-NO357~364-
---------原発事故 NO1「もんじゅ」ナトリウム漏洩と情報の秘匿・捏造--------

 「原発 高木仁三郎の鳴らした警鐘1」で取り上げたように、原子力は、日本では科学的実態や技術的実態がないまま、また、産業的基盤もないまま、「札束で学者のほっぺたを引っぱたけばいいんだ」という言葉(中曽根康弘氏)に象徴されるような政治的思惑によって導入された。そして、三井や三菱、住友などの旧財閥を引き込み、国家主導のトップダウン型で開発が進んだ。したがって、一企業、ましてや一個人が、その国家的推進体制に異を唱えることなど許さないという状況のもと、寄せ集めの集団と技術によって開発が進められたのである。
 そうした開発・推進を、高木仁三郎は、「議論なし、批判なし、思想なし」であると批判した。原発が事故をくり返す理由や、事故のたびに「隠蔽、改ざん、捏造」が問題となる理由の一端は、そこにあるというわけである。

 下記は、「原子力の社会史 その日本的展開」吉岡 斉(朝日選書624)の中から、高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏洩事故の概要と、事故後の情報秘匿や捏造について記述している部分を抜粋したものである。
 福島第1原発の事故は「想定外」の津波によるものだ、という言い訳を受け入れることができるだろうか。
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                    第6章 転換期を迎えた原子力開発利用(1995~ )

1 高速増殖炉「もんじゅ」事故とそのインパクト

 1995年12月8日夜、福井県敦賀市にある動燃の高速増殖原型炉「もんじゅ」で二次冷却系からのナトリウム漏洩が起きた。漏洩したナトリウムは空気中の水分や酸素と反応して激しく燃焼し、空気ダクトや鉄製の足場を溶かし床面に張られた鋼鉄製ライナ-上に落下してナトリウム酸化物からなる堆積物を作った。事故原因については、A、B、Cと合計3グル-プある冷却系のうち、Cループは配管に差し込まれたナトリウム温度計のステンレス製保護管の先端部分が、微小運動をくり返すことによる金属疲労により破断し、その折れた開口部から配管内のナトリウムが保護管の内部を通り、直接配管室の室内にでたものと推定されている。事故の経過について本書でくわしく述べる紙面はないので、他の文献を参照していただきたい(たとえば、もんじゅ事故総合評価会議著『もんじゅ事故と日本のプルトニウム政策──政策転換への提言』、七つ森書館、1997年。読売新聞社科学部著『トキュメント「もんじゅ」事故、ミオシン出版、1996年。緑風出版編集部編『高速増殖炉もんじゅ事故』、緑風出版1996年。)
   

 この事故に対して動燃がとった対応行動は、きわめて不適切なものであった。まず第1に、運転者(当直長)の判断の誤りにより、警報がなった12月8日午後7時47分以降、1時間33分にわたって原子炉を手動停止せず、ようやく9時20分に停止したのに加え、停止後のナトリウム緊急ドレン(抜き取り)も大幅に遅れたため、適切な判断がなされた場合に比べて数倍(推定700キログラム)のナトリウムが漏洩したのである。原子炉停止後もナトリウム漏洩は続き、配管部分のナトリウム抜き取りが終了したのは、夜半過ぎの午前0時15分となった。さらにその間、空調システムを停止しなかったために、放射性物質トリチウムを含むナトリウム・エアロゾルが原子炉建屋全体に拡散し、その一部は環境に放出された。こうした運転者による一連の判断の誤りの一因は、マニュアル(異常時作業手順)の不備であった。またこの事故では周辺自治体への通報の遅れも問題となった。福井県及び敦賀市への通報は事故の約1時間後となったのである。

 動燃は第2に、意図的な事故情報の秘匿・捏造をおこなった。動燃は12月9日午前2時5分(1巻分)と、16時10分(2巻分)の2回にわたり、事故現場のビデオ撮影をおこなったが、公表したのは後者のビデオテープのうち1巻(11分)を、肝心のナトリウム漏洩部分の映像を削除して編集したものであった。そのことが露見したきっかけは、事故の3日後の12月11日未明(午前3時25分)に、福井県と敦賀市の職員4人が安全協定に基づいて強行した立ち入り調査であり、そのとき撮影されたビデオテープにはナトリウム漏洩部分が写っており、事故の深刻さをうかがわせるものであった。

 このビデオテープ映像の印象と、動燃が発表していた映像の印象とが、あまりにも食い違うことを福井県などから追及された動燃は、やむなくビデオテープの秘匿・捏造の事実をみとめ、動燃もんじゅ建設所の大森康民所長と佐藤勲雄副所長が隠蔽工作の責任者であったことを明らかにし、両名を含む4名を更迭した。(後任の所長には本社企画部長の菊池三郎が、副所長には動力炉開発推進本部次長の鈴木威男がそれぞれ就任した)。また科学技術庁は1月12日、動燃理事長の大石博の更迭を決めた。その翌日の1月13日未明、事故情報秘匿・捏造事件の社内調査の担当者だった動燃総務部次長の西村成生が自殺した。これは動燃の体質による社内調査の難航を、一つの背景とした事件であり、国民の動燃不信をさらに強めた。

 ・・・(以下略)

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原発事故 NO2 東海再処理工場の火災・爆発事故-----------

 下記は、「原子力の社会史 その日本的展開」吉岡 斉(朝日選書624)の中から、「東海再処理工場の火災・爆発事故」の概要について記述している部分を抜粋したものである。この事故でも、高木仁三郎が指摘していた「隠蔽、改ざん、捏造」に類する「虚偽報告」が問題となった。

 2011年の福島第1原発の事故でも、重要機器の非常用復水器が、東電の主張と違って地震直後に壊れたのではないかとして、現地調査を決めた国会事故調査委員会に、東電は、建物の内部は明かりが差し照明も使えるのに、「真っ暗」と虚偽の説明をし、現地調査を断念させていたことが報じられた。

 事故が起きるたびに、こうしたたぐいの問題が報じられる。原発自体の危険性の問題もさることながら、原発に関わる組織や人間がかかえる問題も深刻であると思う。あらゆる事態を想定し、安全に万全を期すのではなく、利益のために安全を蔑ろにし、事故が起きると取り繕うというような姿勢に、福島第1原発の事故後もなお、変化が見られないのである。きちんとした対処がなされないまま、原発を再稼働し、維持し、推進するということのリスクは、あまりにも大きいと思う。
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                    第6章 転換期を迎えた原子力開発利用(1995~ )

4 分水嶺となった東海再処理工場の火災・爆発事故

 高速増殖原型炉「もんじゅ」事故によって大きく揺らいだ動燃に対する国民の信頼を、完膚無きまでに失墜させたのが、1997年3月11日午前10時6分に、動燃の東海再処理工場のアスファルト固化処理施設(ASP)で発生した火災・爆発事故であった。
 この事故の概要を説明しておこう。東海再処理工場には、再処理の各工程、施設の各所から排出される低放射性廃液を、アスファルトと混ぜて固めるアスファルト固化施設がある。その内部のアスファルト充填室には、低放射性廃液をアスファルトで固化したものを一杯に詰めたドラム缶が多数おかれている。その1本が充填の20時間後に発火し、またたく間に周囲の多くのドラム缶に火が燃え移った。作業員は下請け会社の社員だったため、動燃職員の指示をあおいだ。動燃職員は上司と相談の上水噴霧による消火を命じた。火災発生から6分後、作業員はスプリンクラーを使った消火行動を1分間おこなった。だがその頃から、放射能を含む煙が充填室から施設全体に広がり、火災発生から約30分後までに、作業員は全員避難を余儀なくされた。この予期せぬ事態を終息させようと関係者が懸命に努力していた午後8時4分、充填室付近で爆発が起き、アスファルト固化処理施設の窓と扉のほとんどが破損した。爆発によって発生した火災は3時間あまりにわたって続いた。そして施設の破損箇所から、大量の放射能が外部へ拡散していった。


