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-------------日米地位協定と辺野古弾薬庫5・15メモの記述------------

 「5・15メモ」は、通常われわれ日本人が、日常生活で使っているような意味での単なる「メモ」ではない。沖縄返還の過程で、日米地位協定をめぐって取り交わされた公文書であり、施設分科委員会の日米合同委員会で承認・署名されたものである。
 ここでは、その「5・15メモ」から核兵器貯蔵問題をかかえる「辺野古弾薬庫」の使用条件などを定めた部分を、「日米行政協定の政治史ー日米地位協定研究序説」明田川融(法政大学出版局)から抜粋した。
 問題はいくつかあるが、まず辺野古弾薬庫の使用に関して、詳細な取り決めをしているにもかかわらず、肝心の貯蔵物に関しては、何の記述もない。そのため、地元関係者は”核兵器があるからである”と疑っているという。核兵器に関しては、後に、沖縄返還交渉の際、佐藤栄作首相の密使として舞台裏で交渉に関わった若泉敬が、その著書「他策ナカリシヲ信ゼント欲ス」で、緊急時の沖縄への核兵器の貯蔵権および通過権は認めざるを得なかった事実を明らかにした。また、佐藤栄作首相がサインした秘密合意議事録も発見された。それには辺野古のみでなく、当時、沖縄に現存する核の貯蔵地、嘉手納、那覇、ナイキ・ハーキュリーズ基地も核持ち込み可能な状態で維持することが記されていた。非核三原則を掲げた佐藤栄作首相の「核抜き・本土並み」返還は、アメリカに受け入れてもらえず、表向きのこととなり、実際は密約によって事が進められた、ということであろう。
 また、著者の解説にもあるように、「この弾薬庫の使用や米国政府の活動から生ずることのある財産損害、傷害、さらには死亡に対して地位協定第18条の規定に基づく義務を負わないと明記している」ことも問題であり、沖縄県の地位協定改正要求案で指摘されている第18条に関わる部分である。さらに、使用期間が無制限という取り決めも、独立国家間の取り決めとしては、考えにくいものではないかと思う。
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2 地位協定の沖縄への適用 ── 公表された「5・15メモ」との関連で
 ・・・
 この「5・15メモ」は、狭義には沖縄施政権返還にあたって米軍に提供する施設・区域の使用目的、使用期間、使用条件などを定めた日米合同委員会施設分科委員会メモで、1972年5月15日未明(自午前0時○1分同1時○○分)に外務省で行われた日米合同委員会第251回会合で承認・署名され、同会合の議事録に同封されたので、その名がある。なお、同会合では上記メモの他にも沖縄に所在する在日米軍通信施設・区域における電波障害に関する合同委員会メモ、国際連合の軍隊による在沖縄合衆国施設・区域の使用に関する日本側提出メモ、国際連合の軍隊による在沖縄合衆国施設・区域の使用に関する米側提出メモ等、少なくても10件の取り極めが承認・署名もしくは提出されている。

 まずこのメモ全般を通じて気づくことは、メモを承認する合同委員会が沖縄返還当日の未明に開催され、しかも同委員会が50分という時間の間に100件近い取り極めを処理していることである。この措置は、沖縄の基地提供はそれらを含めて沖縄がいったん日本に返還された後でなされ、しかも返還後できるだけ速やかに─ほとんど間断なく─行われるよう意図されたためであろう。次いで「5・15メモ」においては大半の施設・区域の使用期間が「無制限」indefinite((外務省・防衛施設庁の作成した仮訳では「定めず」)とされていることである。これは文字通り、米軍による沖縄の施設・区域使用に制限がないと見るべきであろう。米軍はいつそれから撤退してもよく、またそれらをいつまで使用してもよいとうことが合意されたのである。そして、さきの佐藤・ニクソン共同コミュニケ第5項、ジョンソン国務次官によるその背景説明などからみて、「5・15メモ」の眼目は後者にあったと考えるのが妥当であろう。

 以下、具体的な施設・区域については、「5・15メモ」の内容を検証していきたいが、すべての事例について見ることは紙幅の都合から不可能である。そこで、、①若泉の言う秘密合意議事録でも言及されている辺野古弾薬庫、②県道104号線超え実弾砲撃の当該施設であるキャンプ・ハンセン演習場、③アジア・太平洋地域における米軍最大の空軍基地である嘉手納空軍基地、④「5・15メモ」公表のきっかけとなる劣化ウラン弾発射事件の舞台となった鳥島射爆撃場という4つの事例をここで取り上げることとしたい。

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①辺野古弾薬庫 
                 施設分科委員会
                                      1972年5月15日
メモ番号 870
メモの宛先:合同委員会
件名:辺野古弾薬庫
1、参照文書:日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国に
  おける合衆国軍隊の地位に関する協定
2、参照文書の第2条第1項(a)の諸規定に従い、合衆国政府が、以下に記され、同封の諸文書に示される施設および区域
  の使用を許与されることを合意する。
 a、施設名:辺野古弾薬庫
 b、施設番号:FAC 6010
 c、所在地:沖縄県名護市字二見字辺野古
 d、主たる使用目的:弾薬庫
 e、区域の範囲:大略は同封の1、2、および3に示すとおり。
  (1) 陸上区域:同封の3に示すとおり
  (2) 合衆国所有以外の建物:なし
  (3) 水域:同封の2に示すとおり、北緯26度32分25・5秒 東経128度02分
     25・7秒と、北緯26度31分40秒、東経128度02分51秒の、陸地から50メートルの距離に接する水面域
 f、使用期間:無制限
 g、備考: 
(1) 使用要件:上記第2項の水域は、陸上施設の保安のため常時に使用される。
  (2) その他
   (a) 参照文書の第2条第4項(a)の諸規定に基づき、以下の使用が許可される。:
      沖縄電力株式会社は、かかる公益事業体(筆者註 沖縄電力のこと)が所有し、管理し、または規制し、本施設
      および区域内にあるユーティリティ・システムの下部または上部の土地の共同使用を許可される。上記の土地の
      正確な位置は、現地調査によって確定され、このメモの修正によって追加される図面上に表示される。
 
    1、合衆国政府は、要請されたときはいつでも、これらシステムの運用に関わる検査、保守、修理およびその他の
      作業を目的とするユーティリティ保守人員の出入りを保証する。
    2、合衆国政府は、許与した使用の行使から生じることのある、もしくはそれらの使用に付随することのある一切の
      財産損害、もしくは使用者の職員、代理人、使用人、被用者、ないしはそれらの招きにより、もしくはそれらのい
      ずれか一の招きにより前記構内に在る他の者に生じる傷害、死亡に対し、地位協定第18条の諸規定による義務
      を何ら負わない。ただしかかる損害、傷害、死亡が在日合衆国軍隊構成員の側の故意の、または悪質な違反行
      為によって生じた場合は除く。前記の使用者は、許与された使用の行使に起因する人身もしくは財産に対する損
      害に対して十分の責任と義務を負い、従って合衆国政府は、責任を負わないものとする。

   (b) 上記2の、eに記された水域内において、日本国政府は、永続的投錨、破壊、建設、ならびにいかなる種類の永続
      的使用も許可しない。合衆国政府は、この水域内における漁業および海産物の採集を制限しない。

3、本件を承認するよう勧告する。
 同封された3文書:
 1、1971年6月30日付 技術部関係図面 15-09-120
 2、1972年3月27日付 辺野古弾薬庫(A10)水域図面
 3、1971年8月24日付 「辺野古弾薬庫」と題する位置および境界地図
  (合同委員会ファイルにのみ)
    1972年5月15日受領、合同委員会へ付託

     Y.Shimada                             R.W.Belt
     Y.SHIMADA                            R.W.BELT
     日本国側議長                          合衆国海軍大佐
                                        合衆国側議長

    1972年5月15日、合同委員会により承認

     Bunroku Yoshino                         Richard M.Lee
     BUNROKU YOSHINO                      RICHARD M.LEE
     日本側代表                            合衆国軍少将
                                         合衆国側代表

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 若泉の言う秘密合意議事録で言及され、また以前から核兵器貯蔵疑惑がとりざたされてきた辺野古弾薬庫の使用条件などを定めたこのメモからは、2つのことが指摘されよう。第1点は、貯蔵物リストなどの貯蔵物に関する具体的な記述が、何ら、付されていないことである。これはやはり「秘密の合意議事録」で言及されて、鳥島で使用された劣化ウラン弾の貯蔵庫であった嘉手納弾薬庫についても同様である。このため地元では、核兵器があるからこそ貯蔵物に関する具体的な記述がないのであり、さらなる密約が存在するものという疑惑を生む結果となっている。

 第2点としては、地位協定第18条の認めている請求権と賠償の適用を受けない場合の規定が置かれていることである。同協定は公務中の米軍構成員または被用者の作為もしくは不作為による損害から生ずる請求権について、「合衆国のみが責任を有する場合」には、補償額の75%を米国が、25%を日本が分担すると規定し(第18条、5、(e)(1))、「日本国及び合衆国が損害について責任を有する場合」には、双方が均等に分担するとしている(同 (ii))。しかしながら、右のメモは、合衆国軍隊の構成員の故意または悪質な違反によって生ずるものである場合にはこの限りでないという但し書きはついているものの、この弾薬庫の使用や米国政府の活動から生ずることのある財産損害、傷害、さらには死亡に対して地位協定第18条の規定に基づく義務を負わないと明記している。そして、「5・15メモ」の米軍施設の多くについてこの規定が置かれているのである。
 

