罪を行い、それには石井将軍、菊池大佐、それに太田大
   佐が関与している。(ソ連側が尋問を望んでいる日本人の名前である。) ノミや細菌の大量生産も非常に重要である。
   ニュールンベルク裁判でドイツの専門家は、ノミを使って発疹チフスの病原体を蔓延させることは細菌戦の方法として最
   高のものと考えられる、と証言している。日本はこの技巧を保有しているように思える。この情報を入手することはソ連に
   とってだけでなく、アメリカにとっても意味があるだろう。これら3人の日本人の尋問を、戦犯となることは免れないという
   ことは言わずに行い、彼らに尋問について口外しないと誓わせることを要求する。」
 五、会談で得られる情報は、すでにアメリカが知っていること、あるいは、これまでの調査官が疑っていたことと一致する。
  生産量についての数字は新しいものだ。人体実験は疑っていた。平房の施設が文書ともども完全に破壊されたという情
  報は、これまでに得られた情報と一致している。以下の秘密レポートをみよ。
         a、〔サンダース・レポート〕
         b、〔トンプソン・レポート〕 
                                                         ロバート・P・マッカイル
                                                               中佐、歩兵
                                                              〔R・G・331〕
 

--------731部隊に関するアメリカのトップシークレット-----------

 下記は「ソ連検察官による何人かの日本人に対する尋問要求」が出されて以降のアメリカ軍のやり取りの一部である。(連続したものではなく特徴的な文書のみを取り上げている)
「標的・イシイ(731部隊と米軍諜報活動)」常石敬一(大月書店)からの抜粋である。(注目したい文を抜粋者が赤字としている)
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連合国軍総司令部

                                         APO500 
                                     1947年3月27日
    参謀長への要約報告
 一、本文書はソ連による旧日本軍の細菌戦専門家の引き渡し要求に関してのものだ。
 二、アメリカは優先権をもっており、その人物の尋問はすでに行い、彼のもたらした情報は米軍化学戦部
   隊の手にあり、最高機密〔トップシークレット〕となっている。 
 三、
ソ連はこの人物の確保を何度か試みている。我われはかくまってきた。ソ連は日本人専門家が戦犯で
   あると主張し、自分の主張を通そうとしている。
 四、統合参謀本部の指示は、訴追はさせず、連合国軍総司令部の監督下で尋問させよ、それは極東軍にい
   ない専門家の助けがいるかもしれない、である。
 五、覚え書は次の通り進言する。
  a、陸軍省に専門家二人を送るよう電報を打つ。
  b、ソ連に対し日本人専門家の引き渡しを拒否する手紙をだす。
  c、統合参謀本部が承認した尋問へ向けて動くよう国際検察局に紹介状をだす。
                                         C・A・W
                                       〔R・G331〕
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                                      1947年4月1日
発信──陸軍省、ワシントン
あて先──極東軍最高司令官
番号──W95265
 1947年3月29日のC51310について
ノバート・H・フェル博士を尋問を行う人物として化学戦部隊〔CWS〕は選んだ。尋問者は1人で十分と考えられる。貴下がとくに2人の必要性を示せば別だが。フェル博士は、4月5日にワシントンを出発する予定である。
                                          サインなし
                                        〔R・G331〕
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99

                                         APO500
                                     1947年4月10日
高級副官部〔AG〕000・5(ソ連)
覚え書、あて先──K・ドレヴヤンコ中将、対日理事会、ソ連代表委員

   主題──覚え書1087,1947年3月7日

 一、〔省略〕
 二、
貴下の覚え書1087の第3節について。日本の石井将軍および太田大佐をソ連に引き渡すことは
   できない。
というのは中国あるいは満州において日本が行ったとされる行為について、ソ連には戦
   犯訴追の明確な権利がないように思えるからである。
 三、貴下が第3節で言及している人物についてはすでに連合国軍総司令部の国際検察局とも連絡をとり、
   極東国際軍事裁判所のソ連の次席検察官と協力しての尋問を考慮中である。しかし共同尋問は戦犯
   調査ではないし、また今回の尋問許可は将来の要求の先例となるものではないことに留意すべきで
   ある。
                                    最高司令官に代わって
                                    ジョン・B・クーレイ
                                      大佐、高級副官部
                                          高級副官
                                       〔R・G331〕
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108

SFE188/2
1947年8月1日
国務・陸軍・海軍3省調整委員会極東小委員会

   ソ連検察官による何人かの日本人に対する尋問

参考資料──SWNCC351/2/D 事務局員による覚え書

 一、同封書類は参考資料への回答として作業グループから3省調整委員会に提出されたレポートである
   が、小委員会での審議のため回覧する
 以下省略

同封書類

    ソ連検察官による何人かの日本人に対する尋問

      問題
 一、1947年5月6日付の極東軍最高司令官の電報C52423に対する回答作成。同電報は、日本の
   生物戦情報を情報チャンネル内に留め置き、そうした資料を「戦犯」の証拠として使用しないよう進
   言している。
     問題となっている事実
 二、付録「A」をみよ。
     考察
 三、付録「B」をみよ。
 四、次のように結論された──
  a、日本の生物戦研究の情報はアメリカの生物戦研究プログラムにとって大きな価値があるだろう。
  b、入手したデータは付録「A」の3節にその概要が示されているが、現在のところ石井および彼の
    協力者を戦犯として訴追するに足る十分な証拠とはならないように思える。
  c、
アメリカにとって日本の生物戦データの価値は国家の安全に非常に重要で、「戦犯」訴追よりは
    るかに重要である。

  d、
国家の安全のためには、日本の生物戦専門家を「戦犯」裁判にかけて、その情報を他国が入手で
    きるようにすることは、得策ではない。

  e、日本人から得られた生物戦の情報は情報チャンネルに留め置くべきであり「戦犯」の証拠として
    使用すべきでない。
      勧告
 五、次のように勧告する──
  a、3省調整委員会は前記結論を承認せよ。
  b、3省調整委員会の承認後、統合参謀本部は、軍事的な観点から問題がなければ、付録「D」のメッ
    セージを極東軍最高司令官に送付することとする。
  c、本問題について今後の通信はすべて最高機密〔トップシークレット〕に指定すること。

