-NO325~328
-----------「従軍慰安婦」問題 資料NO3 内務省や軍の関係文書---------

ここには、『「慰安婦」問題 櫻井よしこの「直言!」に対する5つの疑問』で論じたことに関わる資料を、『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(財)女性のためのアジア平和国民基金編』から

Ⅶとして「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」
                                  (群馬県知事)
Ⅷとして「北支派遣軍慰安婦酌婦募集ニ関スル件」(山形県知事)
Ⅸとして「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件」(和歌山県知事)
Ⅹとして「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」(内務省警保局長)
ⅩⅠとして「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」
      「副官ヨリ北支方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒」(兵務課)
を入れた。

 重要なことは、内務省警保局長が各庁府県長官宛(除東京府知事)に「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」の文書を発する前に、内務大臣や陸軍大臣、内務省警保局長などに宛てて県知事発の文書が出されていることである。そして、それがいずれも業者による「慰安婦」集めを問題視するものなのである。「…公序良俗ニ反スルカ如キ募集ヲ公々然ト吹聴スルカ如キハ皇軍ノ威信ヲ失墜スルモ甚シキモノト認メ…」とか「…銃後ノ一般民心殊ニ応召家庭ヲ守ル婦女子ノ精神上ニ及ホス悪影響尠カラス更ニ一般婦女身売防止ノ精神ニモ反スルモノトシテ…」と指摘している。そして、和歌山県知事からの文書には業者の慰安婦集めは、依頼があったことを確認したとしている。したがって、業者の「慰安婦」集めは、政府としてはもはや放置できない状況にあったとことが察せられる。

 また、 内務省警保局長が、各庁府県長官宛(除東京府知事)に発した「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」(Ⅹ)と陸軍省兵務局兵務課が発した、副官ヨリ北支方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」(ⅩⅠ)の内容の違いが重要であると思う。国内世論や国際世論の批判をかわすために、国内向けには国際条約に則って「慰安婦」集めに7つの制限項目を設けた文書を発し、植民地や占領地での「慰安婦」集めには、そうした制限を設けない文書を発しているのである。

 日本政府が、「最初は日本国内から集められた女性が多かったのですが、やがて当時日本が植民地として支配していた朝鮮半島から集められた女性がふえました。その人たちの多くは、16、7歳の少女もふくまれる若い女性たちで、性的奉仕をさせられるということを知らされずに、集められた人でした」と認めざるを得なかったのは、上記2つの文書による、二重基準の差別政策が採用された結果であろう。
Ⅶ--------------------------------------------------
             上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件(群馬県知事)

 保第○○○号
    昭和13年1月19日
                                                   群 馬 県 知 事
                                                  ( 警 察 部 長)
    内  務  大  臣  殿
    陸  軍  大  臣  殿
     北 海 道 庁 長 官 殿
     警  視  総  監  殿
      各 廳 府 県 長 官 殿
      高 崎 聯 隊 区 司 令 官 殿
      高 崎 憲 兵 分 隊 長 殿
      (県 下 各 警 察 署 長 殿 )