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日米地位協定とキャンプ・ハンセン5・15メモの記述-----------

辺野古に続いて、ここでは「日米行政協定の政治史ー日米地位協定研究序説」明田川融(法政大学出版局)からキャンプ・ハンセンの部分を抜粋した。
 著者がここで指摘しているのは、県道104号線を封鎖して行われる危険な実弾砲撃演習の問題であり、地元住民が日本の公道を使用する場合も、米軍の演習を妨げないことを条件として許されるという問題である。同様に県民の漁業や漁船の航行も、水域内では合衆国軍隊の権利が優先される。そして、それは米軍が沖縄返還以前に使用していた「施設および区域」を、引き続き使用するということなのである。
 こうした基地の外へ被害や環境破壊をもたらす規定が、キャンプ・ハンセンの他にも、北部演習場、キャンプ・シュワブ、キャンプ・ハーディ、金武ブルー・ビーチ訓練場などにもあるという。長く、この5・15メモが伏せら、公開されなかった理由が察せられる。また、日米地位協定や5・15メモで、「基地」という用語が全く使われず、常に「施設および区域」というような独特な言葉が使われる理由もそこにあるのだと思う。提供しているのは「基地」だけではないということである。 
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②キャンプ・ハンセン
                         施設委員会
                                                  1972年5月15日
メモ番号 871
メモの宛先:合同委員会
件名:キャンプ・ハンセン

1、参照文書:日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国に
  おける合衆国軍隊の地位に関する協定

2、参照文書の第2条第1項(a)の諸規定に従い、合衆国が、以下に記され、同封の諸文書に示される施設および区域の
  使用を許与されることを合意する。
a、施設名:キャンプ・ハンセン
b、施設番号:FAC 6011
c、所在地:沖縄県名護市、国頭郡金武村、宜野座村、恩納村
d、主たる使用目的:住宅、管理、および訓練
e、区域の範囲:大略は同封の四に示すとおり。
 (1) 陸上区域:同封の四に示すとおり、約1,998,000平米
 (2) 合衆国所有以外の建物:なし
 (3) 水域:同封の二に示すとおり、北緯26度29分59秒 東経127度59分38秒の真方位90度と北緯26度29分44秒、
   東経127度59分43秒の真方位90度の間の、陸地から500米の距離に接する水面域から成るキャンプ・ハンセン訓
   練区域のLVT出入り地点
 (4) 空域:
  (a) キャンプ・ハンセン上空の、高度2,000フィートまでの全空域
  (b) Rー177(イーズリー射撃場):北緯26度27分 東経127度54分から始まり、北緯26度30分、東経127度58分
     を経て、北緯26度31分、東経127度59分を経て、北緯26度32分、東経127度59分を経て、北緯26度29分、
     東経127度52分を経て、始点にいたる。高度3,000フィートまで。
 (5)イーズメント
  (a) 日本国政府は、公道104号線および、108号線を横断するユーティリティ・システムのためイーズメント(水道およ
     び電気のための3メートルの幅と下水および排水のための6メートルの幅)を提供する。かかるイーズメントは、合
     衆国軍隊がこれらのユーティリティ・システムの使用、修理、保守、交換または検査を行うのに供するものである。
     合衆国軍隊が、公道の境界内にあるユーティリティ・システムを修理、保守、交換する時は、日本国政府との調製
     がはかられる。イーズメントの正確な位置は、詳細な調査の完了後に確定され、このメモランダムを実施するため
     の現地の不動産に関する合意に組み入れられる。
  (b) 略
f、使用期間:無制限
g、備考                                                          
 (1)使用条件:
  (a) 合衆国政府は、必要であれば、返還後できるだけ速やかに合同委員会が使用条件を検討し明確にするとの了解を
     以て、返還以前の期間に使用していたと同じく本施設および区域を引き続き使用する。1952年12月17日の第32
     回合同委員会で承認された「陸上訓練演習場への立ち入り、責任、警戒通告」に関する合同委員会合意が適用さ
     れる。
  (b) 本施設・区域内では実弾射撃が認められる。合衆国軍隊により使用される兵器は、水陸両用師団に標準的に編成
     される兵器の一般的分類に入るものである。ヘリコプターおよび固定翼航空機による、空対地の着弾区域実弾射撃
     が認められる。爆発物処理が許される。爆破訓練は指定された射撃場で行われる。
  (c) 使用時間:
 1、上記2のeの(3)に記す水域は、必要により毎日
   2、上記2のeの(4)に記す空域およびR-177(イーズリー射撃場)は常時
  (d) 用途:
   1、上記2のeの(3)に記す水域は、水陸両用訓練のために使用される。実弾射撃は行わない。信号目的のためおよび合
     衆国軍隊の移動の統制のために、信号弾を使用することができる。この訓練のために、水陸両用部隊が通常装備
     する一切の兵器の空包射撃が認められる。 水中爆破は認められない。
   2、上記2のeの(4)の(a)に記す空域は、有視界飛行による航空機の運用を支援するために使用される。
   3、上記2のeの(4)の(b)に記す空域は、空対地訓練のために使用される。
  (e) 通告の方法:現地の合衆国当局は、上記2のeの(3)に記された水域の使用に関して、現地の防衛施設局と通告の方
     法を調整する。
 (2)その他:
  (a)参照文書の第2条第4項(a)の諸規定に基づき、以下の使用が許可される。
    沖縄電力株式会社および沖縄県(水道設備)は、かかる公益事業体(筆者註沖縄電力および沖縄県)が所有し、管理
    し、または規制し、本施設および区域内に在るユーティリティ・システムの下部または上部の土地共同使用が許与され
    る。
    上記の土地の正確な位置は、現地調査によって確定され、このメモの修正によって追加される図面上に表示される。
    合衆国政府は、要請された時はいつでも、これらのシステムの運用に関わる検査、保守、修理およびその他の諸活動
    を目的とするユーティリティ保守人員の出入りを保証する。
  (b)合衆国政府は、要請されたときはいつでも、沖縄電力株式会社に対して、同封3に示されているとおり、本施設および区
    域の一部ではないがそれらの内にある施設の運用に関する検査、保守、修理およびその他の作業を目的とするユー
    ティリティ保守人員の出入りを保証する。
  (c)略(筆者註 上記2のgの(2)の(a)および(b)で許与した使用に関し、メモ番号870と同様、米国政府が日米地位協定
    第18条の義務を負わない旨の規定)
  (d) 上記2のeの(3)に記す水域内において、合衆国政府は、合衆国軍隊が使用中に漁業および航行がそれを妨害しない
    とこを条件として、いかなる制限も課さない。
  (e)同封の4に指定された施設および区域内で、地元住民が出入り路および公道104号線を使用することは、かかる使用
   が合衆国軍隊の訓練の行動を妨げないことを条件として許される。
  (f)略(筆者註 返還に伴い日本政府に移管される沖縄県の水道設備がこのメモの施設および区域から除外されること、
   同設備に対する沖縄県の出入を米国政府が保証すること、水道管の上部または下部の土地は引き続き日米地位協定
   の適用を受けること等に関する規定)

3、参照文書の第2条第4項(b)の諸規定に従い、合衆国政府が以下に記す施設および区域の使用を認められることに合意
  する。参照文書の関連する諸条項は、特定の使用区域内においてのみ、かつ実際に使用される間のみ適用される。
 a、合衆国軍隊は、訓練の目的で、本施設および区域の一部ではないがその境界内に在る貯水池へ出入りする権利を有す
  る。これらの水源を使用して行われる訓練:
 (1) 浮き橋の建設および使用
 (2) 水質浄化部隊用訓練
 (3) 渡河技術訓練
 (4) 小型船舶操作訓練
 (5) サーフ・トレーニング
 (6) 水陸両用車輌を使用する人員の教化
 (7) ヘリコプターからの消火訓練
 (8) ヘリコプターによる空ー海救助訓練
 b、必要とされる期間:年間100日を越えないこと
 c、備考:
 (1) 使用条件:
  (a) 実弾または空砲射撃は、貯水池使用区域では行わない。信号弾は使用しない。水中爆破は認められない。
  (b) 合衆国の現地当局は、計画的に貯水池区域を使用する前に原則として15日前に現地防衛施設局通告する。
     しかしながら、予想し難い場合は、計画的使用の7日前までに事前通告を行う。
  (c) 貯水池使用区域内では、合衆国軍隊は恒久的建築物の建設を行わない。
  (d) 使用期間中に貯水池使用区域内に、合衆国軍隊が建てたいかなる仮設建築物も、各々の使用期間が終了し
     次第合衆国軍隊によって撤去される。
  (e) 合衆国政府は、本施設および区域内の貯水池を汚染しないよう予防措置を執る。
  (f) 詳細事項の追加は、必要に応じ、合衆国の現地当局と日本国の現地当局との間で合意することができる。
 (2) その他:上記の第2条第4項(b)による使用は、日本国政府が貯水池の管理機関(沖縄県)との内部調査を終了し
    た時に効力を生じる。日本国政府は、1972年6月30日までに上記の調査を完了する。
(筆者註 以下、承認通告、受理、付託、承認の項および日米双方の議長、代表者の署名は省略する。なお同封の4文書として、配置計画図および技術部図面、1972年3月24日付キャンプ・ハンセン訓練区域LVT出入点(全)水域、1972年4月26日キャンプ・ハンセン(除外財産)、1971年8月25日付「キャンプ・ハンセン」と題された位置および境界地図)