付録「A」

      問題となっている事実
 一、第1節で引用されている電報の第2部は、
日本の生物戦の権威、石井将軍は、彼自身、上官および部
   下に対して、文書によって「戦犯」免責が与えられるなら、日本の生物戦プログラムを詳細に述べよ
   う、と言っている
。石井と彼の協力者たちは現在まで文書による免責がなくてもそうした情報を任意
   に提出してきたし、またしつつある。
 二、日本の細菌戦専門家19人が人間を使った生物戦研究について60ページのレポートを書いている。
   9年間にわたる穀物の破壊についての20ページのレポートも作成された。獣医学分野の研究も10
   人の日本人科学者によるレポートが書かれつつある。日本の病理学者1人が、生物戦の実験に使われ
   た人間および動物の解剖から得られた顕微鏡用標本8000枚の顕微鏡写真の収集と作成を行ってい
   る。石井将軍は生物戦の全分野についての20年にわたる彼の経験をまとめている。
 三、(以下抜粋者が省略)

付録「B」

      考察
 一、日本の生物戦情報の価値
  a、石井および彼の仲間からすでに得た情報は、アメリカの生物戦研究のいくつかの面を確認し、補足
    しそして補充するうえで大きな価値があることがわかったし、また、将来の新しい研究を示唆して
    いるようである。
  b、
この日本の情報は、生物兵器用病原体の人体への直接効果をみるための科学的にコントロールされ
    た実験から得られた唯一のデータである。
これまで生物兵器用病原体の人体への効果は動物実験の
    データからみつもるしかなかった。
    そうしたみつもりは不確実であり、一定のやり方での人体実験から得られる結果と比べれば、はる
    かに不完全なものである。
  c、
人体実験の結果のほかに、日本の動物および穀物に対しての実験からも非常に重要なデータが得ら
    れた
。この生物戦情報が任意に提出されていることは、他の分野でももっと新しい情報が得られる
    ことの前ぶれかもしれない。
 二、「戦犯」訴追を避けることの利点
  a、ソ連は日本の技術情報のごく一部しか入手しておらず、また「戦犯」裁判はそうしたデータを各国
    に完全に公表することになるため、そうした公表はアメリカの防衛および安全保障の観点から避け
    るべきである、と思われる。
また石井と彼の協力者を「戦犯」訴追することは、新たな技術的およ
    び科学的な情報の流れを止めることになる、と信じられる。

  b、この情報を「戦犯」の証拠に使うことは日本占領アメリカ軍への日本の協力を非常にそこなうこと
    になる、と思われる。
  c、実際上、石井と彼の協力者に対して、日本の生物戦についての彼らからの情報は情報チャンネルに
    留め置かれると約束することは、本政府は生物戦にかかわり、そこで戦争犯罪を行った人物を訴追
    しない、と約束するのと同じことである。こうした了解はアメリカ国民の安全にとって、石井と彼
    の協力者がこれまでもたらし、また今後もたらし続けるであろう情報ゆえに、大きな価値をもつで
    あろう。しかし、次のことに留意しておく必要がある。すなわち奉天地区でのソ連の独自の調査
    は、アメリカ人捕虜が生物戦の実験に使われていて、それら実験の結果として命を落としていた証
    拠をつかむかもしれない。さらにそうした証拠をソ連検察官が目下の東京裁判の日本のA級戦犯の
    何人かへの反対尋問の際に、とくに石井生物戦部隊がその一部であった関東軍の1939年から
    1944年までの司令官、梅津への反対尋問の際にもちだすかもしれない。さらに、
ソ連検察官が
    梅津への反対尋問で、石井生物戦部隊が人体実験を行っていた証拠をもちだす可能性は強い。
彼ら
    の人体実験は、本政府が目下ニュールンベルクでドイツの科学者および医学者をそれゆえに訴追し
    ている人体実験とそう違うわないものである。

付録「C」〔省略〕

付録「D」

    極東軍最高司令官へのメッセージ

 以下の電報は2部から成っている。
 第1部。1947年5月6日のC52423について。三Bと五の進言は承認する。生物戦について石井と彼の協力者から得られた情報は情報チャンネルに留め置かれ、「戦犯」の証拠として使用されることはない。〔以下省略〕
 第2部。
前記問題についての全通信文を最高機密に指定する。
                                    〔R・G153〕


----------731部隊 内藤良一とサンダース 戦犯免責----------

 下記は、陸軍軍医学校の教官であり「防疫研究室」の実質的責任者であった軍医大佐内藤良一(「石井の番頭」と公言して憚らなかったという)の「マレー・サンダース中佐への秘密ドキュメント、1945年9月」の一部抜粋である。内藤良一は戦犯訴追を免れるために、一部ではあるが真実を明らかにせざるを得なかったのである。これは、
「731」青木冨貴子(新潮社)によると、『週刊ポスト』誌米国駐在員安田弘道「マレー・サンダース医学博士取材報告」に続いて掲載されたものであるという。(赤字は抜粋者、BWはbiologicalwarfareの略)
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 「あなたがBWに関する調査をはじめて以来、大本営参謀本部高級将校の間では、大変な狼狽が起き、長時間に渡って、真実を答えるべきかどうかの議論がありました。
 多数意見は、敵を攻撃するようなBWは持っていないのだから、真実を話すべきだというもの。しかし、少数ながら、科学的実験がないから隠そうという意見もあった。
 後者である軍務局長、参謀本部副官は
、日本が攻撃的なBWのための研究所を持っていた事実が判明すると天皇の命運にかかわることを懸念している。
 日本陸軍が防御用のためだけでなく攻撃用のBWのための組織を持っていたのは事実です。