       上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦
       募集ニ関スル件
          神戸市  ○○○○○○    
            貸座敷   大 内  ○ ○
 右者肩書地ニ於テ娼妓数十名ヲ抱エ貸座敷営業ヲ為シ居ル由ナルカ今回支那事変ニ出征シタル将兵慰安トシテ在上海軍特務機関ノ依頼ナリト称シ上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於テ酌婦稼業(醜業)ヲ為ス酌婦三千人ヲ必要ナリト称シ本年1月5日之カ募集ノ為
            管下前橋市 ○○○○○○
            芸娼妓酌婦紹介業 反 町 ○ ○
方ヲ訪レ其ノ後屡々来橋別記一件書類(契約書(一号)承諾書(二号)借用証書(三号)契約条件(四号))ヲ示シ酌婦募集方ヲ依頼シタルモ本件ハ果シテ軍ノ依頼アルヤ否ヤ不明且公序良俗ニ反スルカ如キ募集ヲ公々然ト吹聴スルカ如キハ皇軍ノ威信ヲ失墜スルモ甚シキモノト認メ厳重取締方所轄前橋警察署長に対シ指揮致置候條此段及申(通)報候也
尚大内○○ノ言動左記ノ通付申添候
 追而兵庫(貴)県ニ於テハ相当取締ノ上結果何分ノ御通報相煩ハシ度
 (県下各警察署長ニ在リテハ厳重取締セラルヘシ)
                    記
日支事変ノ依ル出征将兵モ既ニ在支数ヶ月ニ及ヒ戦モ酣ハナ処ハ終ツタ為一時駐屯ノ体勢トナツタ為将兵カ支那醜業婦ト遊フ為病気ニ掛ルモノカ非常ニ多ク軍医務局テハ戦争ヨリ特務機関カ吾々業者ニ依頼スル処トナリ同係
          神戸市 ○○○○○○
          目下上海在住貸座敷業  中  野 ○  ○
ヲ通シテ約三千名ノ酌婦ヲ募集シテ送ルコトトナツタノテ既ニ本問題ハ昨年12月中旬ヨリ実行ニ移リ目下2~300名ハ稼業中テアリ兵庫県ヤ関西方面テハ県当局モ諒解シ応援シテヰル、営業ハ吾々業者カ出張シテヤルノテ軍カ直接ヤルノテハナイカ最初ニ別紙壹花券(兵士用2円将校用5円)ヲ軍隊ニ営業者側カラ納メテ置キ之レヲ軍テ各兵士ニ配布之ヲ使用シタ場合吾々業者ニ各将兵カ渡スコトトシ之レヲ取纏メテ軍経理部カラ其ノ使用料金ヲ受取ル仕組トナツテヰテ直接将兵ヨリ現金ヲ取ルノテハナイ軍ハ軍トシテノ慰安費様ノモノカラ其ノ費用ヲ支出スルモノラシイ
何レニシテモ本月26日ニハ第2回ノ酌婦ヲ軍用船テ(神戸発)送ル心算テ目下募集中テアル 云々

Ⅷ---------------------------------------------------
                     北支派遣軍慰安婦酌婦募集ニ関スル件(山形県知事)

  収保親第一号ノ内
   昭和13年1月25日
        山形県知事 武 井 群 嗣 
           (山 形 県 警 察 部 長)
   内務大臣 末 次 信 正 殿
   陸軍大臣 杉 山 元  殿
     警  視  総  監  殿
     各 廳 府 県 長 官 殿
        (県 下 各 警 察 署 長 新庄ヲ除ク)   
      北支派遣軍慰安婦酌婦募集ニ関スル件
         神戸市 ○○○○
            貸座敷 大 内 ○ ○
管下最上郡新庄町桜馬場芸娼妓酌婦紹介業者戸塚○○ハ右者ヨリ「今般北支派遣軍ニ於テ将兵慰問ノ為全国ヨリ2500名ノ酌婦ヲ募集スルコトトナリタル趣ヲ以テ500名ノ募集方依頼越下リ該酌婦ハ年齢16歳ヨリ30歳迄前借ハ500円ヨリ1000円迄稼業年限2ヶ年之カ紹介手数料ハ前借金ノ1割ヲ軍部ニ於テ支給スルモノナリ 云々」ト称シアルヲ所轄新庄警察署ニ於テ聞知シタルカ如斯ハ軍部ノ方針トシテハ俄カニ信シ難キノミナラス斯ル事案カ公然流布セラルルニ於テハ銃後ノ一般民心殊ニ応召家庭ヲ守ル婦女子ノ精神上ニ及ホス悪影響尠カラス更ニ一般婦女身売防止ノ精神ニモ反スルモノトシテ所轄警察署長ニ於テ右ノ趣旨ヲ本人ニ懇諭シタルニ之ヲ諒棏シ且ツ本人老齢ニシテ活動意ニ委セサル等ノ事情ヨリ之カ募集ヲ断念シ曩ニ送付アリタル一切ノ書類ヲ前記大内ニ返送シタル状況ニ有之候
右及申(通)報候也
  (県下警察署長ニ於テハ参照ノ上取締上遺憾ナキヲ期セラルベシ
)

Ⅸ-------------------------------------------------
                 時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件(和歌山県知事)