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日米地位協定と嘉手納空軍基地5・15メモの記述-----------

 5・15メモに関して「日米行政協定の政治史ー日米地位協定研究序説」明田川融(法政大学出版局)で3番目に取り上げているのが嘉手納空軍基地の記述である。”このメモの特徴は、使用条件にほとんど具体的な記述がないことである”と著者は指摘している。重要な項目であるのに、なぜなのか。

 その理由を考える上で、大事な事実を琉球大学の我部政明教授が明らかにしている。我部教授によると、1969年1月に大統領となったニクソンのもと、国家安全保障会議において、対日政策について検討が重ねられ、「国家安全保障研究メモランダム」(MSSM-5)としてまとめられたという。
 それは、日米関係全般、安全保障条約及び基地、沖縄返還、日本の防衛努力、日米経済関係、アジアにおける日本の役割の6部から構成されており、本文50ページ、附属文書11件にまとめられているという。それらを詳細に調べた我部教授は、沖縄返還に関するアメリカの考え方や情勢分析、対日戦略などについて、”興味深い点”として下記の5つを指摘している。

 まず、沖縄が西太平洋における重要な位置にあること、したがって、そこに訓練、兵站、出撃準備などのための基地を置くことは大事なことであるのはもちろん、その沖縄の基地に核兵器を貯蔵し、そこから直接出撃できるようにすることが、戦略上きわめて有効であるとアメリカが考えていたことである。
 第2に、沖縄の施政権を返還しても基地を保有できると考えていたこと。
 第3に、親米の佐藤政権の沖縄返還要求に応えることができなければ、佐藤栄作首相は政権を維持できず、日米関係が深刻な事態に陥り、1970年に期限の切れる日米安保条約の延長ができなくなる恐れがあると考えていたこと。
 第4に沖縄返還によって、米国の国際イメージが改善されると考えていたこと。
 そして最後に、沖縄返還による”自衛隊の活動範囲の拡大”は、アジアの安全保障における日本の役割を増大させることになる、とアメリカは判断していたことである。

 沖縄返還後も、何ら拘束されることなく基地に核兵器を貯蔵し、基地を自由に使用することが合衆国政府の求めるところであったことを踏まえれば、嘉手納空軍基地のメモに、使用条件の記述がほとんどないことは、当然のこととして理解できる。
 そして、沖縄返還は、安全保障条約、日米地位協定、5・15メモ、日米地位協定合意議事録、密約などを巧に組み合わせることによって、ほぼアメリカの思惑通り進んだということのようである。 
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③嘉手納空軍基地
                            施設分科委員会
                                                        1972年5月15日
メモ番号:879
メモの宛先:合同委員会
件名:嘉手納空軍基地
1、参照文書:日本国とアメリカ合衆国の間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国にお
  ける合衆国軍隊の地位に関する協定
2、参照文書の第2条第1項(a)の諸規定に従い、合衆国政府が、以下に記され、同封の諸文書に示される施設および区域
  の使用を許与されることを合意する。
 a、施設名:嘉手納空軍基地
 b、施設番号:FAC 6037
 c、所在地:沖縄県ゴザ市(筆者註 現沖縄市)、中頭郡北谷村、嘉手納村、美里村
 d、主たる使用目的:空軍基地
 e、区域の範囲:大略は同封の1から5に示すとおり。
  (1) 陸上区域:同封の5に示すとおり、約20,497,000平米
  (2) 合衆国所有以外の建物:なし
  (3) 水域:
     区域1:同封の2に示すとおり、北緯26度20分51.2秒、東経127度44分43.7秒と、北緯26度20分33.5秒、東経
    127度44分49.7秒の間の、陸地から50米の距離に接する水面域。
     区域2:同封の2に示すとおり、北緯26度20分51.2秒、東経127度44分43.7秒と、北緯26度20分49.2秒、東経
    127度44分36.5秒の間、北緯26度20分03秒、東経127度44分40秒と、北緯26度20分02.4秒、東経127度
    44分52.3秒で珊瑚礁の外縁沿いの陸地に接する水面域。
  (4) イーズメント:日本国政府は、公道1号および16号線を横断するユーティリティー・システムのためイーズメント(水道
     および 電気のため3メートルの幅と、下水および排水のための6メートルの幅)を提供する。(筆者註 以下、メモ番号
     871の「イーズメント」の項の第2および第3ならびに第4文章に同じ)
 f、使用期間:無制限
 e、備考:
  (1) 使用条件:
   (a) 使用時間:上記の2のeに記す水域および2は常時
   (b) 用途:
    1、上記2のeに記す水域1は、陸上施設の保安のため使用される。
    2、上記2のeに記す水域2は、クリアランス・ゾーンおよび小型船舶停泊港の用に供するため使用される。
  (2) その他:
   (a) 以下の使用が、参照文書第2条第4項の諸規定によって許可される。
    1、略(筆者註 水道・下水施設のため、前出メモ番号870のgの2の(a)と同様の土地の共同の使用が沖縄電力・沖縄
      県に許与されること、当該地の確定と表示、前記ユーティリティー・システムの運用に関する検査、保守等を目的と
      する人員の出入に対する合衆国政府の保証、の3点を主旨とする規定)
    2、略(筆者註 免除対象とならない人員および貨物の検査を目的として、入国管理、税関、検疫施設のために日本政
      府が所定の建物を共同使用することに対する許可に関する規定)
   (b) 略(筆者註 合衆国政府が、沖縄電力に対し、この施設内にある同社の施設運用に関する検査、保守、修理作業の
      ための出入りを保障する規定)
   (c) 略(筆者註 前出メモ番号870のgの2の(a)と同様、合衆国政府が日米地位協定第18条に定める義務を負わない
      場合に関する規定)
   (d) 日本国政府は、上記2のeに記されている水域内において、嘉手納空軍基地を使用する航港機(航空機?)に危険
      を与えるか、または当該小型船舶停泊港への出入りを妨げる建設もしくはその他の諸活動を許可しない。合衆国政
      府は、これらの水域内において漁業または海産物の採集を制限しない。
(筆者註 以下、承認勧告、受理、付託、承認の項、および日米双方の議長、代表者の署名は省略する。なお同封の5文書として、1967年12月31日付空軍図面、基地配置図、1972年4月4日付嘉手納空軍基地水域、1972年4月12日付嘉手納空軍基地、同上、1971年8月27日付「嘉手納空軍基地」と題する位置および境界地図。


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日米地位協定 鳥島射爆場 5・15メモの記述-------------

 「日米行政協定の政治史ー日米地位協定研究序説」明田川融(法政大学出版局)で取り上げている5・15メモの「鳥島射爆場」に関する部分を抜粋した。鳥島射爆場は、沖縄県が”劣化ウラン弾の使用が許可されているのではないか”という疑念を表明したところである。

  この「鳥島射爆場」のメモには、下記のとおり、用途の項目に「2,000ポンドを超えない、一切の航空機用の通常型爆弾を使用する空対地射爆撃」とある。確かに劣化ウラン弾は核爆発を伴わない2,000ポンド以下の兵器かも知れない。しかし、その環境にもたらす影響を考えると、「通常型爆弾」として扱うことには、疑問がある。劣化ウラン弾は、低レベルであるとはいえ、放射性物質である重金属の粉塵や微粒子を環境に拡散させ、環境を汚染する兵器であるといわれている。人体に影響を及ぼす心配がある。

 また、劣化ウラン弾は、国連の人権小委員会が、「大量破壊兵器」である核兵器や化学兵器、生物兵器と同様に、「無差別的な殺傷効果のある兵器」として、その生産や拡散を制限するよう求めた兵器の一つでもある。

 劣化ウラン弾射撃事件発覚当時、米側は、”装填する弾丸を決定する海軍兵站センターが作成する弾丸カタログの誤りによる発射である” と説明したという。しかし、沖縄県は、”劣化ウラン弾の使用が許可されているのではないか”との疑念を表明したのである。同書には、”この事件については、その報告が遅延したことも看過できない。米国政府が在日大使館を通じて外務省に事件の報告を行い、外務省がそれを公表したのは「誤射」から1年が経過した時点であったが、それも事件がマスメディアによって先に報じられたためであった。”とある。