 この原稿を書いている98年末現在に至るまで、事故原因の詳細はいまだ解明されていないが、最初に起きた火災事故に関しては、ドラム缶内で発熱暴走反応が発生して自然発火をもたらしたものと推定されている。またその約10時間後に起きた爆発事故に関しては、消火作業に使われた水量がわずかであり、完全な消火がされなかったために、ドラム缶に詰められたアスファルト固化体内部で、何らかの発熱をともなう化学反応が進行し、それにより可燃性ガスが部屋に充満し、何らかの引き金で爆発に至ったものと推定されている。原子力安全委員会は、火災爆発事故調査委員会を設置して事故原因調査を進めさせ、調査委員会は97年12月15日に報告書を提出したが、そのなかで事故原因を特定することはできなかった。

 この事故によって動燃の安全対策の不十分さがクローズアップされることとなった。また事故に際して動燃がとった対応行動も、きわめて不適切なものであった。安全対策の不十分さの筆頭にあげられるのは、アスファルト固化という方法を採用したこと自体である。アスファルトは可燃物であり、発火した場合には、内蔵された放射能を、まき散らすリスクがある(減速剤に黒鉛を用いる原子炉と同様のリスク)。セメント固化のほうがベターであり、それが世界の標準的方法である。にもかかわらず動燃は、コストが安く海洋投棄にも都合のよいアスファルト固化の方法を選んだ(前述のように80年代初頭まで、科学技術庁は中低レベル放射性廃棄物の海洋投棄計画に固執していた)。
 また動燃は、アスファルト固化処理施設で火災事故や爆発事故が起こることをほとんど想定せず、消火訓練もまったくおこなっていなかった。


 次に動燃の事故対応行動も、多くの問題点を有するものだった。それは大きく2つに分けることができる。第1に、消火作業がきわめて不適切なものとなった。まずマニュアルの記述が不備だったため、現場作業員の判断で消火活動を開始できず、消火開始が遅れた。またマニュアルの消火手順が守られなかった。放水開始の前に充填室の換気を中止しなかったのである。そのためフィルターの目詰まりによる機能喪失と、外部への放射能漏洩を招いた。さらにわずか1分間の散水をおこなっただけで消火作業を中止し、十分な消火確認もおこなわなかった。1981年に起きたベルギーのユーロケミック社のアスファルト固化施設での事故に懸念をいだき、動燃は82年に燃焼実験をおこない、完全消火まで8分間の散水が必要であるとの結果を得ていたが、それが生かされなかった。そうした不適切な消火活動によって、適切な対応がなされていれば火災事故だけですんだところが、爆発事故に発展した

 第2に消火活動にからむ虚偽報告事件が発生した。動燃が科学技術庁に提出した事故報告書には、午前10時13分に消火を確認したのち、10時22分に目視で再確認したと記載されていたが、実際には消火確認していなかったことが、事故から1ヶ月後の4月8日に露見したのである。それは簡単に訂正できるはずの単純ミスにすぎなかったが、ひとたび政府・自治体・マスコミ等に流した情報について、もしその訂正をおこなえば、「もんじゅ」事故で失墜した動燃の信用がさらに低下するのではないかと幹部職員たちが恐れ、口裏合わせをおこなおうとしたが、それが作業員一人の抵抗により発覚したのである。この虚偽報告事件の発覚は、国民の動燃への不信を決定的なものとし、動燃解体論を呼び起こした。マスコミは動燃を「うそつき動燃」呼ばわりするようになった。

 ・・・(以下略)

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「プルトニウム」 高木仁三郎が語る---------------

 高速増殖原型炉「もんじゅ」は、完工延期が20回にもなる失敗続きで、実用化のめどはいまだ立たない。のみならず、現在日本の多くの原発は、安全上再稼働が無理な状況にある。したがって、ウランとプルトニウムの混合(MOX)燃料の利用も見通しが立たず、行き詰り状態である。にもかかわらず青森県六ヶ所村の核燃料再処理工場を操業させることは、問題だと思う。数々のリスクを無視し、大量の核廃棄物と利用の見通しのない猛毒「プルトニウム」を増やすだけだからだ。

 高木仁三郎は、「一般の人が一年間にこれ以上体の中に入れてはいけないとされている量に当てはめると、原子炉から取りだしたプルトニウム1グラムは、18億人分になります。それくらい猛毒なのです。」といっている。さらに、プルトニウムは容易に核兵器に利用され得るものであるという。そんなプルトニウムが、日本にはすでに、およそ45トンもあるというのだ。使うあてのないプルトニウムをさらに増やそうとする原子力政策は、「神州不滅」「進め一億火の玉だ」などをスローガンとした人命軽視の日本の戦争政策を思い起こさせる。「一億玉砕・本土決戦論」に似たような、悪あがきともいえる政策を続けるのではなく、実態を直視し、素直にその破綻を受け入れて、原子力政策を根本的に改めるべきあると思う。

 ここでは、「高木仁三郎が語る プルトニウムのすべて」(原子力資料情報室)『核物質「プルトニウム」のあと始末』から、「プルトニウムとは?」の一部を抜粋した。
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核物質「プルトニウム」のあと始末

プルトニウムとは?

 その本題に入る前に、プルトニウムとは何かということを、ごく簡単におさらいしてみたいと思います。プルトニウムというのは、第1たいへん毒性が強い物質です。第2にたいへん長生きです。第3に核分裂を起こしやすい、したがって原子力発電もできるし、原爆の材料にもなります。

 第1の毒性が強いということでは、とくに空気中にただよっているプルトニウムの微粒子を吸い込む場合が問題です。プルトニウムは肺に入り、その一部が数百日から1000日くらいとどまって、肺に被曝を与えます。さらに、その一部が血液に取り込まれ、主として骨と肝臓に集まる。ごくわずかですが、生殖腺に入るものもあります。
 これらの臓器にプルトニウムがとどまる期間はほぼ一生と言ってよいでしょう。そして、ずっと被曝を与えつづけるのです。


 プルトニウムに汚染された食べ物や飲み物を飲食した場合は、大部分は排泄されますが、ごく一部は血液に入り、やはり骨や肝臓に集まってきます。こうして肺ガンや肝臓がん、骨のがんなどを引き起こすのです。
 ビーグル犬などを使った実験では、100万分の数グラムほどのプルトニウムが肺がんを起こさせた実例があります。目に見えないくらいの量を警戒しなければならない物質なのです。
 そんなものをトン単位で扱おうというのですから、プルトニウム利用計画には大きな無理があります。


 一般の人が一年間にこれ以上体の中に入れてはいけないとされている量に当てはめると、原子炉から取りだしたプルトニウム1グラムは、18億人分になります。それくらい猛毒なのです。

 100万キロワット級の原発を1年間運転すると200キログラムから250キログラムのプルトニウムが生まれます。現在日本では、約4000万キロワットの原発が動いていますから、1年間で9トンほどのプルトニウムが生まれる勘定になる。1グラムが18億人分ですから、いかにたいへんな毒ができるかがわかります。

 第2の長生きだという点に関しては、よく24000年の寿命と言われます。これはプルトニウム-239の寿命です。ここで寿命というのは半減期、つまり放射能が半分に減る時間のことです。
 24,000年経って半分になる。もう24,000年経つと、ゼロではなく、半分の半分で四分の一といった減り方をしていきます。
 この寿命がプルトニウム-240だと6,600年、プルトニウム-241で14年、プルトニウム-242では376,000年にもなります。
 プルトニウムは非常に長生きで、いったん生まれたら、なかなか減ってくれません。

 先日ある本を読んでいたら、世界の人口の伸びは1年間に1億人。1秒間に3人ずつ増えつづけていて、この勢いで人口爆発をしたら、世界は破滅すると書いてありました。


 それで思ったのは、プルトニウムは、日本全体で1秒間に約1万人の肺がん致死量にあたるくらいの割合で生産されていて、世界全体ではその10倍くらいです。これが超長生きなわけですから、プルトニウムで人類が破滅するほうがはやいとも思えるのです。

 そして第3の特徴である核分裂を起こしやすく、原爆の材料になること、それが、これからお話ししたいことの中心テーマです。


 ・・・(以下略)

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原発事故 想定外 と 人為ミス-----------------