 多くの研究者が動員され、それぞれが特別のテーマを与えられました。実験結果は、秘密を守るためということで、公表されません。又研究者は、他の研究員がなにをやっているかわからず、各研究所の責任者は常に入れ替わっています。これに加え、ロシア軍の突然の侵略と同時に、研究結果は焼かれており、ハルビンの実験報告を入手するのは不可能と思います。
 こうした情報が、参謀本部スタッフへ反するものであることを心配しています。あなたが読んだ後で焼却するように頼みたい。私はこの情報に生命を賭けている。
私が情報提供したことがわかれば、
殺される」
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 内藤良一が上記の「マレー・サンダース中佐への秘密ドキュメント、1945年9月」を提出するに至る経過について
「731」青木冨貴子(新潮社)には、下記のような朝日新聞ニューヨーク支局小林泰宏特派員のマレー・サンダースへのインタビュー内容が取り上げられている。
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 サンダース博士は、戦後はコロンビア大学教授(細菌学)などを務め、退職後は、フロリダ州ボカラトンに医学研究所を設立、研究・治療にあたっている。大戦中は、化学戦部隊に配属され、1945年夏、フィリピンで、マッカーサー総司令官から『731』の調査を命ぜられ、日本に上陸、調査を開始した。インタビューは、同博士のオフィスで行った。同博士の記憶ははっきりしていた。
──事前情報は、どの程度あったのか。
 終戦の数ヶ月前から、満州の平房で『防疫給水部』の偽名で細菌化学兵器を開発している部隊があり、
そのトップがイシイという名前であること、中国人を実験台にし、中国領土で細菌をまいたことがあることなどを知っていた。
──隊員との最初の接触は。
 調査開始後、通訳としてドクター・ナイトウがやってきた。私は最初、ナイトウが731部隊幹部とは知らなかった。今から考えると、だれが彼をよこしたのか不思議だ。ドクター・ナイトウは、その後、ミドリ十字の社長になった。彼とは、その後も非常に親しく付き合った。
──調査はどう進んだか
 最初、名前を知っていたミヤガワ、キムラといった京大教授たちに会った。だが、彼らは内部情報は何も知らなかった。
 そのうち奇妙な事態が続いた。深夜、ナイトウのいない時を狙って、731の幹部から若い兵士たちまで、こっそり私に会いに来た。細菌爆弾の設計図を渡しに来た者もいた。みんな、そのかわりに自分だけは戦犯を見逃してくれと私に頼んだ。
──内藤氏は?
 あまり協力しないで逆に私をためそうとした。1ヶ月ほどしたころ、
私は『これでは厳しい尋問をする人間に任せざるを得ない』と通告した。すると、その夜、彼は徹夜をして報告書を書き、持ってきた。それにより、私は初めて全体像をつかめ、リストにより次々と幹部を尋問することが可能になった。」
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 また、安田弘道の「マレー・サンダース医学博士取材報告」の中の、下記のようなサンダースへのインタビュー内容も引用されている。
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──当時与えられた任務は?
 サンダース(以下S)日本のBW(細菌戦)の実態に津itw調べることだったが、その時私に与えられていたのは、ほんの数人の名簿だけ。この名簿に基づき、最初に会ったのがミヤガワ・ヨネジ東大医学部教授。(略)なにかの手掛かりがつかめるのではないかというのでリストアップされていたのだが、彼は何も知らないとのこと。ガッカリしたのを覚えている。それから会ったのが、日本軍の軍務局長・次官・軍医関係高級将校などで上林(神林のこと)、イズキ(出月のこと)なども含まれていたが、全員”細菌兵器の開発などやっていなかった”と百%否定。最初の十日間で調査は行き詰まってしまった。
──細菌兵器の開発は行っていないという証言を信用したのか?
S 
いや信用しない。というのは、私たちは1944年の早い時期から、陸海軍情報部の報告を受け取っており、日本軍が研究していることは知っていた。
 行き詰まった時、私は内藤氏にこう語った。
”このままでは、私は本国に戻り、彼らは調査を拒否していると報告せざるを得ない。この場合、どんな事態が起こるかわからない。
 そこで、彼らがもし真実を語るならば、その秘密を守り、戦争犯罪として追及しないようにするが……

 内藤氏が応えた。”24時間待ってもらえないだろうか。どうかその間に本国へ戻るというような決心はしないで欲しい”
──なぜ、戦争犯罪にしないと約束したのか?
S 彼らが恐れているのは、戦争犯罪の点であることはわかっていたし、私の任務は、犯罪追及ではなく、全貌を知ることにあったからだ」
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 そして内藤良一は上記の「マレー・サンダース中佐への秘密ドキュメント、1945年9月」を提出したというのである。




-----------------731部隊 パウエル論文----------------

 下記は、
「<悪魔の飽食>ノート」森村誠一(晩聲社)に資料として入っている「歴史に隠された一章」と題されたいわゆる「パウエル論文」の一部抜粋である。森村誠一氏が下里正樹氏の協力を得ながら、多数の元隊員の取材を重ね731部隊の全貌にせまっていた同じ時期、ジョン・W・パウエルは731部隊とアメリカの裏取引の実態を明らかにしていたというのである。彼は、米軍が朝鮮戦争で731部隊が開発したものと酷似した細菌兵器を使い北朝鮮を攻撃したことや、その攻撃に日本の専門家を使ったことを暴露して国家反逆罪に問われた。「731」の著者青木冨貴子氏によると、その裁判が打ち切られたのはロバート・ケネディが司法長官になってからのことであるという。「731」青木冨貴子(新潮社)には次のような一節もある。
 「……ドナハイの帰国が近づいて頃、モロウはクリーグ燈の照りつける法廷に初めて立った。7月22日、「中国(満州をのぞく)に対する軍事的侵略」に関する立証の冒頭陳述からはじめた。そのなかにはいわゆる「南京虐殺」も含まれた。彼は中国人4人を含む6人の検察側証人を召喚した。そのうちのひとりが8月6日に証言台に立ったジョン・B・パウエルである。パウエルは35年後の1981年、情報公開法によって入手した極秘文書に基づく論文を発表、初めて米国と石井部隊の取引を実証したジョン・W・パウエル2世の父である。父パウエルは1917年から上海を拠点に中国で活動したアメリカ人ジャーナリストだった。1942年、日本軍の捕虜になるまで日中戦争をつぶさに目撃した歴史の証人である。……」
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                   歴史の隠された一章
                               ジョン・W・パウエル 森村誠一訳
●──アメリカ人の捕虜もいた