 環境破壊や人的被害の心配、また、事件発覚前後の米国政府の対応を考えると、日米地位協定にある「相互協力」の内容が疑われる問題の一つではないかと思う。  
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④鳥島射爆場
                           施設分科委員会
                                                        1972年5月15日
メモ番号:973
メモの宛先:合同委員会
件名:鳥島射爆場
 1、参照文書:日本国とアメリカ合衆国の間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国に
   おける合衆国軍隊の地位に関する協定 
 2、参照文書の第2条第1項(a)の諸規定に従い、合衆国政府が以下に記され、同封の諸文書に示される、施設および区
   域の使用を許与されることを合意する。
 a、施設名:鳥島射爆場
 b、施設番号:FAC 6077
 c、所在地:沖縄県島尻郡仲里村字宇江城
 d、主な使用目的:空対地射爆撃場
 e、区域の範囲:大略は同封の1から3に示すとおり。
  (1) 陸上区域:同封の3に示すとおり、約39,100平米
  (2) 合衆国所有以外の建物:なし
  (3) 水域:
     区域1:同封の2に示すとおり北緯26度35分30秒、東経126度50分06秒を中心とし、鳥島に接する半径3海里の
    円弧内の水面域。
  (4) 空域:北緯26度36分、東経126度50分を中心とする半径5海里の、高度15,000フィートにいたる円
 f、使用期間:無制限
 e、備考:
  (1) 使用条件:
   (a) 使用時間:上記の2のeに記す水域および空域は、06:00時から24:00時まで常時。
   (b) 用途:2,000ポンドを超えない、一切の航空機用の通常型爆弾を使用する空対地射爆撃。夜間は、照明弾の投下、
      航空機用訓練弾の投射、および写真用フラッシュ・カートリッジの投下のために使用される。爆発物処理が行われ
      る。
   (c) 通告の方法:合衆国当局は、当該射爆場を使用する予定がない時は、当該日の3日前までに防衛施設庁へ通告
      する。
  (2) その他:上記2のeに記された水域は、使用期間中、合衆国軍隊による排他的使用のために制限される。漁業(特に餌
     釣漁において)を許可するため、現地での調整を行うことができる。
(筆者註 以下、承認勧告、受理、付託、承認の項、および日米双方の議長、代表者の署名は省略する。なお、同封の3文書として、1967年8月15日付基地配置図、空軍図面、1972年8月15日付基地配置図・空軍図面、1972年8月24日付鳥島水域、1971年8月24日付「鳥島射爆場」と題する位置および境界地図)


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日米地位協定 沖縄返還交渉 財政・経済取決 NO1-----------

 最近、日本の戦後史を考える上で注目を集めている本がある。「戦後史の正体 1945ー2012」孫崎亨(創元社)である。同書は「日本の戦後史を動かす原動力は、米国に対するふたつの外交路線です」という文章から始まる。そしてそれが、米国に対する「追随」路線と「自主」路線であるとして、米国からの圧力や裏工作と絡めて、ふたつの路線対立による日本の戦後政治の裏面を、びっくりするような資料も 交えて明らかにしている。

 安保条約に関しては、戦前外務省アメリカ局長で、1946年には外務次官であった寺崎太郎の言葉「周知のように、日本が置かれているサンフランシスコ体制は、時間的には平和条約(講和条約)ー安保条約ー行政協定の順でできた。だが、それがもつ真の意義は、まさにその逆で、行政協定のための安保条約、安保条約のための平和条約でしかなかったことは、今日までに明らかになっている」、を引いて、旧安保条約に米軍の日本駐留の在り方について何も書かれていないことを問題とし、「条約」が国会での審議や批准を必要とするのに対し、政府間の「協定」ではそれが必要ないため、都合の悪い取り決めは、全部「行政協定」(新安保条約で地位協定)のほうに入れたのだと指摘している。そして、その行政協定(地位協定)も、密約や非公開の合意事項によって運用されているのである。下記のような事実は、そうしたことを裏付けるものだと思う。

 1972年4月、毎日新聞の西山太吉記者と蓮見喜久子外務省事務官が国家公務員法違反で逮捕された。「外務省機密漏洩事件」である。沖縄返還をめぐる日米交渉のなかで、本来米国が支払うべき「補償費」400万ドル、すなわち、講和前の人身事故と土地の復元補償のなかで未処理となっていた分について、米国が支払うことを規定していたにもかかわらず、日本がそれを秘密裡に肩代わりするという「密約」の存在が指摘されたのである。でも、当時その密約は、2人のプライベートな男女関係による、機密文書の漏洩問題に封じ込められ、ほとんど追及されず、明らかにされることはなかった。その後「密約」の存在を裏付ける文書が、相次いで発見されている。

 沖縄返還をめぐる日米交渉のなかで、秘密裏に進められた「財政・経済取決」の内容には、西山記者によって暴露された400万ドルの支払い肩代わりの他にも、いろいろ問題がある。その内容は、実に驚くべきものである。琉球大学の我部政明教授は、1994年以降飛躍的に進んだアメリカの情報公開によって手にすることができた数多くの米政府の沖縄関連公文書や沖縄の公文書館に保存されている公文書などをもとに、その内容を「沖縄返還とは何だったのかー日米戦後交渉史の中で」(日本放送協会)にまとめている。

 下記は、その中からいくつかの項目を抜粋したものである。交渉のなかで問題となった、「移管される資産の評価額」ひとつをとっても、日米であまりに大きな違いがあり、「財政・経済取決」の内容が、公表でるものではなかった理由が察せられる。
 たとえば、電力公社の日本側評価額は4,060万ドルであったが、米側評価額は2億7,000万ドルなのである。日本側が「ばかげている」と受け止めたことが、記されている。琉球電力公社より10倍の発電量、14倍の売り上げのある九州電力の市場価格の5割増しの評価だったというのである。日米の差は、総額でも5倍近いものであった。

 また、資産移管の金額問題だけではなく、経費の肩代わりや通貨交換後のドルの連邦準備銀行への無利子の預金その他、納得し難い問題が含まれている。そしてそれらが、日本の国民にはほとんど知られることなく、文字通り「米戦略文書の手順通り」に進むのである。そして、財政・経済取決では、アメリカ側が総計6億9,200万ドルの要求をし、それに近い6億4,500万ドルの利益を得たというのである。そうした日米関係は、何とかならないものなのか、と思う。
(註:文中のジューリックは当時の米財務長官特別補佐官 柏木は大蔵省財務官)
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                       第5章 佐藤・ニクソン共同声明

米戦略文書の手順通りに進んだ日米交渉
 密約の存在とは別に、7月3日に米政府内で承認された戦略文書において予定したように、日米交渉は進んだといえるだろう。その最大の理由は、日本側の交渉戦略に求められる。返還時点に核兵器を撤去することのみを基本目標としてきたことにある。その結果、財政・経済取決や基地の自由使用保証の点で米側の要求をそのまま認めてしまうことになった。米側が返還交渉における基本目標とした軍事権、つまり基地の自由使用を日本側は交渉の当初から認めていたのである。交渉にあたる日本側において、核兵器について何らかの了解を米側からとりつけるのは困難だと自ら思い込む心理的な状態が充満していた。交渉目標への柔軟な対応を自ら放棄してしまったため、米側が核撤去の意思をもっているという情報に接しても、日本の交渉者たちは無視してしまったのである。こうした「思い込み」による硬直した状況認識は、核抜きを実現するために、どのような財政的・政治的コストも払うことに全く疑問を抱かずに自らを納得させてしまったのである。


                          第6章 もう一つの密約

外務省機密漏洩事件
(略)

400万ドルの補償金の存在
(略) 

三つ目の山場
 沖縄の施政権返還については、これまで核兵器の「持ち込み」、「貯蔵」にのみ関心が集まってきたように思う。「核抜き」以外に、沖縄返還交渉はいくつかの分野・作業グループから構成されている。
 第2章でのべたように、共同声明の案を作成する作業グループ、財政・経済問題を担当する作業グループ、防衛の引継ぎを担当する作業グループ、そして、施政権返還そのものを扱う作業グループ、以上の4つである。

 共同声明作成の作業グループは、戦略文書が共同声明作成のタイム・テーブルを明示していたので、ガイドラインを作る必要をもたなかったが、個々の交渉過程において関係省庁の了解を得る場として機能した。この作業グループは69年11月21日に共同声明発表を迎えて、その任務を終えた。これら4つのなかで最も積極的な活動をしていたのが、明確なガイドラインを設定して財務省と日本の大蔵省の間の交渉を支える財政・経済問題を担当する作業グループであった。防衛担当作業グループは、交渉ガイドラインを設定したものの、佐藤・ニクソン前に対日交渉には入らなかった。民政作業は、共同声明の発表後の翌年1月から本格的作業に入った。


 共同声明後の米政府の沖縄返還交渉体制は、東京大使館を軸にワシントンでの省庁間グループ、沖縄の高等弁務官、米軍沖縄返還交渉チーム、(USMILRONT)、在日米軍(USFJ)との密接な関係で構成され、返還協定作成へ向けて4つの主要分野での作業を進めた。まず、沖縄の米軍基地の使用をめぐって最大限の軍事的柔軟性を確保するため、沖縄への地位協定適用について、つぎに、沖縄防衛責任の日本への移管について、そして、施政権の返還について、最後に、財政・経済取決のほかに米企業の保護について、であった。

 このように沖縄返還に向けての交渉のなかで、財政・経済取決は一貫して重要な課題でありつづけたことを物語る。この章の目的は、沖縄返還にともなう財政・経済取決の合意形成過程について検討することにある。財政・経済取決は、返還そのものを左右する分野であった。ベトナム戦争中からジョンソン政権は、国際収支が悪化する米国経済を立て直すために、米国の提供する安全保障秩序のなかで経済的に豊かになる日本に対し、後にバーデン・シェアリングとして知られることになる相応の負担を要求していた。佐藤政権の要望に応えて当時米国の保有の下にあった沖縄を返還するのだから、米政府に財政負担を一切かけることなく、返還にともなう財政負担を日本側が負うべきだとする声は、米政府内で根拠のある主張として浸透していた。