 若い頃に、柳田 邦男「恐怖の2時間18分」を読んだことを覚えている。スリーマイル島で起きた原発事故を追った作品である。不運ないくつかの偶然とちょっとした人為ミスとがからんで、事故が拡大したことを教えられた。
 七沢潔「原発事故を問う -チェルノブイリからもんじゅへ-」(岩波新書)は、もんじゅのナトリウム漏洩事故でも、チェルノブイリ原発事故でも、同じようなことが事故の拡大につながっていることを明らかにしている。『事故とはそもそも「想定」しないところから起こるものではあるが、「チェルノブイリ」も、もんじゅの事故も「想定外」が連続するなかで、次々に対応が遅れて被害を拡大してしまった』というわけである。「もんじゅ」の事故の意味を考える上で極めて重要な視点であると同時に、福島の事故を「想定外」で終わらせてはならないことを示唆しているのだと思う。そうした意味で、著者七沢寄潔もまた高木仁三郎同様、福島第1原発の事故以前に、「想定外」や「人為ミス」「情報隠し」「通報の遅れ」などを取り上げ、原発の稼働に対し警鐘を鳴らしていた一人であった。
 下記は、「原発事故を問う -チェルノブイリからもんじゅへ-」七沢寄潔(岩波新書)の序章からの抜粋である。
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                      序章 もんじゅとチェルノブイリ

神話崩壊の年

 戦後50年という区切りの1995年、皮肉にも日本人は、堅固に築き上げてきたと思っていた自分たちの世界に対する確信が、脆くも崩れていく瞬間に何度も立ち会った。
 阪神大震災では、強固だったはずの高速道路の橋脚が無惨にも倒れ、耐震設計が自慢だったビルやマンション、そして通信、運輸、医療などあらゆる都市機能が、一瞬のうちに壊滅した。前年のロサンゼルス地震のときに、専門家たちが口をそろえて、「日本の技術ではこんな破壊はありえない」と語っていたのを思い出す。
 テロのない平和な国という、誰しも疑わなかったイメージも崩れた。通勤客を満載した地下鉄で、大量殺戮兵器の毒ガスがばらまかれるという世界でも例のない窮極のテロ事件が起こり、多数の市民が死傷した。事件を起こした宗教団体は武装計画も進めていたという。
 そして、戦後日本経済の要とまで言われた大蔵官僚たちのあい次ぐスキャンダル。バブル崩壊後、いまだ出口の見えない長い不況と不良債権問題、失業
……。

 「安定」「安全」「ハイテク」「不滅の成長」といった戦後日本神話は、この1年で一気に崩壊し始めたといえる。日本人の多数はいま、これまで拠って立ってきたものの行方に不安を感じこそすれ、洋々たる未来を語る気分になれない。

 そして、この一連のできごとを締めくくるかのように起こったのが、福井県敦賀市にある高速増殖原型炉もんじゅのナトリウム漏洩事故であった。
 12月8日夜に起こったこの事故では、配管から二次冷却系のナトリウムが推定700キロ(科学技術庁調査・1次報告書)漏れ出し、原子炉補助建屋の2割に当たる広い面積に拡散した。さいわい、放射能漏れも、直接的な死傷者もなかった。だが、「小さな漏洩事故」としてかたづけたかった動燃(動力炉・核燃料開発事業団)や科学技術庁の思惑に反して、日本の社会に、重大な事故として受け止められた。なぜだろうか。


 日本の原子力政策は、原発の使用済み燃料からプルトニウムを取り出し、ふたたび利用する「核燃料サイクル」の実現を将来のエネルギー供給の柱に位置づけている。資源小国日本が、独立して安定したエネルギーを確保するための悲願ともされるこの大国家プロジェクトの中核に位置するのが、プルトニウムを消費しながら発電し、同時に消費した以上のプルトニウムを生み出すように設計された高速増殖炉なのである。6000億円をかけてつくられたもんじゅは、2000年代初頭に建設開始予定の「実証炉」、2030年ごろをめざす「商業炉」の先駆けとなる「原型炉」である。つまり、もんじゅは「国の命運を握る計画」の鍵だったのである。

 事故が「重大」である理由はそれだけではない。高速増殖炉の技術は、猛毒プルトニウムを燃料とすること、冷却剤として、水と反応すると爆発的に反応し、空気中で燃えやすい金属ナトリウムを使うことから危険が多く、アメリカ、フランス、ドイツなどで事故が多発開発から撤退する国が続出している。そのなかで日本は、「わが国の技術水準ならば問題ない」と、建設を進めて来た。フランスでナトリウム漏洩が問題になった時も、動燃は「日本の溶接技術は優秀だから大丈夫」と強弁していた。

 つまりもんじゅ事故は、日本国家が「未来のために」と、膨大な予算を投入し、さまざまな懸念の声も振払いながら、技術立国・日本の威信をかけて進めてきたプロジェクトの挫折であり、それゆえに被害規模の大小にかかわらず、国の未来にとって重要な意味を持つのである。
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共通点(1)── 「想定外」の事故と対応の遅れ

 チェルノブイリ原発事故以前、原子炉が暴走して炉や建物が完全に破壊されるような爆発事故はありえないといわれた。そのため、事故直後、原発の運転員や管理職は、しばらくは炉の破壊を把握できず、無意味な復旧活動などを命じて、職員に大量の被爆をさせている。また原発に配備されていた放射線測定器の測定能力が低かったため、針が振りきれてしまい、いったいどれだけの放射線被曝の危機にさらされているかさえ、定かにわからなかった。


 もんじゅの場合、いわば宿命的なアキレス腱として、ナトリウムの漏洩対策は万全のはずだった。放射能をふくんだナトリウムが流れる一次系の配管周辺は、ナトリウムが漏れても酸素などと反応しないように、部屋を窒素で満たしている。また、水とナトリウムが管を隔てて接している蒸気発生器がある部分(ここでは便宜的に「三次系」と呼ぶ)では、漏れをいち早く検出できる装置を他所よりも数多く設置し、爆発的な反応を極力抑える特殊装置もついている。
 今回、事故がおこったのはそのどちらでもなく二次系の配管部だった。放射能をふくむ一次系と、水との接触の高い三次系とを隔てるために設けられた、いわば存在そのものが安全装置の位置づけである。ここで漏洩事故が起こることを想定していなかったであろうことは、配管の真下に空調ダクトを設置していたことからも推察できる。おかげで漏洩後、空気中の酸素と反応してさらに高熱を発したナトリウムは、空調ダクトの漏れ落ちて穴をあけ、床や鉄製作業用足場に飛び散った。さらに空調を3時間も動かし続けたため、原子炉補助建屋の2割にもあたる4000平方メートルにナトリウム化合物が拡散してしまった。


 また、漏洩が起こるとすれば溶接部分であると動燃は考え、その技術には工夫を凝らしていたが、今回の事故は配管にとりつけられた温度計の「さや管」の破損から始まった。その後の調査で、「さや管」の設計を動燃がメーカーにまかせきりだったことが浮かび上がっている。
 想定外だったのは、漏洩が起こった場所だけではない。漏れたナトリウムを受けとめて反応させないまま地下タンクに流し込むために床に敷かれた鋼鉄板「床ライナー」に流れ落ちるナトリウム化合物の温度は、530度までと想定されていたが、実際には千度を超す部分もあった。その後の現場検証で、「床ライナー」の一部に溶融が認められた。
 

 そしてなにより動燃自身がみとめたように、大規模な漏洩こそ想定していたものの、今回のような1トン程度の中規模の漏れは想定しておらず、したがってその対応策は異常時運転員手順書のなかで十分にはマニュアル化されていなかった。中央制御室は発生から1時間半たってからようやく原子炉を緊急停止している。この間に漏洩が拡大したことはいうまでもない。
 
 事故とは、そもそも「想定」しないところから起こるものではあるが、「チェルノブイリ」もんじゅの事故も「想定外」が連続するなかで次々に対応が遅れて被害を拡大してしまった。

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原発事故 チェルノブイリと福島 ”よく似たにおい”------------

「原発事故を問うーチェルノブイリからもんじゅへー」七沢潔(岩波新書)は、福島第1原発の事故が、様々な点でチェルノブイリ原発事故と共通する部分があることを教えてくれる。

 チェルノブイリで大惨事が起こった時、日本の原子力関係者は異口同音に「日本では起こり得ない事故だ」と言ったという。確かに原子炉の型は違うようだが、正確な情報が公開されていなかった当時、なぜあの大惨事に至ったのかを、何も検証することなく発せられた言葉であったといえる。そして、結果的に、あの事故からほとんど何も学ばなかったのであろう。