私は、このほど米国情報公開法にもとづき永久保存の秘密文書を入手した。これによって太平洋戦争のもっとも醜悪な一面が詳細に判明した。すなわち、日本が、中国・ソ連に対して仕掛けた細菌戦争の全容がそれである。日米両国政府は、戦後の長期にわたって細菌戦争の事実を隠しとおしていたのである。
日本政府が、細菌戦の試みを隠したいと望むのは理解できる。だが、アメリカ政府もその隠蔽に関わっていたのだ。細菌を「死の兵器」に転用する日本の技術を、ワシントンが独占したいと望んだためである。
米国は、細菌戦の研究にたずさわった日本人の戦争犯罪告発を免罪し、日本人側はその代わりに自分たちの研究記録をキャンプ・デトリック──今日のフォート・デトリック──の米代表に手渡したのである。
日本側の研究記録によれば、1930年代末期には、日本の細菌作戦計画は実験実行の段階に到達していた。細菌戦は中国の軍と民間人に対して実行に移され、一定の成果をあげた。また、結果は不明であるが、ロシア人に対しても細菌戦がおこわれた。
日本は1945年までに、細菌と菌媒介動物、それらの伝播手段を、どんな国もおよばないほど大量に蓄えていた。
日本が他国を断然引きはなしていた最大の理由は、細菌研究にたずさわった科学者たちが、人間をモルモット代わりに使ったからである。少なくとも3000人の人間が細菌戦実験施設で殺された。施設の暗号名は第731部隊と呼ばれ、ハルビン南方数マイルの地点にあった。
被実験体となった人間は、実験中に死亡するかあるいは肉体的障害を受け、実験材料に適さなくなり、殺された。731部隊で殺された死者の正確な総数はわからない。が、少なくともハルビン南方以外に、二つの細菌戦用施設があった。
長春(旧新京)近くの第100部隊と、南京にあったタマ分遣隊の施設がそれである。(2つの施設では)731同様の生体実験がおこなわれていたことが知られている。
こうした話は、ここ数年来明らかにされていたことである。だが、人間モルモットの中に、戦争初期に日本軍捕虜となり、満州の捕虜収容所に監禁されていた人数不明のアメリカ兵がいたことは、ごく最近まで知られていなかった。
終戦直後、ワシントンはこの事実を知っていながら、731隊員の告発をしない旨、決定を下したのである。このほど私が入手したアメリカ政府の公式内部文書は、そのことを暴露している。
公開されたトップ・シークレット(最高機密)文書の存在は、この間の詳細を明らかにし、当時、第731隊員の戦争犯罪追求を免罪する決定を下した米国政府高官多数の果たした役割について、大きな疑惑を生じさせるものである。

●──東京発ワシントン宛秘密電報(略)
●──格安な買い物だった(略)
●──石井を免罪し資料を入手せよ(略)


-----------731部隊”細菌戦について”牧軍医中佐講演記録---------

 下記は、
「<悪魔の飽食>ノート」森村誠一(晩聲社)の資料に入っている「細菌戦ニ就テ」という牧軍医中佐の講演記録(「満州帝国軍医団雑誌」に掲載されたという)のはじめの部分である。731部隊の取り組みの事実が漏れることを恐れていることがよく分かる。
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               細菌戦ニ就テー康徳9年3月6日於治安部会議室
                                      関東軍=牧軍医中佐
御紹介ヲ受ケマシタ牧軍医中佐デアリマス
命ニ依リマシテ、只今カラ約2時間ニ亘リ、細菌戦ト云フコトニ就テ御話ヲ致スコトニ致シマス。コレニツイテ御話ヲ致シマスコトハ自分ガ有ッテヰル考ヘ、例へバ日本軍若シクハ国軍ガ有ッテヰル考ヘヲ或程度一般ニ発表シマスコトニナルノデアリマス、従ッテ従来ハコノ細菌戦ト云フ字スラ何レノ国モ軍当事者ニ於テ内密ニ使用シテ他ノ適宜ノ字句ヲ代用シテ居ツタ訳デアリマス。換言スレバ細菌戦ト云フヤウナ題目ヲ以テ御話スルト云フコトハナカッタノデアリマス近頃ニ各国ガ戦時下ニコノコトヲ云ヒ出シマスシ、又日本軍並ニ国軍ニ於テモコノ問題ガ俄ニ重要性ヲ増加シテ来マシタノデ、極ク最近カラ大キナ顔ヲシテ細菌戦ト云フ字句ヲ出シタ訳デアリマス。ソレデ私ガ申スコトノ中デ奥歯ニ物ノ挟マツタヤウナトコロデ打切ル事項ハ、特別ニ研究ヲ要スル事項カ、若シクハ一般ニ御話スルコトガ具合ガ悪イト云フ事項デアリマス。従ッテ若干不明瞭ナ所ガ出来ルカモシレマセンガ此点予メ御断リ致シマス。
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 このように断った後、下記のようないくつかの点で細菌戦の有効なことを語っている。
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・・・
従ツテ斯ウ云フモノヲ兵器トシテ使フノニ、平時デアッテモ戦時デアッテモ、何時デモ使ヘル、斯ウ云フヤウニ眼ニ見エナイモノデスカラ戦時ニ使フト云フコトニナレバ一向訳ナク使ヘルト云フトコロカラ、戦サヲヤッテヰル者ニモ大砲ヤ小銃ヲ作ッテヰル所デモ使ヘル。又後方ノ所謂兵站地ト云フ所ニ於テモ使フコトガ出来ルト云フヤウナコトガアリマス。
又コノ細菌ハ、今申上ゲマシタヤウニ、眼デ見ルコトガ出来マセンカラシテ、或程度人ニ気附カレズシテ、思ヒ切ッテ使フコトガ出来マス。一ツノ弾丸ニシタラ、ソノ弾丸ダケノ効力デ終ル。爆弾デアレバ爆弾ソレダケノ効力デ終ルノガ普通デアリマスガ恰度焼夷弾ガ火災ヲ惹 スト云フ以上ニ、一回ノ細菌ノ攻撃ヲシタ後ハソレニ依ツテ続イテ、伝染病ガ流行ツテ来ル。一ツ起レバソレニ続イテ、影響ガ起ツテ来ル。斯ウ云フコトガ一般兵器ト非常ニ違フノデアリマス。又或時ニナルト、サウ云フ病気ガ何時マデ経ツテモ除キ切レナイ。従ッテソレカラ長ク伝染病ノ病原ガ続クト云フコトガ此ノ戦争ニハアル訳デアリマス。従ッて戦ヲ起コシテイル交戦国ガ御互ニ原動力デアル国民ノ日常生活ヲ脅カシテ、イロイロ精神的ニモ脅威ヲ与ヘルト云フコトガ所謂細菌戦ノ特長デアリマス。尚コレハ何故斯ウ云フ風ニ伝染病ガ起ッタカ、コレノ攻撃ヲ受ケテカラ、ドウ云フ風ニ防イダライイカト云フコトガ非常ニ処置ガシ難イノガ特長デアリマス。