米資産の基本的データの欠如
(略)

日米の評価額の差
 東京での日米交渉の3日めに柏木が日本側の提案をおこなった。まず、一括払い方式は受け入れがたく、個別の評価額を積み上げる方式をとるべきである。つぎに、通貨交換後のドルは日本が受け取るが、国際収支への悪影響を避けるようにする。そして、移管される資産の評価額は、返還時の価格変動を考慮に入れて、1969年6月30日現在の帳簿価格とし、また米国の投資総額に見合うような金額とすること。さらに沖縄内での基地移転費用は、双方が合意すればという条件つきで、地位協定下と同様に、日本政府の負担とする。最後に、何がどのように移転されるのかが不明な現時点では、沖縄外への基地移転費用について検討しない。


 日本側は、移管される資産の評価額をつぎのように下していた。カッコ内は米側評価。電力公社4,060万(2億7,000万)ドル、水道公社740万(5,000万)ドル、琉球開発金融公社2,630(5,600万)ドル、万琉球銀行310万(2,200万)ドル、行政ビル100万(300万)ドル、道路700万(3,900万)ドル、石油・油脂施設(P0L)や航空航路補助施設など合計9,000万(4億5,000万)ドル。総額で5倍近い日米の差が出た。たとえば、電力を2億7,000万ドルとする米側の評価を「ばかげている」と日本側は全面的に非難した。この金額は、当時、沖縄の総生産の4割に相当し、琉球電力公社より10倍の発電量、14倍の売り上げのある九州電力の市場価格の5割増しの評価だと手厳しい指摘があった。
 これに対しジューリックは、米国内で要求される政治的考慮への配慮を全く欠いており「失望せざるをえない」と日本側の評価額を攻撃した。また、総額1億ドル程度と見積もられた米国の資産は10億を超えるとして、日本側の評価こそが「ばかげている」とやり返した。日米双方のこうした応酬は、決して最終的提示ではなかった。すぐ翌日非公式会談では、日本側の妥協案が明らかにされるのである。


大きく譲歩した柏木提案
 沖縄返還にともなう財政・経済取決において、個別積算方式(日本側の要求)か一括公式(米側の要求)かをめぐる日米対立は、日本側の妥協によって大きく進展しようとしていた。
 正式交渉としてではなく個人的な接触として同年10月24日の朝、柏木とジューリックとが会った際に、柏木が米側の要求を満たす日本側の新たな提案を明らかにした。それは、日本の主張する積算方式を放棄して、総額で2億5,000万ドルの支払い提案であった。内訳は民政用資産1億2,500万ドル、軍用資産を1億2,500万ドル。そして、ドル交換については、別途に定めることにしていた。つまり、日本側は、積算方式をあきらめる代わりに支払い総額を引き下げる戦術へと転じたのである。
 ジューリックは総額では不充分だとしつつも、日本側の妥協を歓迎した。そして、財政・経済取決の3つの原則を強調した。まず、民政用資産について琉球住民の権利だとする原則は受け入れられないこと。次に、軍事資産の残存価値を評価額に盛り込むこと。さらに、通貨交換は公正に処理され、それにともなって日本が何らかの利益を得ないとする、などであった。
 柏木は、福田赳夫蔵相にパッケージとして取決めると報告した。そのパッケージには、まず水道公社、琉球開発金融公社、電力公社、道路などの買い取り費用として、1億2,500万ドルの直接支払い分。つぎに米政府所有の有価証券買い取りのかたちにし、さらに「色sweetner)」をけて1億ドル。また、社会保障費として2,500万ドル。さらに、基地の移転費(沖縄内外を問わず)として2億ドル。これらの合計4億5000万ドルのほかに、通貨交換後のドルの連邦準備銀行預金として1億ドルなどを含む提案であった。これらとは別途に、琉球銀行関連の民政用資産と石油・油脂背施設(POL)の売却益として、1000万から2000万の幅を見積もっていた。
 そして、柏木は、さらに翌25日ジューリックとの非公式会談を重ねて、その後にワシントンで継続する交渉での実質的内容を詰めようと提案した。


両国で受け入れ可能な取引(略)

総計6億9,200万ドルの財政・経済取決要求
 11月4日、ワシントンでの検討結果が国務・財務・国防の各省の合同メッセージとして東京の米大使館へ送られてきた。それによると、一括払いの考え方は、共同コミュニケに財政・経済取決を織り込む際に都合がよく、しかも米政府の予算上の節約を得る上でも大切だと強調されていた。そこで、日本側に対し、つぎのような対案を出すよう指示している。民政用・共同使用資産として1億8,500万ドル、社会保障費(沖縄の米軍基地で働く軍雇用員に支払われる)として3,000万ドル、返還にともなう基地の移転(沖縄内及び沖縄外)及び他のコストとして2億ドル、そして通貨交換として1億1,200万ドルなど、合計5億2,700万ドルの財政・経済取決を主張せよという。この金額以外に、米政府は琉球銀行の株式及び石油・油脂施設の売却益として1,500万ドルを得ると述べる。さらに、地位協定にもとづいて軍用地料(第24条第2項)及び労務管理費(第12条第4項)について日本政府が負担するので、5年間の節約分合計が1億5,000万ドルとなり、総額6億9,200万ドルに達する財政・経済取決要求であった。

 ・・・以下略

米人企業に対する特別措置(略)

共同声明前に合意していた秘密覚書
 交渉のもう一つのチャンネルは、11月6日から8日にかけてジューリックと柏木の間で進められていた。そこでは、基地移転費などに2億ドル通貨交換後の預金を含む総額6億9,200万ドルの米側要求を叩き台として交渉が進行した。その結果、総額6億8,500万ドルの取決案が成立した。
 その内訳は、民政用・共同使用資産買い取りに1億75,00万ドル、沖縄の基地従業員の社会保障費等に3,000万ドル、基地移転費及びその他の費用に2億ドル、そして通貨交換後の預金に1億1,200万ドル、となった(利益節約分を含む)。合計で5億1,700万ドルとなった。さらに、米民政府所有の琉球銀行の株式と石油・油脂施設売却益に加えて、返還の結果、その後5年間に得るであろう米政府の予算節約分を合計して、1億6,800万ドルが加えられた。
 また、日米間で、この合意を確認する手続き作業も併せて話し合われ、11月12日に福田が口頭で了解覚書を読み上げ、佐藤ニクソン会談の数週間後に、書面にて柏木が確認することとされた。


 手元に、1969年12月2日付けの文書がある。それは、米政府内で返還作業の過程で作成された文書の参照として折り込まれたようだ。3ページの文書はそれぞれのページの上段と左端の2箇所ずつ、手書きのAJJとYKのイニシャルが記されている。これらは、アンソニー・J・ジューリックとユウスケ・カシワギのイニシャルと判断してよい。

 沖縄返還を政権の課題とする佐藤にとって、佐藤ニクソン共同声明以前に財政・経済取決に合意したことを秘密にしたのは「沖縄を買い戻した」という印象を日本国内でもたれないためには、柏木・ジューリック覚書の公表を避けねばならなかった。事実、12月2日に柏木とジューリックがこの覚書に署名している。この覚書の存在は、これまでの沖縄返還交渉の研究でほとんど言及されたことのなかった新しい事実である。
 全部で6つの項目、3ページの文書だ。第1項が、民政・共同使用資産の買い取りを扱っている。2ページにわたり、売却対象として移管される資産のリスト、売却方法が記されている。


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日米地位協定 沖縄返還交渉 財政・経済取決 N02--------------

 衆院解散にともない、各政党組織が選挙モードに突入している。ところが、日本にとって極めて重要な、沖縄米軍基地問題に関する政策ほとんど議論されていない。政権を争う野田民主党も安倍自民党も日米同盟重視の姿勢を示しているにもかかわらず、である。米軍人の犯罪問題、オスプレー配備・訓練の問題、基地移転の問題は、打つ手がないということなのであろうか。日本の国益に反すると思われるこうした問題を取り上げない理由が分からない。
 アメリカのニューメキシコ州キャノン空軍基地周辺では、オスプレイの低空飛行訓練に反対の声が上がり、オスプレイの低空飛行訓練中止や訓練の見直しが決定された、という報道がなされた。アメリカのニューメキシコ州キャノン空軍基地周辺より、はるかに人口密集地域であり、危険性の高い普天間飛行場へのオスプレー配備や訓練強行を、問題にしない理由があるのだろうか。

 また、1995年以来、沖縄が繰り返し要求し、誰が考えても一方的内容の「地位協定」の見直しは、なぜ一向に進まないのだろうか。下記は、沖縄返還時の日米取り引きの一つである。日米同盟とは何なのかと考えさせられる。