 チェルノブイリでも、通報の遅れ、避難先延ばしによる住民の深刻な被曝、被曝許容線量の引き上げ、風向きを考慮しない30キロ圏住民の避難、汚染地帯への避難、汚染地帯での諸行事の黙認、事故後5日目のヨード剤の配布、情報隠し、事実の捏造などがあったという。

 チェルノブイリ原発の構造的欠陥を指摘する声を封じ、事故後もその事実を隠蔽し、責任を運転員の操作ミスで処理したソ連の巨大組織と真相を隠すことを黙認した国際組織。

 同書の著者七沢潔は、ペレストロイカにあわせて進められたグラスノスチ(情報公開)や、その後のソビエト連邦崩壊によって入手可能となった極秘文書、膨大な内部資料などに当たり、また、事故当時の原発作業員や関係する組織の学者、ゴルバチョフなど行政の関係者多数の証言を得て、『私にはもんじゅの事故の周辺に、チェルノブイリ事故が発しているものとよく似た「におい」が感じられてならない』と記していた。2013年3月11日、過酷事故は福島で起きた。

 チェルノブイリでも事故は「想定外」であった。原子炉の構造的欠陥を指摘する声は封じられ、「原子炉が暴走によって破壊されることはあり得ない」とされていたのである。したがって、原発の運転員や管理職は、原子炉の破壊を把握できず、適切な対応ができなかったのである。

 下記は、原子炉の構造的欠陥についてアレクサンドロフ原子力研究所所長に手紙を出したが、返事がないので、当時のゴルバチョフ書記長やルイシコフソ連首相に同主旨の手紙を送り、内部告発したというクルチャトフ原子力研究所安全部長ボルコフの証言の部分と、ソ連政府が世界に公表した報告書とは全く異なるソ連共産党中央委員会政治局に提出された事故報告書に関する部分である。チェルノブイリ原発事故の真相を知る上で重要な証言であり、報告書であると思う。
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                        第2章 隠された事故原因

<原子炉の欠陥>は、こうして隠された

内部告発

 史上最悪のチェルノブイリ原発事故は、それまで表向き一枚岩の固い結束を守ってきたかに見えたソビエトの原子力界に、目に見える形の亀裂を生んでゆく。
 事故から5日後の86年5月1日、クルチャトフ原子力研究所長のアレクサンドロフの机の上に、一通の手紙が置かれていた。そこには「事故の原因は運転員の操作ミスではなく、原子炉の欠陥にある」とはっきりと記されていた。しかも原子炉内部で起こった詳細な計算も添えられたうえで「制御棒の一斉投入による反応の急上昇、正のボイド効果による暴走」まで克明に書き込まれ、原子炉の改良策も示されていた。差出人の名は同じクルチャトフ研究所の原子炉安全部長、ウラジミール・ボルコフと書かれていた。


 私はこのボルコフという人物を探し、モスクワ市内のアパートにたずねた。ボルコフは3年前、ゆえあって脳卒中にたおれ、その後第2級の身体障害者となって在宅療養中だった。後遺症で言葉の発音が聞き取りにくいが、通訳を介して伝わるその内容は、かつてクルチャトフ研究所屈指の核物理学の論客言われたその人にふさわしいものだった。ボルコフは10年以上にわたる原子炉安全部長の在任中に、数々の事故を体験し、それを解析して安全性の向上に必要な提言を行うたびになめた辛酸をもとに、次のように話した。

 「事故のあとアレクサンドロフ所長に手紙を出したのは、実際の責任者ではなく運転員責任が転嫁されることがありうると思ったからです。私のそれまでの経験からして、今回も「炉はすばらしいが運転員の質が悪いために事故が起こってしまった」で済まされてしまうと思ったのです。それではいけないと思いました。もう10年もそんなことが続いてきたんですから。
 私が安全部長に就任した直後の1975年に、レニングラード原発で事故が起こりました。これは明らかに暴走事故だったのですが、真相は隠され、原子力界内部でも、原因は「圧力管が製造時のミスで欠陥品であったために破損した」ことにされてしまいました。私はこの時、本当の原因は原子炉の高すぎるボイド反応度係数にあることを報告書に書きました。
 冷却水のなかに蒸気が発生すると暴走しやすくなるこの性質は、原子炉の急速な巨大化に、炉のなかの反応の解析が追いつかなく成ったことから生じてしまいました。ソ連では当時、大型コンピューターの普及が遅れていたからです。
 75年に私がそれを指摘したら、研究所の指導部から「こんな問題の検討を続けるのならクビにするぞ」と、注意を受けたのです」


 実際クルチャトフ原子力研究所では、前任者の原子炉安全部長が、制御棒の本数を増やすことなど安全性向上策を提案していたが疎んじられ、別件の失敗を理由に解任されていた。

 「制御棒の欠陥についても、75年には運転員からの報告で知っていました。緊急停止スイッチAZー5を使ってテストをした時、千回のうち30~40回は出力が急上昇することがあったのです。こうしたことは研究者もみな知っていたんですが、しゃべれば身が危険だと思って黙っていたのです。現場の人々にたいしては、「われわれのほうが炉のことはよく知っていいる」という態度で押し通し、「君たちが運転の仕方を間違えたのだ」と言ってきたのです」

 ボルコフはチェルノブイリ事故の1年前にも、アレクサンドロフ所長に手紙を出し、「炉心の設計をすべて変更すべきだ」と進言したが、所長の側近が手紙を破棄してしまったという。
 「設計に携わった人々は、原子炉の欠陥を認めたら全部改善しなければならず、そんな面倒で金もかかることをやりたくないと思っていたんです。だから2000年までに200基の原子炉を稼働させるという党のプロパガンダを楯に「偉大なソ連の党と政治局が承認した化学が過ちを犯すことなどありえない。間違えるとしたら労働者しかいない」などと言って、政治の問題にすり替えてしまう。アレクサンドロフ自身も「RBME1000はワインを手作りする機械のように安全だ。赤の広場に置いてもよいくらいだ」と、一度ならず言っていたのです」


 チェルノブイリ事故5日後に出したボルコフの手紙をアレクサンドロフが知ったのは、5月14日だったという。なかなか返事が来ないので、ボルコフは思い切って、ゴルバチョフ書記長とルイシコフ・ソ連首相にも同様の趣旨の手紙を書き送った。この手紙は2人の手許に届き、ルイシコフ首相は、政治局会議の席上でそれを読み上げ、面前にすわるアレクサンドロフに感想を尋ねたという。それが5月14日だったのだ。
 ちなみに、ボルコフはその後、研究所内で「いじめ」を受け続けたという。そして、3年前のある日、職場で気分が悪くなり連れて行かれた病院で受けた注射がきっかけで、脳卒中を起こし、働けない体になってしまったという。ボルコフは、KGBが関与したことを疑い、その後、検察に調査を要請している。


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政府事故調査委員会の報告書

 86年6月末、シチェルビナ副首相が首班のソ連政府事故調査委員会は、チェルノブイリ原発事故の原因調査に関する最終報告書を作成し、ソ連共産党事故中央委員会政治局に提出した。
 1993年、私はそれまで機密扱いとなっていたこのオリジナルの報告書を初めて入手した。シチェルビナはじめ、科学アカデミー会員のレガソフ、ソ連電力電化省大臣マイオレーツ、中規模機械製作省次官メシコフら11名の政府事故調査委員会の公式メンバーが署名したこの報告書は、その後にソ連政府が世界に公表した報告書とはまるで違った率直さに満ちていた。
 まず、事故プロセスの説明において暴走・爆発に至る瞬間は、次のように記されている。

 午前1時23分40秒、運転員は緊急停止装置(AZ)を動かした。その時に、圧力管での蒸気量が増加していたことと、事故防護制御棒が下へ動き始めた時に制御防御システムのチャンネルから水が排除されたことによって、原子炉のなかの正の反応性が急に上がったため、原子炉の暴走を呼び起こした。