---------731部隊 新妻ファイル「特殊研究処理要領」---------

 下記は、陸軍省軍務局軍事課課員、技術政策担当の新妻清一中佐の覚書である。あらゆる陸軍兵器の研究・開発を所管する軍事課の技術将校として、連合国側に知られてはまずい生物兵器の研究や開発に関わる関係部署に証拠隠滅を命じた証拠の極秘文書である。
「731免責の系譜」太田昌克(日本評論社)によると、新妻中佐は阿南惟幾陸軍大臣に直接決裁を求める要職にあったという。太田昌克氏は何回も世田谷に住む新妻邸を訪れ取材するとともに、覚書や備忘録など様々な資料を入手したという。下記はその一つである。
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                 特殊研究処理要領
                                     20・8・15
                                         軍事課
一、方針
  敵ニ証拠ヲ得ラルル事ヲ不利トスル特殊研究ハ全テ証拠ヲ陰(ママ)滅スル如ク至急処置ス

二、実施要領
  1、ふ号、及登戸関係ハ兵本草刈中佐ニ要旨ヲ伝達直ニ処置ス(15日8時30分)
  2、関東軍、731部隊及100部隊ノ件関東軍藤井参謀ニ電話ニテ連絡処置ス(本川参謀不在)
  3、糧秣本廠1号ハ衣糧課主任(渡辺大尉)ニ連絡処理セシム。(15日9時30分)
  4、医事関係主任者ヲ招置直ニ要旨ヲ伝達処置、小野寺少佐及小出中佐ニ連絡ス(9、30分
  5、獣医関係、関係主任ヲ招置、直ニ要旨ヲ伝達ス、出江中佐ニ連絡済(内地ハ書類ノミ)10時

(注)B5版の便箋の表と裏に鉛筆で記されている。記録者は新妻清一中佐
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の「ふ号」とは陸軍内の秘匿名で風船爆弾のことである。開発を進めていたのは陸軍第9技術研究所で、登戸研究所と呼ばれ、風船爆弾以外にも中国の偽造紙幣を製造したり毒物や細菌の謀略的使用を研究、秘密戦・謀略戦を中心に非合法領域も扱う特殊機関であった。
 
はいうまでもなく、3000人ともいわれる人間を人体実験や生体解剖で殺し、ノモンハンや中国の何カ所かで細菌戦を展開した組織である。
 
は新妻中佐の証言によると種子島にあった陸軍糧秣本廠で、黒穂菌の研究をしており「ふ」号に積むことを画策していたということである。本来陸軍糧秣本廠は軍内の食糧や馬の飼料などの調達・補給を任務とするが、敵の食糧を攻撃するため、麦類の花穂を枯らす病原菌の極秘研究をしていたというのである。 
 
は2とも関わり、あらゆるところで国際法に反するような研究がなされたり、情報交換がなされていたことを物語っていると思われる。知られるとまずいことがあり証拠の隠滅が必要だったのである。



---------------731部隊 石井四郎 直筆ノート--------------

 「731」(新潮社)の著者である青木冨貴子氏は、2003年に「渡邊あき」を訪ね、長男周一氏から石井四郎直筆の大学ノート2冊の存在を知らされたという。「渡邊あき」は石井四郎の薦めで渡邊吉蔵と結婚し、夫婦で石井部隊に勤め、ハルビンに住んでいたときも平房に引っ越してからも石井四郎の身のまわりの世話をしていたという人である。石井四郎直筆の大学ノートは、青木氏が公にするまでは全く知られていなかった「1945-8-16終戦当時メモ」と「終戦メモ1946-1-11」である。それを受け取ったときの感動を青木氏は「731」青木冨貴子(新潮社)下記のように書いている。

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 A5判の黄ばんだ大学ノートで、1946年のノートには表紙に「石井四郎」と本人が名前を記している。開いてみると、鉛筆で、旧漢字を使った独特の崩し文字で書かれている。判読できない文字や数字が並んでいる。表題にメモとあるように、その日の出来事や用件を綴った覚書であり、いわゆる備忘録である。丹念に読みはじめるうち、行間から石井の息遣いが次第に伝わってくるようで、わたしの手はふるえた。
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 青木氏は、重要部分を一行一行その意味するところを考察しながら書き進めているが、直筆のメモの部分のみをいくつか選んで抜粋する。(一部順不同)
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<新京に軍司令官当地訪問>
徹底的爆破焼却決定す
<1.工兵爆破 2.焼却 3.搬出積込 4.隊長 植村中尉を訪問 5.柴野隊出発 6.第**来訪 7.永山、江口、南棟整理>
<1)新京停車場貴賓室に徹夜>
<2)作業案を碇や況と共に作りて草地参謀と相談 指示を受けて>
<明朝早く安東に飛び、鈴木・柴野梯団を推進せしむ>
<安東へ石井部隊、東郷部隊、25201部隊を第1番に平壌へ向う様に山形参謀から大尉以下8名に厳命ずみなり>
<菊池隊154着釜 貨物汽車 ロスイキ甲は通化の停車>
資材は全部終結して、内地に隠匿すること
<処置、濾水キ用心 トラック、燃料運べ>
<内地へ出来る限り多く輸送する方針 丸太ーPXを先にす>
<帰帆船ならば人員、器材が輸送できる見込み>
<方針 一.婦女子、病者及び
高度機密作業者は万難を排して内地に能う限り速やかに内地へ帰還せしむ
26/8
<1.医務局 予備 復員 資材は附近の陸病へ
 2.高山、中山 復員案 一部は東一院附 明日退 研究抽出
 3.河辺、民族防御賛成 科学進攻賛成、科学の負け、犬死にをやめよ、予備帰農賛成。
 4.梅津、民族防御賛成 科学進攻賛成、静かに時を待て。多年、ご苦労を謝す。
 5.荒尾、予備賛成、説明は誰でもできる。他人の方が可。民族防御賛成、基礎科学をしっかりやること。誠心誠意、最後まで後始末を堂々。豚箱に入る約一年の期間あらん>  