 琉球大学の我部政明教授が入手した、沖縄返還に関わる米国防総省の文書には、驚くべきことが書かれている。下記に抜粋した、「日本政府が国民に語った内訳」の中にある。

 沖縄返還にあたって、日本が米国に支払う「3億2,000万ドルに関する取決は、返還協定第7条に述べられている。民政用資産の売却費1億7,500万ドルを除き3億2,000万ドルの内訳について日米間で何らの合意も存在しない。3億2,000万ドルは一括解決(パッケージ)としての金額となっている。たとえば、核兵器に関する日本政府の政策に沿って返還を実施するのだが、その詳細について日本政府との議論はしない。もちろん、日本政府が3億2,000万ドルの内訳にについてどのように説明しようと自由であるが、そのことが第7条の変更にはあたらない。契約当事者が契約の利点について異なった説明を行うのは、珍しいことではない」というのである。「民政用資産の売却費1億7,500万ドル」以外は、その大部分を日本から奪い取った、と言っているに等しいのではないかと思う。日本政府は、その3億2,000万ドルの内訳を、民政用資産買い取りに1億7,500万ドル、核兵器撤去費用に7,000万ドル、労務関係費に7,500万ドルと説明しているのである。因みに、日本政府が米軍の核兵器撤去費として計上した7、000万ドルについては、米側文書では、核撤去に太平洋陸軍情報学校移転費を含め500万ドルであり、10分の1以下である。西山記者が暴露した400万ドルの「密約」をはるかに超える裏取り引きがなされていたという事実を、どのように考えればいいのだろう。

 アジア諸国に対しては一歩も譲らない日本政府が、なぜこうした取り引きを密かに交わすのであろう。日米は、ほんとうに同盟関係にあるのだろうか。「沖縄返還とは何だったのかー日米戦後交渉史の中で」我部政明(日本放送協会)からの抜粋である。
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                            第6章 もうひとつの密約

返還協定と覚書との3億500万ドルの差額
 1971年6月17日に調印され、最終的な日米合意となる沖縄返還協定(1972年5月15日発効)は、その第7条で日本政府が米政府に支払うべき金額についてつぎのように定めている。
 返還にともなって、①日本政府へ移管する米政府の財産の買い取り、②日本の非核三原則に背馳しないよう沖縄から核兵器を撤去する費用、そして③沖縄の軍雇用員への退職金を本土並みに引き上げるための資金を日本政府が肩代わりするために、日本政府は「この協定の効力発生の日から5年の期間にわたり、合衆国ドルでアメリカ合衆国政府に対し、総額3億2,000万ドルを支払うとなっている。その内訳は、米資産の買い取りとして、1億7,500万ドル、核撤去費として7,000万ドル、軍雇用員関連費として7,500万ドルだと、日本政府は説明した。
 それに対し、1969年11月12日に、福田とジューリックとの間で確認され、12月2日にイニシャルで柏木・ジューリック間で署名された秘密覚書では、総額4億6,500万ドルの米側の受け取りとなっている。
 

 同年11月10日、東京の米大使館が秘密覚書についての最終承認を国務省へ求めた電報によれば、民政用・共同使用の資産買い取り用に1億7,500万ドル、基地移転費及びその他費用に2億ドル、通貨交換に少なくても6,000万米ドル(交換される額がそれ以上の場合は、その実際の額)の連邦準備銀行へ25年間無利子の預金(利息分を含むと1億1,200万ドル)、軍雇用員の社会保障費に3,000万ドル、合計で5億1,700万ドル、これらに加えて返還後5年にわたる米政府予算の節約分、琉球銀行の株式や石油・油脂施設などの売却益を加えて、米側の得る、財政・経済的利益は、6億8,500万ドルと見積もられていた。返還にともなって、米政府の受け取る利益は返還協定で明示された、日本政府が支払う金額に比べ、3億500万ドル多い金額だったのである。

 なぜ、返還協定と柏木・ジューリック覚書との間に金額の隔たりがあるのか。それは、日本国内で、説明のつきにくい支払いを含むものだったからである。そのため、日本政府はこの覚書の存在を秘密としなければならなかった。後述する民政用資産のように国民に説明可能な支払い項目については、公表している。むしろ、明らかにすることで、日本政府は米政府への支払い金額の正当性を国民から得ようとしたのであろう。また、返還合意に達する佐藤・ニクソン会談前に返還にともなう財政・経済取決に合意したことは、政治・外交的努力というよりも、お金で「沖縄を買い取った」との印象を日本の国民に与えるため、佐藤政権にとって覚書そのものを隠さざるを得なかった。
 

日本からアメリカへの3つの補償費の内訳
 その後の返還協定までの日米交渉にとって何が問題となったのであろうか。結論を先に述べると、この秘密覚書をどのように実施に移すのかが財政・経済の側面での返還協定交渉であったといえる。
 そもそも、秘密の支出を含めて日米間の財政・経済取決には、個々の積算根拠は存在しない。米政府の財政・経済取決の目標は、返還にともなう費用とその後の米軍の経費を軽減するために、一括して日本政府に支払わせることであった。その支払い額を最大化するために、米政府がこれまで基地建設のために投入した費用に加え、米援助によって整備されてきた水道、電力など沖縄の人々に帰属する資産なども日本政府への売却対象とされたのである。たとえば、米政府が琉球住民へ贈ったことを記した銅板プレートで玄関を飾った行政ビル(現在の県庁ビルがたっている場所にあった)さえも売却対象としたのである。さらに、返還にともない当時沖縄で流通していた米ドルを日本円に交換するため、日本政府のドル保有を高め、米国の国際収支を悪化させることが予想された。そのため、米政府のもう一つの関心事は、通貨交換後の米ドルの処理にあった。
 日本政府から米政府へのお金のフローには、3つの金額が存在することになる。まず日本政府が説明した内訳。そして、米政府が日本政府に要求した際の内訳。最後に、支払われた金額の実際の使途。たとえば核撤去費用のように使途が判明するのは一部で、「基地の移転費及びその他」2億ドルと、通貨交換後に預金されたドルの行方の2つについては、これまで秘密のベールに包まれてきた。

 
2つの金額の比較 (略)

本土にも使われた基地移転費 (略)

移転費用の本当の意図 (略)

地位協定と別個に位置づけられた移転費 (略)

「思いやり予算」のスタート (略)

返還協定に記されていない3億2000万ドルの内訳
 東京にて日本政府との間で「防衛引継ぎ作業」を任務とする米軍沖縄故障チーム(USMILRONT)が作成した1972年6月15日付けの報告書がある。これまでの研究でほとんど言及されたことのない文書だ。返還後にまとめらている文書なので、返還交渉の結果を垣間見ることができる。

 それによれば当初、日本政府は返還にともない、3億7,500万ドルを支払うことを合意していた。そのうち、1億7,500万ドルを現金、残りの2億ドルを沖縄に於ける基地建設のための物品及び役務による支払いとしていた。米軍が日本本土や沖縄に2億ドル分の新たな基地を必要としなかったことから、現金で3億ドルと物品及び役務で7,500万ドルへと変更された。その後、日本政府の負担するVOA(ヴィナス・オブ・アメリカ)の移転費と請求補償費を合わせて2,000万ドルの現金支払いが加わり、現金で合計3億2,000万ドルとなった。


 この現金が、返還協定第7条において明記された3億2,000万ドルである。その内訳として、まず、民政用資産費の1億7,500万ドル、増大する労務費6,200万ドル、核兵器撤去費500万ドル、VOAの移転費1,600万ドル、請求補償費(感謝費)400万ドル、使途を明らかにしない支出5,800万ドル、合計3億2,000万ドル。だが、その内訳は同協定には記されていない。
 同報告書によれば、VOAの撤去が行われない場合には、以下に述べる秘密の施設改善費6,500万ドルから撤去費の1,600万ドを差し引くこととなっている。
 ここでいう請求補償費とは、返還以前に米政府が沖縄の人々に認めた請求権(土地の賃借権、琉球土地裁判所の管轄する請求権、労働災害の補償請求などのほかに、講和前に米軍によって於けた損害のうち原状回復費用)を有効とし、返還後も政府に自発的な支払いを定めたことをさしている。同報告書によれば、沖縄から強い要求を受けた日本政府は、これらの請求権を放棄できないため、最終的に補償費用を日本政府が肩代わりすることを条件にして、返還協定に米政府の支払う条項を入れることになったという。その費用が、400万ドルである。西山記者がスクープした費用である。


 増大する労務費の6,200万ドルは、つぎのような内訳であった。本土と同様に日本政府との基本労務契約(MLC)の適用を沖縄の基地従業員が受けることにともなう給与の上昇分として2,000万ドル。残る4,200万ドルは、返還後5年(1977─78会計年度まで)の間に上昇すると見積もられた基地従業員の給与及び手当であった。

 返還協定で記された3億2,000万ドル以外に、秘密扱いとされる財政・経済取決が存在する。日本政府が物品及び役務で支払うとされた7,500万ドルである。内訳は、物品及び役務による基地の改善費としての6,500万ドルと、労務管理費としての1,000万ドル(毎年200万ドルで5年間)である。
 そして、返還以前の沖縄で流通していた米ドルを日本円に交換した後のドルの取り扱いである。通貨交換後の米ドル11,200万ドルを25年間無利子で米ニューヨーク連邦準備銀行へ預金することになった。


日本政府が国民に語った内訳
 日本政府は3億2,000万ドルの内訳をつぎのように説明した。民政用資産買い取りに1億7,500万ドル、核兵器撤去費用に7,000面ドル、労務関係費に7,500万ドルと。日本政府は全く異なる数字でもって国民に語ったことになる。冒頭に述べた「機密漏洩」裁判で疑惑とされた「密約」は、3億2,000万ドルに含まれて存在している。またVOA移転費も計上している。それ以外にも、地位協定第24条2項をねじまげて6,500万ドルの施設改善費を支払ったのである。さらに、沖縄で流通していた米ドルを、通貨交換後に米ニューヨーク連邦準備銀行に無利子で預金した。沖縄返還にともなう財政取決のすべてが、国民の目の届かぬ秘密とされてきたのである。