 ここだけ見るかぎり、1991年に出されるシュテインベルク報告書とまったく同じである。事故原因については、許可を受けていない実験を行ったこと、低い反応度操作余裕で操業したことなど、3点の運転員の規則違反が第1に指摘されたが、同時に正のボイド効果を持つ原子炉の欠陥、制御棒の構造上の欠陥も挙げられ、さらに設計上、反応度操作余裕の低下とその危険を運転員に即座に知らせる予告システムが欠けていたことまで指摘されている。


 そして事故の責任者としては、運転側から原発所長ブリュハーノフ、技師長フォミーン、ソ連電力電化省大臣マイオレーツらの名が挙げられ、設計側からは中規模機械製作省スラフスキー主任設計者ドレジャーリ、補佐をしたエミリヤノフ、学術指導者アレクサンドロフの名前が記されていた。さらに驚くべきことに報告書は、安全性に問題のあるRBMK型原子炉をこれ以上建設すべきでない、と勧告している。
 圧倒的な政治力を背景とした中規模機械製作省と、アレクサンドロスのペースで進んでいたはずの事故調査原因究明作業の結論がケンカ両成敗の形とはいえ、どうしてここまで公平に近いレベルに達したのか、その舞台裏を語る情報を、私は持たない。アレクサンドロフらの圧力に抵抗した電力電化省次官シャシャーリンの踏んばりや、クルチャトフ研究所原子炉安全部長のボルコフの内部告発が影響したのだろうか。いずれにしてもこの報告書をたたき台にした以上、原因究明の最終決着の場、ソ連共産党政治局会議が波乱に富んだ展開となったことは容易に想像できる。事故原因をめぐる戦いはここからがヤマ場だった。


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「もんじゅ」差止訴訟が問うたもの(前半)--------------

朝日新聞に連載された「プロメテウスの罠」は、元東電社員木村俊雄のおそろしい話を取り上げていた。木村は東京電力が運営する全寮制の学校「東電学園」を卒業、福島第1原発で研修し、新潟の柏崎刈羽原発で燃料管理の仕事をした後、福島第1原発に戻り、炉心の運転・設計業務に携わったという。

 彼の話を一言で言うと、原発推進は”利益優先・安全軽視”ということである。彼の話の中に「津波」に関するものがある。1991年10月30日、福島第1原発のタービン建屋で冷却用の海水が配管から大量に漏れ、地下1階にある非常用ディーゼル発電機が使えなくなったことがあったという。補機冷却系の海水配管が腐蝕していたため、そこから大量の水が漏れたのだ。そこで木村は、上司に
「津波が来たら一発で炉心溶融じゃないですか」
と言ったという。その返事が驚くべきものである。
「そうなんだよ、木村君。でも安全審査で津波まで想定するのはタブー視されてるんだ」
津波を想定すると膨大なお金が要る。だから無視する、ということなのであろう。

 東電幹部は、福島第1原発の事故は「想定外の津波によるものだ」と言った。しかしながら、それは、”利益優先・安全軽視”による「意図的想定外」と言えるのではないかと思う。

 下記は『高速増殖炉の恐怖 「もんじゅ」差止訴訟』 原子力発電に反対する福井県民会議(緑風出版)から、『第三 なぜ「もんじゅ」訴訟を提起するか』の、一から五を抜粋したものである。

 「もんじゅ」差し止めの訴訟が提起されたのは1985年9月26日である。それは、チェルノブイリ原発事故のおよそ7ヶ月前のことであり、ナトリウム漏洩事故の10年以上も前のことである。もちろん福島第1原発の事故前のことであることは言うまでもない。

 1995年の高速増殖原型炉「もんじゅ」の事故は、「想定外」の二次冷却系からのナトリウム漏洩であった。事故後、ナトリウムの検知が遅れたことや、事故時の停止措置が遅れたことも明らかになっている。自治体への連絡も遅れた。何も想定されていなかったのではないかと疑わざるを得ない。加えて、科学技術庁への虚偽報告やビデオの秘匿、改ざんも明らかにされた。そして、福島でも同じような過ちをくり返したのである。訴訟で提起されていたことをどのように受け止めていたのかと、疑問に思う。

 アメリカやイギリス、ドイツが、すでに高速増殖炉の研究開発は中止しているという。にもかかわらず、日本では福島第1原発の事故後もなお、沸騰水型や加圧水型の軽水炉原発はもちろんのこと、危険きわまりないプルトニウムリサイクルの中核としての高速増殖炉の稼働さえあきらめていない。利益に目が眩んで安全が見えなくなっているのか、あるいは、他に何かあるのか。
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                    第三 なぜ「もんじゅ」訴訟を提起するか

一、本件訴訟で問われているもの

1  「もんじゅ」建設問題は、昭和50年7月、敦賀市議会で初めて明らかにされ、以来地元敦賀市、福井県で、市政、県政
  の最大争点として論じられてきた。「もんじゅ」は、県民の安全と郷土の将来を決定的にする運命を握るにとどまらず、
  その影響するところは国民的レベルに到達する問題をはらんでいる。

2  今、「もんじゅ」は、既設軽水炉とは格段に質の異なる問題をかかえながら、それに立ち入った議論を経ることなく、原子
  炉と運命共同体を強いられる住民の真の合意を得ることもないまま建設着工を前にしている。
   生命の安全に対する危機に常にさらされ、未知の問題をかかえたまま、多大の犠牲を払ってまで住民は「もんじゅ」を受
  忍しなければならないのか。この訴訟はそのことを問うものである。

二、原子力実験場と化す若狭湾岸

1  福井県嶺南地域の若狭湾岸には11基の原子力発電所があり、「もんじゅ」を含む2基が建設、準備中、さらに3基が計
  画中の我が国最大の原子力発電所密集地域地帯である。設置者は被告動燃、日本原電、関西電力の三者により炉型、
  出力はさまざまで、計画中を含むと15基、出力1173万キロワットにのぼり、西独一国分の原発(12基、1030万キロワ
  ット)を優に越える。

2  この密集地帯のなかで「もんじゅ」建設が予定されている敦賀半島は、加圧水型軽水炉、沸騰水型軽水炉、新型転換
  炉、高速増殖炉の、計7基が集中する。なかでも昭和45年に運転を開始した沸騰水型敦賀1号と加圧水型美浜1号は
  老朽化し、敦賀1号では、配管のひび割れや応力腐蝕割れが相次いだ。56年には、たまる一方の放射性廃棄建屋の増
  築部で大量の放射能が海洋に流出する事故を起こし、県民に多大の不安と被害を与えた。美浜1号は、47年から蒸気発
  生器細管の減肉、ピンホールが頻発し、全細管の4分の1が使用不能のままであるばかりか、炉心溶融事故につながる
  燃料棒折損という重大事故が、国にの立会い検査があったにもかかわらず3年半も隠されていた。この2つの原子力発電
  所は、明らかに健全性を失った欠陥炉であるが、敦賀1号では、61年から、わが国で初めての実験となるプルトニウム・
  ウラン混合燃料を軽水炉で燃焼させるプルサーマル実験が予定され、美浜1号も、やがては同様の実験を行うことになっ
  ている。新型転換炉「ふげん」は日本で自主開発された実験型炉であり、これに「もんじゅ」を加えると、敦賀半島は日本に
  おける原子炉の大型実験場そのものというほかない。

3  また高浜、大飯を加えると、若狭湾岸は巨大化、多様化、密集化の一大原子力実験場である。過去相当数の事故、故
  障が若狭湾岸すべての原子力発電所で起こった。公表されただけでも、年間30件は毎年起こっている。TMI事故 
(ス
  リーマイル島の事故)
以後安全管理が改善されたといわれるが、大飯1号のECCS誤作動事故、高浜2号の96トンもの
  一次冷却水漏洩事故、敦賀1号廃液漏出事故、大飯2号圧力容器付属器粒界割れ事故は、いずれもTMI事故以後に起
  こり、重大事故に属するものであった。住民は「安全性が高く信頼がおける」とされてきた既設軽水炉においても、いくつか
  の生命不安をいだかざるをえない経験に遭遇しているのである。そして事故の確率は、集中すればするほど、実験的であ
  ればあるほど高くなるはずである。このように集中化した危険に、更に「もんじゅ」を加えることは到底許されない。