<一.支線不通 暴動のため本線一日一本>
<三.昨夜、3、000朝鮮人 牡丹江終結>
<六.松村参謀は内地から平壌へ>
<皇帝は汽車で平壌迄、飛行機で東京へ>
<疎開支部を作れ><安東、平壌、京城、釜山><私服とせよ、地方人の>
<1.鈴木列車を釜山へ直行 2.野口列車も同様 3.柴野列車も同様 4.草味列車も同様>



--------------731部隊 戦後の密約 鎌倉会議--------------

 731部隊で石井四郎の身のまわりの世話をしていたという「渡邊あき」の長男周一氏から、石井四郎直筆の大学ノート2冊を受け取り、その事実や内容を初めて公にした青木冨貴子氏は、また、アメリカのメリーランド州国立公文書館で「亀井貫一郎」のファイルから文書番号57327Secretとある文書を見つけ出し、
「731」青木冨貴子(新潮社)で731部隊の戦後の密約に関わる部分を明らかにしている。この文書ついては、下記のような説明がなされている。
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・・・
 いちばん目を引いたのは1950(昭和25)年4月6日付の「亀井貫一郎に関する尋問記録」と題する秘密文書だった。
「この尋問記録は、石井四郎元中将を尋問した後、エージェントHが用意した尋問記録である」
 と注が付いている。つまり石井を尋問してきたエージェントが石井本人に代わってエージェントHの質問に応答するというスタイルの調書である。内容は石井本人の尋問と考えて良いように、出来上がった調書を石井に見せ、記載された応答が正しいか確認を取り、末尾に本人の署名を求めている。
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 以下はその尋問記録の一部抜粋である。
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 「1947年3月から5月、亀井は細菌戦についての事実を確認するため懸命に努力し、米国から来たフェル博士、二世の通訳である吉橋太郎、マックフェール中佐や日本の細菌戦担当者などとともに働いた。はじめ亀井は長い時間をかけて増田大佐に細菌戦研究の結果をフェル博士に話すように説得した。次に彼は大田大佐と人体実験を担当した約20名の部下の研究者を鎌倉に呼び寄せ、正確で非常に貴重な詳細に及ぶ報告書を用意させた。また、石井隊長にはフェル博士の要望により、非常に重要な概要を東京で執筆してもらった。
 報告書を用意させるために、亀井は報告書を書く者の安全を保障し、彼らの協力を得るために、米国の意思と思われる以下の条件を提示した。」
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 そして「石井部隊の研究者たちは、以下の九項目の条件をのんで、執筆にかかったことになる」というのである。また下記の「
九ヵ条の密約」が交わされたのが「鎌倉会議」であり、細菌戦実験を担当した20名が鎌倉で記した報告が、現在所在不明の60ページに及ぶ英文の「19人の医者による(人体実験)リポート」だということなのである。
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1.
この秘密の調査報告はフェル博士、マックフェール中佐、および吉橋通訳とGHQのアメリカ人、そして石井と約20名の研究者のみに限定されている。
2.日本人研究者は戦犯の訴追から絶対的な保護を受けることになる。
.報告はロシア人に対しては全く秘密にされ、アメリカ人にのみ提供される。
4.ソ連の訴追及びそのような(戦犯を問う)行動に対しては、絶対的な保護を受けるものである。
5.報告書は一般に公表されない。
6.研究者はアメリカ合衆国の保護下にあるという事実が明らかにされないよう注意が払われる。
7.主要な研究者は米国へ行くことを許可される。
8.細菌戦実験室が作られ、必要な経費が支給される。しかし、アメリカ人実験室長の下に行われる日本人研究者との共同研究はさらに考慮される。研究に基づく特別実験が予定される。
9.アメリカ人だけによる全面的な共同研究は日本の問題に良い影響を与える。
  アメリカ人とこれらの条件を決定するに当たり、8以外はすべてアメリカ人の一般的意図に基づく。
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 亀井貫一郎は東京帝国大学法学部卒で外交官としてアメリカで過ごした。サンダースが増田知貞大佐の尋問をしたとき通訳を務めている。衆議院議員(社会民衆党)として活躍したが、戦時中は大政翼賛会の東亜部長を引き受けたり、東条首相の同意を得て「財団法人聖戦技術協会」設立したりしたという。


-----------731部隊 新妻ファイル「新妻清一中佐尋問録」----------

 下記は、「731免責の系譜」で、大田昌克氏が公表したいわゆる「新妻ファイル」の中の一つである。新妻清一中佐は陸軍省軍務局軍事課課員で、あらゆる陸軍兵器の研究・開発を所管する軍事課の技術将校であった。新妻中佐は、阿南惟幾陸軍大臣に直接決裁を求める要職にあったという。
 日本の生物兵器や細菌戦について調査するためキャンプ・デトリック(現フォート・デトリック)から派遣されてきた細菌戦の専門家サンダース軍医中佐は、陸軍軍医学校の関係では調査に行き詰まり、陸軍参謀本部へ矛先を向け新妻中佐の出頭を求めたという。昭和天皇の玉音放送前に、国内外の関係部署に「特殊研究」の証拠隠滅を指示した新妻中佐である。サンダースの尋問でも、その姿勢を貫いていることが、下記の尋問録でよく分かる。
「731免責の系譜」太田昌克(日本評論社)から「新妻清一中佐尋問録」の一部を抜粋する。(ヰはイに統一)
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            「新妻清一中佐尋問録」(1945年10月1日)