 
 沖縄返還協定を審議するために開かれる米上院での公聴会に向けて、国防総省の作成した想定問答集が手元にある。3億2,000万ドルについての日本政府の説明について公聴会で質問が出た場合には、つぎのように回答することにしていた。「3億2,000万ドルに関する取決は、返還協定第7条に述べられている。民政用資産の売却費1億7,500万ドルを除き、3億2,000万ドルの内訳について日米間で何らの合意も存在しない。3億2,000万ドルは一括解決(パッケージ)としての金額となっている。たとえば、核兵器に関する日本政府の政策に沿って返還を実施するのだが、その詳細について日本政府との議論はしない。もちろん、日本政府が3億2,000万ドルの内訳にについてどのように説明しようと自由であるが、そのことが第7条の変更にはあたらない。契約当事者が契約の利点について異なった説明を行うのは、珍しいことではない」


米政府の得た利益──6億ドル余り
 返還にともなう財政・経済取決において、米政府は充分に満足ゆく成果を獲得した。返還協定第7条と秘密合意により、現金あるいは物品及び役務により3億9,500万ドルを得たばかりでなく、通貨交換後において1億ドル以上の米ドルで無利子で預金させ、国際収支の悪化を防いだ。さらに、日本へ施政権を返還することで年間2,000万ドルの対沖縄援助の負担から米政府は開放された。軍用地賃貸料の日本政府負担を定めた地位協定の沖縄適用にともなって、それまで米政府の支払ってきた年間1,000万ドルが節約となった。地位協定において基地返還の際に原状回復が義務づけられていないため、約2,000万ドルの負担がなくなる。沖縄の施政権を返還することにともなって、1972年から1977年までの間に、総額で6億4,500万ドルの利益を米政府は獲得したのである。この6億ドル余りという金額は、1945年以来、27年間の間に米政府が沖縄に投入した総費用に匹敵する。


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沖縄返還 密約 密使 若泉敬の証言-----------------

 沖縄返還交渉のなかで密約があったことは、様々な文書で明らかとなり、もはや否定できるものではなくなった。特に衝撃的といえるのが、佐藤栄作首相の密使として交渉にあたった若泉敬自信が、その著書「他策ナカリシヲ信ゼント欲ス」(文藝春秋)で、詳細な交渉過程を公表したことであろう。その後、彼は時の大田昌秀沖縄県知事に謝罪の文書(遺書)を送り、およそ2年後服毒自殺したという(公式発表は病死)。
 同書は、下記①の「鎮魂献詞」と「宣誓」から始まり、19章からなる。617ページに及ぶ文章は、『「鎮魂献詞」「宣誓」「謝辞」で始まるこの拙著の公刊を、”永い逡巡の末”ここに決断するに至ったのは、まさに私のその塞き止め難い想念のなさしめる業に他ならない。』で終わっている。

 ②に抜粋したのは、彼が密使として、最初に交渉相手であるキッシンジャー補佐官と交わした会話を中心としている。まさに、「知っているのは4人だけだね」の言葉通り、秘密交渉だったことを明かすものである。

 ③に抜粋したのは、米側の情報や要求について、彼が佐藤首相に報告し、進言する部分である。表向きの発表と異なり、アメリカは沖縄返還と直接関わりのない「繊維問題」などを交換条件にして、露骨に国益を追求していることが分かる。

①--------------------------------------------------
  鎮魂献詞

1945年の春より初夏、
凄惨苛烈を窮めた日米沖縄攻防戦において
それぞれの大義を信じて散華した
沖縄県民多数を含む
彼我二十数万柱の総ての御霊に対し、
謹んで御冥福を祈念し、
この拙著を捧げる。



  宣誓

永い遅疑逡巡の末
心重い筆を執り遅遅として綴った一篇の物語を、
いまここに公にせんとする。
歴史の一齣への私の証言をなさんがためである。
この決意を固めるにあたって、
供述に先立ち、
畏怖と自責の念に苛まれつつ私は、
自ら進んで天下の法廷の証人台に立ち、
勇を鼓し心を定めて宣誓しておきたい。

私自身の行った言動について
私は、良心に従って
真実を述べる。
私は、
私自身の言動と
そこで知り得た事実について
何事も隠さず
付け加えず
偽りを述べない。

 右、宣誓し、茲に署名捺印する。         若 泉 敬 印
 1993年(平成5年)5月15日


②-------------------------------------------------
第9章 ”政治的ホットライン”の開設

「知っているのは4人だけだね」

 7月21日午後5時からのニクソン大統領の記者会見後、キッシンジャー補佐官と会ったのは夜も8時半になってからだった。今度は、ハルぺリン氏とは一切連絡なしである。
 キッシンジャー補佐官は、改めてニクソン大統領がこの”政治的ホットライン”を開くことに賛成であることを私に告げた。さらに、大統領と相談の結果、ロジャーズ国務長官には知らせないことにした。日本側も同様にしてもらえるか、と訊いてきた。
 「もちろん、そうすべきだし、佐藤首相に話して必ずそのようにしてもらう」
 と、私は断言した。つまり、愛知外相や保科官房長官、木村官房副長官らを完全に外さなければならないのだ。
「(知っているのは)4人だけだね(Just four of us!)」
と、抑揚も鋭くキッシンジャー氏は念を押した。
大統領と首相、そしてわれわれ2人だけに、このチャンネルのことを限定しておくというわけである。
 そのうえで、彼は次のように語った。
「大統領は、沖縄について政治的判断を優先させることの必要性を理解している。長期的にみて、米日関係を極めて重視している。したがって、佐藤首相が訪米された際に困るような立場には置かない。
 われわれは、必ずや双方に受け入れ可能な合意に達しうると確信している。そういう精神で今後交渉を進めようではないか」
 と厳かな口調で述べたあと、強く頷く私に対し、
「問題は」
 と、幾分声の調子を変えた。
「緊急時の基地の自由使用のことだが、はたして、事前協議条項について日本側からどんな自由使用の保証を与えてもらえるだろうか。
 この点について原則的な合意ができれば、核を沖縄に貯蔵ないし配備することをやめることを考慮してもいい」
 と厳しい態度に出てきた。さらに、
「ただし、かりに一旦撤去したとしても、そのあと緊急事態が発生した場合、これは沖縄だけだが、核をふたたび持ち込む必要が生じるかもしれない。その権利をわれわれは保持しなければならないと考えているが、日本政府としてどのようにしてその点を保証してくれるのか。
 それは、日本側にも事情がおありだろうから、たとえばのことだが、両首脳間の秘密の了解事項として扱ってよいものかどうか、佐藤首相のお考えを聞きたい。
 この点で、両首脳間で一致がみられれば、共同声明の案文の文言を作り上げることは、事務レベルで技術的にいくらでも可能だ」
 私は、これらの点は、帰って佐藤総理によく説明し、総理の返事をもらってくることにしよう、と返答した。付け加えて、
「神経性毒ガスを沖縄に置いているのはまことに困ったものだ。早くなんとかしてもらえないか」
 と頼んだ。すると彼は、あたかも自分が決定権者であるかのように、 
「すぐに撤去することを発表し、なるべくすみやかに実行に移す」
 と答えたではないか。
 この発言は、彼が実質的に非常に大きな裁量権を握っているという強い心証を私に与えた。

 このあと、2人で決めたことは、主として今後の電話連絡を配慮し、お互いのいわば”暗号表”を作ることであった。私は彼を、「ドクター・ジョーンズ」というありふれた名で呼ぶことにし、私の符諜は「ミスター・ヨシダ」という、これまた日本ではごく普通なものにした。
 ただこのヨシダというのは、単なる思いつきの対キッシンジャー補佐官用というよりも、佐藤首相と私との間の連絡用コード・ネームとして、すでに東京でかなりの期間使われていたものだった。

 
・・・

 これによって、普通の電話で話すときも、直接お互いの固有名詞も役職も用いなくても済む。よほどのことがないかぎり、国際電話の交換手もこれなら怪しまないだろうと、”期待”することにした。この経緯の一部は、キッシンジャー氏もその回顧録に次のように書いている。

 「彼は自分の身分を隠し、もしかすると盗聴しているかもしれない情報機関の耳をたとえ2分間でもごまかそうとして、『ミスター・ヨシダ』という偽名を名乗った。また彼は、普通の電話で問題を説明する場合、『私の友人』(佐藤)『あなたの友人』(ニクソン)という暗号を使った(この『私の友人』『あなたの友人』という暗号を使う話し合いは、その後かなり長い間、私の人生の一部をしめることになり、最後には気がおかしくなりそうになった」


 ・・・

③--------------------------------------------------
第12章 ニクソン大統領の”最後通牒”