三 憂慮すべき環境汚染

1  集中化した原子力発電所は、大量の温排水を海に流し、その排出量は増大している。若狭湾岸稼働11基の原子力発電
  所から排出される温排水量は毎秒541トンに及び、福井県下最大の九頭竜川を4つ合わせた流量に達しようとしている。
  その影響は、深さにおいても、広がりにおいても、当時「予測し、実験した数値をはるかに超えている。それが沿岸漁業に
  どのような影響を及ぼすのかの観測が始まったことは、漁業への影響はないとの当初の予測の破産を示している。また、
  放水口付近には、コバルト60、マンガン54、トリチウムなどの放射性物質が確実に蓄積されつつあり、大量温排水と放射
  能の影響は漁業資源の将来を脅かしている。

2  陸上では、原子力発電所から放出される放射能の影響を観測するために、住民たちがムラサキツユクサの実験を行っ
  てきた。微量放射能が生物体に与える影響を観るこの実験は、高浜原発、大飯原発、敦賀原発の各周辺をとりまく形で、
  51年から現在まで10年間の観測が続いている。その結果は、原発が運転中の風下方面のムラサキツユクサに有意な
  突然変異率の上昇のみられることが共通している。このことは微量放射能、放射線が長期間にわたれば生物(人間)に対
  し身体的、遺伝的影響を与えることを示している。地元の原発労働者被曝に加え、地域全体の被曝線量は増大し、子供へ
  の影響は無視しえないだろう。

四 防災対策の不在

1  原発密集地帯は、日本有数の観光である。夏の海水浴シーズンには、15万人の人口が10倍以上にふくれあがり、
  中都市と同一人口のリゾート地と変貌する。これに対応する原子力災害の防災体制は何らないといってよい状態であ
  る。TMI事故(スリーマイル島原発)以後、原子力安全委員会の指針に基づいて策定された福井県原子力防災計画は、
  これまでにわずか年1回、行政レベルの担当者間の通報連絡訓練が行われているに過ぎない。同計画によれば、空間
  ガンマ線量率が毎時1ミリレントゲンに達して、初めて災害対策本部の設置準備が開始される。しかしこの段階では、す
  でに環境放射能は平常時の100倍に達しているのであり、このような防災対策は有効性を欠いている。災害発生をい
  かに早くキャッチし、公衆へ周知させ、避難させるのか。そのことを住民はもっとも強く望んでいるのである。原子力発電
  所から逃れることが許されず、原子力発電所とともに日々を営まざるをえない住民は、事故が起こらないことを念じ、か
  つ起こった場合のことが常に頭から離れない。現行防災計画は、住民のこうした期待に応えうるものとはほど遠い。

2  とりわけ、前述した海水浴シーズンに地理不案内の県外海水浴客があふれ、路が十数キロにわたって渋滞する際に
  は、全く打つ手がないほど大混乱を生ずる恐れがあろう。
   しかも、夏期シーズンは、電力需給のピークに当たり、原子力発電所はフル稼働で運転しなければならない時期であ
  り、事故の際の 影響も大きいのである。


五 住民の声をふみにじった「もんじゅ」開発

1 バラ色の夢は破れて
    原子力発電所設置の大前提は住民の同意であるとされてきた。しかし、福井県の原子力発電所新増設は住民同意
  を裏付けに進められたものではない。確かに敦賀1号、美浜1号など当初は国の主張する「安全性」と「経済性」を信じ、
  国策としての軽水炉建設を受け入れた若狭湾岸の住民も多かった。見たことも、経験したこともない先端科学の判断を、 
  住民や自治体がもちうるはずもなく、国の専門家にゆだねるしかなかった結果であった。
   しかし、実際に運転に入ると、1年も経たないうちに、今日に連なる原子力発電所の様々な問題点が露呈しはじめた。
  事故、故障が相次ぎ、稼働率は計画をはるかに下回り、放射能が環境から検出され、労働者が被曝した。建設と同意し
  た時点と、運転に入った時点では、状況は大きく変わったのである。

2 高まる原発不信「もんじゅ」反対の世論
    住民は既設原発の安全性に疑問をもち始めた。しかしその頃には、既に漁業権を放棄し、売却済みの原発敷地には、
  2号、3号と増設が進められていたのである。「できあがって動いている原発をとめることはできなくても、もう、これ以上
  福井県に原発をつくらせるのはゴメンだ」という思いが県民世論として一気に広がった。
   昭和51年10月「高速増殖炉等に反対する敦賀市民の会」は、敦賀市を中心に「もんじゅ建設反対」で3万665人の署
  名を敦賀市長に提出した。
   昭和52年9月「原発に反対する福井県民会議」は、10万2464人の署名をめて知事と県議会へ要請した。この署名は、
  「原発はもうたくさん。『もんじゅ』建設をはじめいっさいの新増設に同意しないこと」を趣旨としている。そして、この署名数
  は県政始まって以来の最大数といわれた。同年11月には、「もんじゅ」をはじめ原発施設の設置に関する市民投票の条
  例制定を求め、敦賀市で直接請求運動が始められようとした。ところが市長は、請求代表者の資格証明書交付を不当に
  も拒否したため、市民が直接「もんじゅ」可否を行政に反映させる手段は奪われたのである。56年9月、「もんじゅ」建設
  反対署名は知事と県議会へ出され、その署名者は10万9487人に及んでいる。


3 「もんじゅ」反対は県民の声
    このように、県民の「もんじゅ」反対の声は圧倒的な数をもって明らかにされてきた。しかし、国は、住民を代表する
  機能を失った議会や自治体の形式的な同意を得て、住民の意思をふみにじって、「もんじゅ」の建設手続きを強行して
  きた。
   このような中で、住民は「もんじゅ」に対し、毅然と反対し続け、安全審査手続きのなかでも、「もんじゅ」に関する公開
  質問書、公開ヒアリングの開催に関する改善要求を科学技術庁及び原子力安全委員会に提出したが、何ら誠意ある
  回答はえられなかった。
   かくて、住民の疑問に答えることなく、又その同意をえることもないままに「もんじゅ」建設手続きは強行されてきたので
  あり、生涯、更には子孫の代まで危険を負担しなければならない地域住民に重い十字架を課さんとしているのである。


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「もんじゅ」差止訴訟が問うたもの(後半) --------------

 「もんじゅ」のような高速増殖炉は、軽水炉型の原発とは異なり、コントロールが極めて難しいという。そして、事故が発生した場合、福島第1原発のようなメルトダウン(炉心溶融)による放射能の放出・拡散にとどまらず、下記に記されているように、「核爆発」に至る可能性があるというのである。事故の可能性が大きく、「核爆発」に至るおそれのある「もんじゅ」を、今の状態で稼働させようとするのは、違法ではないか、と思う。

 旧ソ連のチェルノブイリ原発(黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉)の事故は、福島第1原発のようなメルトダウン(炉心溶融)にとどまらず、炉心が融解し、爆発したとされている。「原発事故を問うーチェルノブイリからもんじゅへー」(岩波新書)の著者(七沢潔)によると、旧ソ連の3ヶ国(ロシア、ウクライナ、ベラルーシ)で、事故後、汚染された土地の上に住む人々は、500万人。その汚染地帯の総面積は13万平方キロメートルで、日本の本州の57%に相当するとのことである。(汚染地帯:「チェルノブイリ事故被災者の社会保障に関する法律」<1991年採択>で、汚染地帯として認定され、保障措置の対象とする、1平方キロメートル当たり1キュリー以上のセシウム137に汚染された土地)
 そればかりでなく、爆発後の火災の鎮火やさらなる被害の拡大防止、放射線の遮断作業などに従事した原発運転員・消防士・軍人・予備兵・炭鉱労働者などが多数、急性放射線障害で亡くなっている。人海戦術で建設された「石棺」の作業者だけでも20万人にのぼるという。その後、どれほどの人が放射線障害で亡くなり、苦しんでいるのか。住民にも、多くの被爆者が出たことが報告されているようであるが、正確な情報はない。
 「もんじゅ」で「核爆発」が起これば、被害はさらに深刻であろう。「核爆発」は、水素ガスの爆発による建屋の崩落とは、意味が異なるのである。

 その「もんじゅ」に関して、朝日新聞は、2013年5月13日付けで、”原子力規制委員会は近く、日本原子力研究開発機構に対し、原子炉等規制法に基づき、高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)の使用停止を命じる方針を固めた”とトップ記事で報じた。内規に違反し、1万個近い機器の点検を怠っていた問題を重くみたのだという。