刑第303号 

 昭和12年2月7日(昭和13年の間違い)
                 和 歌 山 県 知 事
                    (警 察 部 長)
 内 務 省 警 保 局 長 殿
   (県下各警察署長殿)

                     時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件
 当県下田辺警察署ニ於テ標記事件発生之カ取締状況左記ノ通ニ有之候條此段及申報候也
   (県下ハ参考ノ上取締ニ資スルト共ニ爾後同様犯罪アリタル場合ハ捜査着手前報告セラルベシ)
                        記
一、事件認知ノ状況
  昭和13年1月6日午後4時頃管下田辺町大字神子濱通称文里飲食店街ニ於テ3名ノ挙動不審ノ男徘徊シアリ注意中ノ處内2名ハ文里水上派出所巡査ニ対シ疑ハシキモノニ非ス軍部ヨリノ命令ニテ上海皇軍慰安所ニ送ル酌婦募集ニ来リタルモノニシテ3000名ノ要求ニ対シ70名ハ昭和13年1月3日陸軍御用船ニテ長崎港ヨリ憲兵護衛ノ上送致済ナリト称シ、立出タリトノ巡査報告アリ真相ニ不審ヲ抱キ情報係巡査ヲシテ捜査セシムルニ文里港料理店萬亭事中井○○方ニ登楼シ酌婦ヲ呼ヒ酌セシメツツ上海行キヲ薦メツツアリテ交渉方法ニ付キ無智ナル婦女子ニ対シ金儲ケ良キ点軍隊ノミヲ相手慰問シ食料ハ軍隊ヨリ支給スル等誘拐ノ容疑アリタルヲ以テ被疑ヲ同行取締ヲ開始シタリ
二、事件取調ノ状況    
  被疑者ヲ取締タルニ
                   大阪市 ・・・・・・
                     貸席業 佐賀・・・
                                当45年
                   大阪市 ・・・・・・
                     貸席業 金澤・・・
                                当42年
                   海南市 ・・・・・
                     紹介業 平岡・・・
                                当40年
 ト自供金澤・・・ノ自供ニ依レバ昭和12年秋頃
                   大阪市 ・・・・・・
                     会社重役  小西・・・
                   神戸市 ・・・・・
                     貸席業 中野・・・
                   大阪市 ・・・・・
                     貸席業 藤村・・・
 ノ3名ハ陸軍御用商人氏名不詳某ト共上京シ徳久少佐ヲ介シ荒木大将、頭山満ト会同ノ上上海皇軍ノ風紀衛生上年内ニ内地ヨリ3000名ノ娼婦ヲ送ル事トナリ詳シキ事情ヲ知ラサルカ藤村、小西ノ両名ニテ70名ヲ送リタルカ九條警察署(大阪府)長、長崎県外事課ニ於テ便宜ヲ受ケタリ上海ニ於テハ情交金将校5円、下士2円ニテ2年後軍ノ引揚ト共ニ引揚クルモノニシテ前借金ハ800円迄ヲ出シ募集ニ際シ藤村・・・ノ手先トシテ和歌山県下ニ入リ込ミ、勝手ヲ知ラサル為右事情ヲ明シ平岡・・・ニ案内セシメ御坊町ニ於テ
                      ・・・・・     当26年
                      ・・・・・     当28年
ノ両名ヲ・・・・・ハ前借金470円、・・・・・ハ前借金362円ヲ支払ヒ海南市平岡・・・方ニ預ケアヲリト自供セリ依テ九條警察署関係ヲ照会スルト共ニ真相ヲ明明ニスル為メ・・・、・・・等ヲ同行シ事情ヲ聴取スルニ金澤・・・自供ノ如ク誘拐方法供述セリ

三、身柄の処置
  照会ニ依リ被疑者3名ノ身元ノミ判明シタルカ皇軍慰問所ノ有無不明ナルガ九條警察署ニ於テ酌婦公募証明ヲ出シタル事実判明疑義ノ点多々アリ真相確認後ニ於テ取調ヲ為スモ被疑者逃走証拠湮滅ノ虞ナシト認メ所轄検事ニ報告ノ上
                    被疑者 ・・・・・
                     〃  ・・・・・
                     〃  ・・・・・
                    被疑者 平岡 ・・
                    関係人 中井 ・・
                     〃  弓倉 ・・
ノ聴取ニ止メ1月10日身柄ヲ釈放セルモ何時ニテモ出頭方誓言セシメタリ