 ためらう総理

 ・・・
 佐藤総理に私が会ったのは、翌3日である。公邸のいつもの小さな応接間で、午後3時から1時間。
 まず、キッシンジャー補佐官から渡された「2枚の紙(ペーパー)」の原文とその翻訳を提出した。キッシンジャー氏が私に示したのと同じ順序で、最初が「繊維」の紙である。
 総理は、眼鏡を取り出して、この簡潔な文書に交互にじっくり眼を通しながら、何か深く考え込んでいる様子で、いつもより重々しい感じだった。
 まず繊維について、私は、
「30日に会って、ことの重大さが分かりました。ニクソン大統領自身の強い要請として、キッシンジャーがあれほど言うのですから、こちらとしても大統領に対してなんとかしてやらねばいけないでしょう。私は専門家ではないからよく分かりませんが、できるだけのことをして大統領に応えてやってください」
 と言って、「むしろ大事なのは繊維だ」と強調した26日の会見、そして30日に向うが言ってきたことを正確に伝えた。
 当時、私は、繊維についての知識は総理の方がはるかにあると考えていた。それは、かつて通産大臣もやり、また大蔵大臣のときに綿製品の輸出規制問題を扱っていたというような話を、佐藤氏自身から聞いたことがあり、また当然のこととして、すでに愛知外相、大平通産相あたりから十分な情報と知識を仕入れているだろうと、考えたからだ。
 総理は、渋い表情になって、
「難しい問題なんだが、君の話は分かったよ」
 と、その一言だけだった。
「この次にお会いするまでに、よく考えておいて下さい。大統領の威信がかかっている問題だと力説して、向こうは承諾の返事を迫ってきていますので」
 私は、相手の眼を見つめて念を押した。総理は、無言だった。

 総理も、そして私も、真の関心は核抜きの方にあった。
「核兵器は、返還時までに撤去すると言っています」
 私は、30日のキッシンジャー補佐官の話を詳しく報告した。
佐藤総理の表情が変わり、大きな眼がときに光るような感じだった。
「ただし、いまお渡しした紙にも書いてありますが、緊急の非常事態に際しては、事前通告だけで核の再導入を認めることを保証してくれ、さもなければ沖縄は返せない、というのがいまや軍部だけではなく、ニクソン大統領自身の意思でもありかつ決定なのです。
 私は、事前通告だけでは困るんで、たとえ形式だけでも事前協議にしてもらう必要があるのではないかと思いますが……」
 総理は、突然の重大な米側の条件提示に、いささか驚きと動揺を隠せないようであった。

「ううん」と低く唸るような声を出したあと、
「エマージェンシィ(緊急事態)を、誰が、どう定義するのかが問題だなあ」
「そのとおりです。これは難しい問題ですが、そんな緊急時には、実際はアメリカが一方的に決めてやることになるんでしょう。それでも私は、”事前協議”という建前は貫きたいですね」 
「定義が決まれば、通告でも協議でも同じだろうが」
「そういう緊急事態の起る可能性はほとんどないと思います。しかし、書いたものを残す以上は、一方的な通告では困ります。形式的にでもやはり協議にして、日本の意思も入れて合意するということの方が望ましいでしょう」
 総理は少しなげやりな感じで、
「それもそうだが、向こうが通告で一方的に持ち込むというなら、仕方ないではないか」
 総理としては、突然このような条件を、大統領の明確な意向として、いわば、”最後通牒”のような形で提示されたことに、内心相当不満であったようだ。この点、感情を滅多に言葉には出さない佐藤氏だが、その態度と表情から私は十分読みとれた。
 私は、それを無視するかのように話を進めた。

「事態ははっきりしてきて、核の問題は通常の外交ルートでは話せない、と言っています。
 日本の要求どおり核を抜かせるためには、向うが言ってきた条件は”ギブ・アンド・テイク”で呑まざるをえないでしょう。それを了承してくれなければ、沖縄自体を返せないと言っている以上、已むを得ないのではないですか。
 ここで取引する余地は、残念ながらごく僅かしかないでしょう。日本側の3条件、すなわち核抜き、本土並み、72年返還を貫徹するためには、基本的には、向うが出してきたその2つ(総理の前のテーブルの上にある”2枚の紙”を指差しながら)を拒絶することはできないと思います。
 総理は、ためらっていた。やや間をおいて、
「もう少し考えてみよう。少し時間をくれないか」
「どうぞ、お願いいたします。
 日本国の総理大臣として、よくお考えになって下さい。いまが一番大事なところだと思います。
 ただ、核のことは、いくら押しても通常の外交ルートでは返事は来ないんですから、その点は総理だけの念頭にきちんとおかれて対処して下さい」
 と、このチャンネル、すなわちこの政治的ホットラインでしか核の決着をつけることはできないので、選択の余地はほとんどないことを再度強調した。


 佐藤総理としては、どうも、事態の予想外の展開が腑に落ちないようであった。できることなら、このような条件を呑まされることなく、核抜き返還を達成したいというのが本心だったであろう。
 9月2日に会った時点で、私は自分の使命についてだいぶ分かってもらえたと思ったのだが、そして16日にはその印象をさらに強めたのだが、それでもなお総理の頭のなかでは、この極秘チャンネルは、交渉というよりもホワイトハウスの大事な情報をとり、大統領の感触を探るという一種の”諜報機能”として位置づけられているようだった。
 つまり、この政治的ホットラインは、通常の外交ルートでどうしても壁が破れぬ場合に、両首脳間の最高レベルでの機密の交渉が行われる可能性をもったものである、という明確の認識はなかったものと思われる。
 したがって、予期せぬことに、私がニクソン大統領のいわば”最後通牒”を引き出してきたことに、その内容のもつ重要性と併せ、なにか釈然としたい気持が胸中根強くあったことは間違いないものと思われる。
 私は、そのような総理の揺れる心理をあえて無視することにした。私とて不本意なことはもちろんだが、ことここにいたっては核抜き返還を達成するには、少々の譲歩や妥協は致し方ない、それがそもそも外交交渉というものではないか、すんなりこちらの要求が通るのなら、もうとっくに通常の外交ルートで決着がついているはずではないか、という開き直った気持ちであった。


 ・・・

 佐藤総理は、私の帰国報告について、『日記』に、次のように書いた。

 「米国に派遣した若泉敬君が帰ってきたので早速会ふ。思った通り、2,3の点で重大決意を要する様だ。又センヰ関係は当方で決心する様に、と決心をせまられる。丁度木川田君が帰国して報告のあったばかりで当方も決心すべき時と相談したばかりの処だった。
 夕刊は米国からセンヰ関係で2国間協定を正式に申しこんで来たと云ふ。外務省に確かめると新聞報道通り。断るすじは勿論ない。前向きで研討(ママ)する様注意する」


 なお、この『佐藤日記』でふれられている3日付け夕刊のワシントン発の記事というのは、私もその夜帰宅してから読み、”いよいよ来たか”と強い印象をもって各紙を精読した記憶がある。内容は、おおむね次のようなものであった。

 「米国のトレザイス国務省経済担当次官補は2日午後3時(日本時間3日午前4時)国務省に吉野駐米大使を招き、米政府の繊維輸入規制についての正式な提案を申し入れた。同案は毛・化合繊は包括的に輸入規制するために2カ国間協定を結ぼうというもので、米国としてはニクソン大統領就任以来、日本に要請してきた繊維の自主規制をついに2カ国間協定にきりかえ、正式な外交ルートを通じてこの締結を迫ってきたもの」


 この繊維問題については、総理への報告後、留守中の新聞報道を読みながら次のようなことに注目した。
 つまり9月29日に、佐藤総理も出席して挨拶した東京ヒルトンホテルでの内外情勢調査会の年次大会において、2週間のワシントン滞在を終え帰任したマイヤー駐日米大使が、「アメリカからの報告」と題する特別講演行った。大使は、そのなかで大要次のように述べていた。

 「沖縄返還のための継続討議で米国が求めていたは、日本の利益と願望を念頭におくことであるが、現在進展が見られているし相互に満足のいく解決が見いだされるものとわれわれは期待している」


 また繊維問題については、次のように述べた。

 「より均衡した対日貿易の収支を実現しようとする米国の希望はしばしばどん欲な圧力と解されるが、このような非難は不当だ。制限的な貿易慣行を避けることによって日本ほど利益を受ける国はない。繊維問題については米国の労働者や工場にも同情ある態度をみせてほしい。破局的な制限措置の連鎖反応を避けるとすれば暫定的な方便としても、日本が一部諸国とすでに実施しているような自主規制を羊毛と人造繊維の輸出で行うことが不可欠だ」

 したがって私が3日に会った時点では、総理の頭のなかでは繊維問題のもつ重要性がかなり認識されていたのではないか、とも思われ
るのである。

 さらに、私の希望的観測を高めたのは、10月2日付の次の報道であった。ただ、私はこの1面トップ記事の信憑性を確かめる術をなんらもたなかった。

 「政府首脳が1日明らかにしたところによると、政府は大詰めを迎えた沖縄交渉を有利に展開するため、最大の決め手として繊維製品の対米輸出自主規制問題を交渉材料に使うハラ固めた。このため、政府は近く米国から自主規制をねらいとした正式提案があれば話し合いに応ずる見通しである。政府首脳が繊維問題を沖縄問題とからめないとの従来の方針を変えたのは農産物を中心とする残存輸入制限の自由化の見通しが立たず、一方、沖縄の核兵器の扱いやB52戦略爆撃機のベトナム向け発進など我が国として譲歩できない核心に近づいた沖縄交渉を打開する考えからとみられている」




一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。青字が書名や抜粋部分です。赤字は特に記憶したい部分です。

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