 今回のような使用停止命令に踏み込むのは初めてであるというが、問題はそうした「怠慢」だけではない。もちろん、そうした怠慢やくり返された情報の隠蔽、改ざん、捏造なども問題ではあるが、さらに重要なのは、事故をくり返しているという現実であり、リスクの大きさである。今こそ30年近く前の”「もんじゅ」差止訴訟”が提起した問題をしっかり受け止め、根本的に考え直すべきだと思う。

 下記は『高速増殖炉の恐怖 「もんじゅ」差止訴訟』原子力発電に反対する福井県民会議(緑風出版)から「第三 なぜ「もんじゅ」訴訟を提起するか」の中の六~九を抜粋したものである。
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六 軽水炉にはない「もんじゅ」の危険性

1 
スケールアップの危険性
 「もんじゅ」は小型実験炉と大型実証炉の中間に位置する原型炉である。実用炉とされている軽水炉でも、いまだに予測もされなかった事故、故障が起こり続けている。ました原型炉では、何が起こるかわからないという問題がある。「もんじゅ」は、先行する実験炉「常陽」(5万KW)に比してスケールアップや性能など技術的にはるかに厳しい条件におかれているうえ、軽水炉にはない高速増殖炉固有の危険性を備えている。


2 
炉心崩壊の可能性
 まず、炉心の出力密度が軽水炉に比して大きく、熱のバランスがくずれると急速に温度が上昇し、燃料棒の破損、ナトリウムの沸騰をもたらしやすい。何らかの原因で炉心全体、あるいは一部の冷却効果が低下すると炉心の破壊、崩壊、溶融に至る危険性は、軽水炉より、はるかに大きいのである。


3 
核爆発は起こりうる
 軽水炉では、少なくとも核爆発は起こらないであろうとかんがえられているが、高速増殖炉は、炉心に異常が起こり、ナトリウムの気泡が発生し、原子炉の緊急停止に失敗するという事態が起これば大暴走→核爆発に至る可能性を秘めている。軽水炉では、炉心溶融という事態になっても、こうした核爆発はまったく考慮されていない点と比較すると、その危険性は重大である。


4 
ナトリウムの危険性
 冷却剤に使用されるナトリウムは、水や空気にふれると激しく反応し、爆発的に燃える性質を持っている。ナトリウムと水、空気との接触を完全に断つことは困難であり、思わぬ事故や故障で、押さえ込まれていた危険性が表面におどり出し、事態を一層悪化させる可能性は否定できない。



プルトニウムの危険性
 軽水炉の数十倍のプルトニウムを炉心にかかえこむ高速増殖炉で炉心溶融事故が起こった場合、蒸発、飛散によって微粒子となった大量のプルトニウムが放出され、住民を襲うことになる。西独が計画している高速増殖炉原型炉SNR-300(30万KW)について米国の科学者リチャード・ウェッブが行った評価によれば、核爆発による大規模な放射能放出が生じれば、一定の気象条件の下では16万平方キロメートルの土地を放棄しなくてはならないとされている。



七 プルトニウムの管理は不可能
 プルトニウムは、この世で最も毒性の強い物質の一つである。プルトニウム239の半減期は24000年で半永久的に消滅せず、体内にとりこまれると長く留まり、まわりの組織を長期間被曝し続ける。「もんじゅ」はこの猛毒物質を最も大規模に生産し利用する。プルトニウムの管理は、安全面で極めて厳しい条件下に置かれざるをえない。同時に核兵器の材料であることから軍事転用の危険性に歯止めをかける厳重な管理体制が必要とされるとして国民に対するあらゆる面での管理を強化する危険性も増大している。このようなプルトニウム管理社会は基本的人権を侵害し、民主主義の原理と相容れない。

 
 プルトニウム燃料の取得、加工の計画も明らかにされず、使用済燃料の再処理のメドも不確かなまま「もんじゅ」が運転されることになれば、過剰なプルトニウム、使用済燃料が施設内にあふれることになろう。その存在は各種の危険につながっていく。プルトニウムを完全に隔離し、安全に管理する方法は、未だ見い出すことができないのであり、このようなプルトニウムの大量利用に道を開く「もんじゅ」建設は許されない。 
 
八 「もんじゅ」は壮大なムダ

 高速増殖炉の開発には各国とも膨大な費用が投じられてきた。「もんじゅ」は昭和54年当初の建設見積もりが4000億円とされたが、早くも5900億円に修正された。80年代に「もんじゅ」に投じられる開発費は1兆円をこすものと予想されている。
 高速増殖炉は、軽水炉に比べて破格の建設費を要し、使用済み燃料貯蔵施設、燃料生産、輸送、再処理、廃棄物処理、廃炉の各段階を含めると、必要な経費は見当もつかない巨費にのぼろう。しかも、高速増殖炉核燃料サイクルのほとんどが未だ研究段階にあり、開発のメドは全く立っていないのである。アメリカのクリンチリバー原子炉は、当初予算の10倍をこえる建設費の高騰で、建設を中止し、西独のSNR-300もまた、4倍も建設費がふえたために建設を差し止められている。

 安全上の問題を多くかかえ、巨額の投資をしてまでも「もんじゅ」建設が急がれているのは、増殖の効果への期待とされる。しかし、高速増殖炉自体の増殖が意味を持つのには何十年も原子炉の運転を続けた後であり、それまでに要する費用を考えると経済的には全く意味をもたない。「もんじゅ」建設は壮大なムダと評するほかないものである。


九 結論

 若狭湾岸の既設原発11基だけでも、住民にとってその十字架は重すぎる。行き場のない廃棄物、廃炉のお守り。既に郷土は死の灰にいたるところまみれている。そのうえ、さらに「もんじゅ」を建設することは、子々孫々の未来までをも奪うことであり、人間として許されるべき行為ではない。そして何より住民は”モルモットにはなりたくない”と叫ぶのである。「もんじゅ」建設差止めは、福井県民全体の悲願である。我々は、必ずやこの裁判で「もんじゅ」の危険性が裁判所に十分理解され、その建設運転の差止めを認める判決が下されるものと確信するものである。


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原発事故 許容被曝線量 晩発的影響 NO1--------------

福島第1原発の事故直後、テレビやラジオのニュースなどで「ただちに人体、健康に影響はない」というような言葉を何度も聞いた。
 ソ連でも、チェルノブイリ原発の事故後、「汚染地域で生活する人の全生涯に、事故によって上乗せされる被曝量が、350ミリシーベルト程度かそれ以下であれば、住民への医学的な影響は問題にならない」といわれた。

 しかしながら、放射線障害は急性放射線障害だけではない。晩発的影響があることを無視することはできないのである。そして、その晩発的影響が進行するリスクは、どんなに小さな被曝の下でも現れうるという。いわゆる「しきい値」はないというのである。この「直線しきい値なしモデル(LNTモデル)」が、国際放射線防護委員会(ICRP)において、人間の健康を護るために最も合理的なモデルとして採用され、国際的な安全基準となっていることを忘れてはならないと思う。現在では、WHOも旧ソ連3カ国で多発している小児甲状腺ガンがチェルノブイリ事故による放射能の影響であることを認めているという。

 チェルノブイリ原発事故後の1988年、ソ連放射線防護委員会(NCRP) が引き上げた許容被曝線量「生涯70年350ミリシーベルト概念=70年35レム説」によって、汚染地域からの移住を含めた様々な措置や、汚染地でのほとんどの規制が解除されることになったという。その結果、ベラルーシでは、ソ連放射線防護委員会(NCRP)を主導したイリイン教授などの予測の10倍を超える小児甲状腺ガンが、事故後35年間ではなく、たった10年間に確認されることになったという。対応が困難であったために引き上げられた許容被曝線量によって、予想をはるかに超える晩発的放射線障害が発生したのである。そして、その晩発的放射線障害が小児甲状腺ガンのみではないことはもちろんである。