四、関係方面照会状況
  長崎県外事課及大阪府九條警察署ニ照会シタルニ左記ノ通リ回答アリタリ
                     記
 (長崎県外事課ヨリノ回答)
 宛先等略
 ……本件ニ関シテハ客年12月21日付ヲ以テ在上海日本総領事館警察署長ヨリ本県長崎水上警察署長宛左記ノ如ク依頼越シタルヲ以テ
本県ニ於テハ右依頼ニ基キ…                         

 (大阪九條警察署長ヨリノ田辺署長宛回答)
  拝啓 唐突ノ儀御赦シ被下度候
  陳者此ノ度上海派遣軍慰安所従業酌婦募集方ニ関シ内務省ヨリ非公式ナガラ当府警察部長ヘ依頼ノ次第モ有之当府ニ於テハ相当便宜ヲヘ既ニ第1回ハ本月3日渡航セシメタル次第ニテ目下貴管下ヘモ募集者出張中ノ趣ナルカ左記ノ者ハ当署管内居住者ニシテ身元不正者ニ非サル者関係者ヨリ願出候ニ就キ之カ事実ニ相違ナキ点ノミ小職ニ於テ証明書致候間可然御取計願上候
                                                                 敬具

 以下略   
Ⅹ--------------------------------------------------- 
 内務省発警第5号
 秘  昭和13年2月23日
                                                     内務省警保局長
   各庁府県長官宛(除東京府知事)                         

                支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件

 最近支那各地ニ於ケル秩序ノ恢復ニ伴ヒ、渡航者著シク増加シツツアルモ、是等の中ニハ同地ニ於ケル料理店、飲食店ニ類似ノ営業者ト聯繋ヲ有シ、是等営業ニ従事スルコトヲ目的トスル婦女寡ナカラザルモノアリ、更ニ亦内地ニ於テ是等婦女ノ募集周旋ヲ為ス者ニシテ、恰モ軍当局ノ諒解アルカノ如キ言辞ヲ弄スル者モ最近各地ニ頻出シツツアル状況ニ在リ、婦女ノ渡航ハ現地ニ於ケル実情ニ鑑ミルトキハ蓋シ必要已ムヲ得ザルモノアリ警察当局ニ於テモ特殊ノ考慮ヲ払ヒ、実情ニ即スル措置ヲ講ズルノ要アリト認メラルルモ、是等婦女ノ募集周旋等ノ取締リニシテ、適正ヲ欠カンカ帝国ノ威信ヲ毀ケ皇軍ノ名誉ヲ害フノミニ止マラズ、銃後国民特ニ出征兵士遺家族ニ好マシカラザル影響ヲ与フルト共ニ、婦女売買ニ関スル国際条約ノ趣旨ニモ悖ルコト無キヲ保シ難キヲ以テ、旁々現地ノ実情其ノ他各般ノ事情ヲ考慮シ爾今之ガ取扱ニ関シテハ左記各号ニ準拠スルコトト致度依命此段及通牒候


1、醜業ヲ目的トスル婦女ノ渡航ハ、現在内地ニ於テ娼妓其ノ他、事実上醜業ヲ営ミ、満21歳以上、且ツ花柳病其ノ他、伝染性疾患ナキ者ニシテ、北支、中支方面ニ向フ者ニ限リ、当分ノ間、之ヲ黙認スルコトトシ昭和12年8月米三機密合第3776号外務次官通牒ニ依ル身分証明書ヲ発給スルコト

2、前項ノ身分証明書ヲ発給スルトキハ稼業ノ仮契約ノ期間満了シ又ハ其ノ必要ナキニ至リタル際ハ速ニ帰国スル様予メ諭旨スルコト

3、醜業ヲ目的トシテ渡航セントスル婦女ハ、必ズ本人自ラ警察署ニ出頭シ、身分証明ノ発給ヲ申請スルコト

4、醜業ヲ目的トスル婦女ノ渡航ニ際シ身分証明書ノ発給ヲ申請スルトキハ必ズ同一戸籍内ニ在ル最近尊属親、尊属親ナキトキハ戸主ノ承認ヲ得セシムルコトトシ若シ承認ヲ与フベキ者ナキトキハ其ノ事実ヲ明ナラシムルコト