一 立会人 Niizuma   N
      Sander    S
      通訳     内藤

二 N アナタノ任務ハ何ンデアルカ
  S 自分達ハ科学的援助者デ コンプトン博士
                モーラント博士
                サンダー博士
    ノ3人デ「モーラント」博士ガ長デアル
    自分達ハ「ワシントン」カラノ直接ノ指令ヲモッテイル
  S 我々ノ目的ハ日本ヲ助ケルコトデアル
  S 私ハ日本陸軍ノ細菌兵器準備ニツイテ知リタイ
    戦争犯罪ト無関係ニ純科学的 ニ調査ヲスル
    私ハ前大戦後全テノ国家ガ細菌兵器ニ興味ノアッタコトヲ知ッテイル
    若シ何処カノ国ガ(アナタノ国トイフ国デナク)細菌兵器ヲ使ッタトイフ証拠ガルナラバ、ソレハ
    公開セラレ研究セラルベキ門題(ママ)デアル
  S 防衛ノ研究ニ関シテ教ヘテモラッタコトハ感謝スルガ攻撃ノ研究ニ如何ナルコトヲヤラレタカトイ
    フコトヲ知レバ感謝スル
  S 私ハ日本陸軍ノ公式ノ表ノ証拠ヲモッテイル
    1番ヨリ7番マデノ爆弾ノコトヲ書イテアル
    コノ7番ノ爆弾ノコトト一般細菌ノ活動ト細菌弾ニツイテ知ルコトガ出来レバ幸デアル
  N 盆号ヲツケタ爆弾ハナイ
  S 御前ハ細菌弾ニ就テハ何モ知ラナイト話スノカ
  N 日本ニハ細菌弾ハナイ
  S 日本ノ海軍ノ細菌弾ニツイテ知ッテイルカ
  N 知ラナイ
  S 日本ノ陸軍ハ細菌弾ヲモッタコトカ実験ヲシタコトガナイノハ確カデアルカ
  N 確カデアル

  ・・・

  S 日本の参謀本部ハ細菌兵器ヲ武器トシテ考ヘタカ
  N 使フ意志ガナカッタカラ武器トシテ考ヘナカッタ。
  S 石井部隊ノ研究ガ独立シテ行ハレルトイフコトガ可能デアルカ
  N 意味ガヨク解ラナイ
  S 関東軍ハ大本営カラ独立シテソウイフ研究ヲヤルコトガ可能デアルカ
  N 陸軍省ハ毎年指示ヲシテイル。一般指示ノ中ニハ細菌兵器ノコトハ含マレテイナイ。
  S 予算表ヲ見ルコトガ出来マスカ
  N 8月14日ニ焼イタ
  S 日本参謀本部ガ焼イタノカ
  N ソウデアル


----------731部隊 新妻ファイル「増田知貞大佐尋問録」----------

 下記は、731部隊の最高幹部で石井四郎の右腕と言われた増田知貞の尋問録である。これも「731免責の系譜」で、大田昌克氏が公表したいわゆる「新妻ファイル」の中の一つである。大本営陸軍参謀であり、陸軍省軍務局軍事課課員であった新妻中佐の尋問録とは違って、最高位幹部として直接731部隊に関わった増田大佐の尋問録には、かなりつっこんだやり取りが記録されているが、あくまで防御や研究のためであったという姿勢がはっきり読み取れる。その一部を
「731免責の系譜」大田昌克(日本評論社)から抜粋する。(Mが増田大佐、Sはサンダース中佐、Nは新妻中佐である。BKは部隊内の隠語で細菌兵器の研究・開発を含む細菌攻撃や生物兵器を利用した戦争を意味する。また、Tは腸チフス菌、PAはパラチフス菌A型、PBはパラチフス菌B型、Dは赤痢菌、Cはコレラ菌、Mは炭疽菌、Pはペスト菌、<TBには触れていないが結核菌と思われる>)
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           「増田知貞大佐尋問録」(1945年10月9日、11日、16日)

 M、S、問答要旨

第1回(10月9日1400)於第1相互ビル「マ」司令部
   参列者M大佐 N中佐、通訳亀井貫一郎
      S中佐 途中より バブコック軍医中佐参加

 N、先日話シタM大佐ヲ連レテ来マシタ何デモ聞イテ下サイ
 S、病気ダッタソウダガモウ体ハ良イノカ
 M、モウ治ッタ
 S、フォワーネームハ何ト云フカ
 M、(知貞増田ト書イテ見セル)
 S、ドウ云フ経歴ノ人カ(N中佐ニ)
 N、経歴ヲスッカリ話スヨウニ(M大佐ニ)
 M、陸軍出身以来ノ経歴デ良キヤ
 S、結構ダ

   (経歴一部略)
 M、1929年~1931年迄 京都帝大微生物教室研究
   1934年~1936年迄 ドイツ、フランスニ留学
   1937年夏~1939年迄 関東軍防疫給水部
   1942年~1943年 軍医学校教官
   此ノ間モ関東軍防疫給水部ノBK関係ノ業務ニハ関与シテイタ
   1943年~1944年 ビルマニテ「マラリヤ」予防ニ従事
   1945年関東軍防疫給水部
   関東軍防疫給水部デハ第3部長ト資材部長トヲヤッテ居ッタガ前ニハ研究ノ関係モヤッテ居ッタ、何
   ノ部ノ業務モ承知シテイル
 
   
(略)