 このソ連の「生涯70年350ミリシーベルト概念=70年35レム説」の許容被曝線量は、1年間では5ミリシーベルトになる。ところが、福島第1原発の事故後、文科省が設定しようとした子どもの許容被曝線量は、年間20ミリシーベルトであった。文科省は「子供の被ばくを年間20ミリシーベルト以下に抑えるため、国の調査結果で毎時3.8マイクロシーベルト以上を検出した福島、郡山、伊達各市の計13校・園に対し、体育などの屋外活動を1日当たり1時間に制限するよう通知した」のである。年間20ミリシーベルトという、ソ連の設定した4倍の被曝を子どもに許容しようとしたのである。国際的な医師団体を含め、日本国内はもちろん、世界各地から批判の声が上がったようである。晩発的影響を無視するかのような線量であり、当然であると思う。

 「チェルノブイリ 極秘」アラ・ヤロシンスカヤ著・和田あき子訳(平凡社)には、こうした問題を取り上げている部分がある。それが、下記である。

 註:単位と国際放射線防護委員会許容被曝線量について
  ○ 1 Sv = 100 rem[1] = 100,000 mrem (ミリレム)
  ○ 1 Sv = 1,000 mSv(ミリシーベルト) = 1,000,000 μSv(マイクロシーベルト)
  ○ 許容被曝線量 - 国際放射線防護委員会(ICRP)では、
             一般人については、年間1mSv。
             放射線作業従事者は、任意の5年間の年平均で20mSv

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                         第1部 わが内なるチェルノブイリ

「子ども達の健康は心配ない」


 ・・・

 …自分たちの「70年35レム」説がほぼ1990年まではいろいろな政府決定の基礎になってきたのであり、まさにこの「政府系」学者グループは、今日、4年間汚染地区で暮らし続けていた人びとに対して、2年間にほぼ20レム以上を「一気に」取り込んだ子どもたちに対して、責任の重みを感ずるべきである。つまり彼らは連邦および共和国の政府、政治指導者とともに、あらゆる集会、ミーティング、集いで悲嘆にくれた母親達の「なぜなのか」という質問に答えるべきである

 ナロヂチでのそのような会合の一つで、ソ連邦医学アカデミー生物物理学研究所実験室長のV・A・クニジニコフ教授は、大真面目にこう語った。
「世界中の被曝研究のいずれにおいても(ヒロシマでもナガサキでも、平均線量が52レムであった1957年のウラルでの事故後のわが国でも、鉱山の運転手、レントゲン医師等々のその他のデータによっても)100から50レムの線量を受けても遺伝子の破壊やガンの頻発は記録されなかった」と。


 これに対して会場から我慢しきれずに、「ここでヒロシマは関係ないでしょう、われわれのところには、他の放射性核種が落ちてきたのですから」という声があがった。教授は、間髪を入れずにこうかわした。「そうですね、あなたがおとぎ話の方に興味を持っておられるのでしたら……」と。しかし、長年嘘に苦しめられてきた人びとは、「おとぎ話」などに一度だって興味を引かれたことはなかったのだ。だから会場はクニジニコフ教授に対して一斉に「拍手をして話をやめさせようとした」。実際にこのような比較は、正当な根拠のあるものなのか。
 ヒロシマに落とされた原子爆弾は、全部で4.5トンであった。チェルノブイリ原発4号炉は、大気中に微粒子の形で50トン(!)の二酸化ウラン、高放射性核種のヨウ素131、プルトニウム239、ネプツニウム239、セシウム137、ストロンチウム90など、いろいろな半減期を持ったその他の放射性同位元素を放出したのである。さらに約70トンの燃料が炉心周辺部分から放出された。これに加えて事故を起こした原子炉のまわりでは、原子炉の放射性黒鉛およそ700トンがまき散らされた。一般的にチェルノブイリは、寿命の長いセシウムだけをとってみても、ヒロシマの300倍であり、そのセシウムは炉外に飛んでいったのである。
 
 学者たちに、このことがわかっていなかったなどということがあるだろうか。
 ところが、それにもかかわらず、公的医学界は自分の立場に固執しつづけ、自分たちの立場を保持するために、次々に新しいあらゆる拠り所を探し出した。クニジニコフ教授が、その集会で押し出した「論拠」の一つはこういうものであった。「アルゼンチンでは20年間に100レムという線量が政府によって採用されている」。欺かれ、病んでいる人たちにはそれはたいした慰めにはならなかった。アルゼンチンでは、われわれと違って、「ヨーロッパの核戦争」の影響のただ中に暮らしているというわけではない。本質的に、チェルノブイリはその規模からして核戦争に匹敵するものである。それと比べるべきものは存在しない。アルゼンチンも、ヒロシマも、ウラルも。クニジニコフ教授もイリイン教授もグシコーワ教授もチャーゾフ教授もそれを理解していないというのか。


 ・・・

 私は、国内で最も権威のある情報源の一つである『ソビエト大百科事典』を開いて、読んでみた。「線量。年間5レムの被曝線量が職業被曝の場合許容線量とされる」と書いてある。たった一つの州の、ナロヂチ地区の12の村の住人たちだけでも、自分はそれとは知らずに、原発で働く職業人たちと同じ条件の中で3年間暮らしていたということになる。それも休暇、年金、医学管理といった特典もなしに。

 V・A・クニジニコフ教授は言った。
「何度かの被曝で線量が25レムか、あるいはそれ以下でも、最も感じやすい人には、血液に一過性の変化が観察されるが、それは3-4週間の間に消える。いかなる健康障害も起こらない」
 『ソビエト大百科事典』ではさらにこうなっている。
「1回の被曝で一部の細胞の増殖能力の抑制を呼び起こすガンマ線最低線量は、5レムとされる。長期にわたって、毎日0.02-0.05レムの線量を浴びれば、血液に原初的変化が観察され、0.11レムの線量では腫瘍の形成が観察される。被曝の晩発的影響については、子孫の突然変異の頻度の増加によって判断する」。ああ、今日これらの晩発的影響そのものが現れはじめているというのに。ナロヂチ地区ではこの数年「モンスター」の数が顕著に増えている。事故から3年してコルホーズの畜産場では、突然変異の豚が19頭と子牛37頭が生まれている。手足がなかったり、目、肋骨、耳がなかったり、頭蓋骨が変形していたりする。あるコルホーズでは8本足の子馬が生まれた。


 ここに興味深い学者の文書が2つある。
「電離性放射線の作用には、『しきい値』がないという仮説によって、晩発的影響が進行するリスクは、どんなに小さな被曝の下でも現れうることを覚えておく方がよい……」
 2つ目は次のようなものである。
「地球規模での放射性降下物の晩発的影響を測るために、線量値として2.16レムを取り上げてみよう。地球のすべての住人にとって、核災害でこの世の平均的な人間が2.16レムの線量を被曝した結果起こる致死性腫瘍の数は、20年間で120万件となり、これに対応する遺伝的影響の総数は、38万人となる」


 これらの筆者は誰か。きわめて興味深いことに、これらは尊敬するE・I・チャーゾフ、L・A・イリイン、A・K・グシコーワ教授が書いた著書『核戦争の危険性』と『核戦争──医学的=生物学的研究』から取ってきたものである。そうなのだ、これはチェルノブイリ原発での爆発前、つまり1982年と1984年に書かれている。学者たちは、私が推測するところ、まさに学問的に裏付けられたデータを引きながら、世界に警告していたのである。
 それがチェルノブイリ原発事故後、彼らに何が起こったのか。
 ここに書かれている学問的結論を、なぜ数年のうちにあれほど急激に変えたのか。なぜ今日アカデミー会員、L・A・イリインは既成の理論を擁護して、「数百の村の移住の問題とは、人びとが慣れ親しんだ快適さを奪われるところの、習慣になった生活形態の破壊という深刻な行為である」といった、学問とはほど遠い論拠を押し出しているのか。1989年11月18日の『ソビエト文化』紙に掲載された論文「ザブレヂュール」で有名な映画監督であり、国家賞受賞者のヂェムマ・フィールソワはこのことに関連して理にかなった質問をしている。「アカデミー会員はいかなる快適さを考えているのか。一体、いかなるものを。30ル-ブリの『棺桶代』をか。液体放射性廃棄物や子どもたちの際限のない発病を思わせる『汚染された』牛乳をか」と。


 よく知られているように、まさにメーデーの時期に放射能は市を直撃していたのに、キエフの子どもたちが5月7日になってはじめて疎開させられたのは、アカデミー会員イリインの説によってではなかったのか。



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