 S、関東軍防疫給水部ニ就テ聞キ度イ ソレハ三部カラ成ッテ居ルダロウ
 M、イヤ違フ 四部カラ出来テオル
 S、各部ノ任務ヲ述ベヨ
 M、第一部ハ研究、第二部ハ防疫ノ実施、第三部ハ給水、第四部ハ製造デアル
 S、第一部ノ研究トハ何ノ研究ナリヤ
 M、防疫全般ニ関スル基礎研究デアル
 S、基礎研究デハワカラナイ 具体的ニ如何ナルコトヲ研究セリヤ
 M、(紙にT、PA、PB、D、C、TB、M、P、リケッチャ ヴィールス ト書イテ見セ)コンナコ
   トヲ研究シテオッタ
 S、BKの研究ハシテオラナカッタカ
 M、ヤッテ居タ
 S、ソノ細菌戦争ノ研究ニ就テ話シテ貰イ度イ
 M、BKノコトハ知ッテ居ルカラ喜ンデ話スガ其ノ前ニ一言コトワッテ置キ度イコトハ之カラ話スコトハ
   自分ノ私見デアルカラ承知シテ置イテ貰イ度イ
 S、ソレデ結構ダ
 M、今一ツ頼ンデ置キ度イノハ此ノ問題ヲ政治的ニ利用サレナイヨウオ願ヒスル、ソレニ就テ昨日N中佐
   ニ話サレタ貴方ノ「ステートメント」ヲ承知シタガ自分ハソレデ大イニ安心シテ知ッテ居ルコトヲ全
   部オ話スルコトガ出来ルト思フ
   (注 N中佐ニ話セル「ステートメント」ハコノ調査ハ大統領ニ出ストコロノ秘密報告ノ資料ヲ作ル
   ノデ公表スベキモノデハナイ寧ロ各国ノ間ニBKニ関スル問題ノ起キタトキニアメリカガソレヲ知ッ
   テ居ルト日本ニ対シ有利ニ処理シテヤルコトガ出来ル、戦争犯罪者ノ摘発ト云フコトトハ別箇ノ問題
   ダカラ安心シテ話シテ貰イ度イト云フコトヲMニ伝ヘヨノ意味ナリト記憶ス)
 S、同感ダ
 M、関防給ガBKノ研究ヲ始メルニハ一ツノ動機ガアル、満州事変ノ直後ヨリ「ソ」連ノ「スパイ」ヲ逮
   捕シテ所持品ヲ調ベタラ時々「アンプレ」ヤ瓶等ニ細菌ノ菌液ヲ充填シテ持参シテ居ルト云フコトヲ
   発見シタ、ソノ内容物ハ憲兵隊カラ部隊ニ検索ヲ依頼サレテ、ソレヨリD、C、M、等ヲ証明シテオ
   ル
 S、ソレハ一体何時頃ノコトデアルカ
 M、昭和8年頃カラ昭和13年位迄ノ間ノ事実デアル 

   
(略)

 M、……コノ現物ハ最近迄関防給デ証拠物件トシテ持ッテ居タガ今度全部焼キステテシマッタ
   関東軍防疫給水部ハ自隊ノ業務遂行ノ必要上「ソ」連ノ搬入セル細菌デ人為的ノ伝染病流行ガ出来ル
   カドウカト云フコトヲ研究スル必要ヲ感ジタ、ソレガ部隊ニ於ケルトコロノBK研究ノ動機デアル
 S、ソノ研究ヲ始メタノハ何時頃カ
 M、昭和12年(1937年)デアル
 S、誰ガ研究ヲ主催シタカ
 M、研究ノ主催ハ石井隊長デアル、自分ハ最初カラ研究ノ全般ニ亘ッテ石井隊長ヲ補佐シ研究ノ実施ニモ
   関与シタ
 S、研究ハ何部デヤッテ居タカ
 M、BK研究ノ為ニ特別ノ部ハナイ、研究事項ハ細分シテ部下ノ研究者ニ割当テソレヲ秘密ノ裡ニ統合シ
   テ居タ 故ニBK研究ノ全般ニ就テ知ッテ居ルノハ石井隊長ト自分ダケデアル 
   他ノ人ハ自分ノ研究範囲カラ推測シテ話ヲスルコトガ出来ルカモ知レナイガ之ハ飽迄推測デアッテ事
   実ハ自分以外ニハ知ラナイ筈ダト思フ
 S、自分モBKニ就テハ非常ニ大キナ興味ヲモッテオルノデ是非ソノBK研究ノ状況ヲ知リ度イモノデア
   ル
 M、BK研究ト云ッテモ漠然トシテ居ルガ今日ハ軍事課ヨリノ要求ニ依ッテ砲弾ト爆弾ノコトニ関シて若
   干ノ準備ヲシテ来タカラ ソレニ就テ話シテモ良イカ
 S、大変結構ダ
 M、(「ロ」弾、「ハ」弾、「ウジ」弾ノ断面図ヲ大型ノ「セクションペーパー」ニ鉛筆ニテ書ケルモノ
   ト「イ」「ロ」「ハ」「ニ」「ウ」「ウジ」旧型、五〇型、一〇〇型「ガ」弾頭九種類ノ細菌弾ノ諸
   元表ヲ同様ノ「セクションペーパー」ニ書イタモノトヲ広ゲテ説明セリ)
   「イ」弾、蛋頭円筒弾ニシテ弾体ハ鉄ヨリ成リ長サ 500mm 直径 100mm 弾体ノ前部ニ炸薬ヲ充填シ
   弾腔ニ二立ノ菌液ヲ容レル、薬室ト弾腔トノ隔壁ガ瓦斯圧ニ対シテ弱キ壁ヨリナル、尾部ノ「リベッ
   ト」ハ構造弱ク爆圧ニヨリハズレ易クナッテオル 全備重量ハ20㎏装薬ハ黒色火薬デアッテ信管ハ着
   発信管ヲ使ッタ コノ爆弾ノ静止破裂ニ於ケル撒飛界ハ風速5米ノ際10ー15米×200-300
   米デアル

   
(略)

 S、オ前ノ実験デ一番ウマク行ッタノハ「ウジ」弾カ
 M、然リ
 S、「ウジ」弾ヲ対「ソ」作戦ニ準備スル事ヲ日本軍当局ニ意見具申スル意図アリタルヤ
 M、前ニ何回モ述ベタ様ニ未ダ欠点ガ多クテ実用ニ適シナイト思ッタカラ其ノ様ナ進言ヲスル意図ハ無カ
   ッタ

   
(略)

 S、貴官ハ住民地に於テ粟、麦、綿片等ニタイシテ液ヲ(飛行機のマーク)ヨリ投下シタ経験ハナイカ
 M、自分ハ御質問ト非常ニヨク似タ事ヲ「アメリカ」ノ新聞デハ見た事ガアル
   「アメリカ」ノ新聞デハコレヲ以テ日本ガBKヲヤッタト書イテアッタ様ニ思ふガ我々ニハ何等覚エ
   ノ無イ事デアル
   由来BKト云フ様ナ人ノ注意ヲヒク問題ハ兎角 ghost story ヲ伴ヒ易イモノデアルガ オ話ノ件モ
   コノ「ゴースト・ストリー」ノ適例デアルト思フ
   
   (
以下略


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