5、醜業ヲ目的トスル婦女ノ渡航ニ際シ身分証明書ヲ発給スルトキハ稼業契約其ノ他各般ノ事項ヲ調査シ婦女売買又ハ略取誘拐等ノ事実ナキ様特ニ留意スルコト

6、醜業ヲ目的トシテ渡航スル婦女其ノ他一般風俗 関スル営業ニ従事スルコトヲ目的トシテ渡航スル婦女ノ募集周旋等ニ際シテ軍ノ諒解又ハ之ト連絡アルガ如キ言辞其ノ他軍ニ影響ヲ及ボスガ如キ言辞ヲ弄スル者ハ総テ厳重ニ之ヲ取締ルコト

7、前号ノ目的ヲ以テ渡航スル婦女ノ募集周旋等ニ際シテ、広告宣伝ヲナシ又ハ事実ヲ虚偽若ハ誇大ニ伝フルガ如キハ総テ厳重(ニ)之ヲ取締ルコト、又之ガ募集周旋等ニ従事スル者ニ付テハ厳重ナル調査ヲ行ヒ、正規ノ許可又ハ在外公館等ノ発行スル証明書等ヲ有セズ、身許ノ確実ナラザル者ニハ之ヲ認メザルコト


ⅩⅠ------------------------------------------------
 陸軍省兵務局兵務課起案
                                        1938年3月4日   起元庁(課名)兵務課
                     軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件

 副官ヨリ北支方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒案

 支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為、内地ニ於テ之ガ従業婦等ヲ募集スルニ当リ、故ラ(コトサラ)ニ軍部諒解等ノ名義ヲ利用シ、為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ、且(カ)ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞(オソレ)アルモノ、或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ、或ハ募集ニ任ズル者ノ人選適切ヲ欠キ、為ニ募集方法誘拐ニ類シ、警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等、注意ヲ要スルモノ少ナカラザルニ就テハ、将来是等(コレラ)ノ募集ニ当タリテハ、派遣軍ニ於テ統制シ、之ニ任ズル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ、其ノ実施ニ当リテハ、関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連繋(レンケイ)ヲ密ニシ、以テ軍ノ威信保持上、並ニ社会問題上、遺漏ナキ様配慮相成度(アイナリタク)、依命(メイニヨリ)通牒ス。


---------
「従軍慰安婦」問題 資料NO4 婦女売買関係条約と報道---------

ここには、
『「慰安婦」問題 「直言!」(櫻井よしこ)に対する5つの疑問』で論じたことに関わる資料を『日本軍「慰安婦」関係資料集成(明石書店)』からとり

ⅩⅡとして 「婦人児童売買禁止国際条約」の
      1、醜業婦輸入取締1904年条約
      2、醜業婦取締1910年条約
      3、1921年条約
      4、婦人児童売買1921年国際会議の最終議定書

ⅩⅢとして、国民新聞(8月29日朝刊記事)
ⅩⅣとして、国民新聞(9月9日社説)
を入れた。

 戦地における「従軍慰安婦」が、公娼制度で認められた売春婦であり、合法的な存在だった、とする考え方の問題点を確認するためである。「従軍慰安婦」の訴えを退けるために、よく利用される「アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号」にさえも、「これらの周旋業者が用いる誘いのことばは、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、それに、楽な仕事と新天地——シンガポール——における新生活という将来性であった。このような偽りの説明を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、2、3百円の前渡金を受け取った」とある。また、これに似たような元「従軍慰安婦」証言は数多くあるが、こうした誘いは、当時も許されるものではなかった。国際法で禁じられていたことが分かるのである。

 また、櫻井氏は内務省警保局長発の各庁府県長官宛(除東京府知事)文書「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」を読んで、「売春の仕事に就かざるを得ない女性たちを、まかり間違っても本人の意志に反してそこに追い込んではならないとの思いが表れています」と解釈しているが、国民新聞の8月29日朝刊記事や9月9日社説は、そうした解釈があやまりであることを物語っている。

 日本政府が、「婦人児童売買禁止国際条約」にすぐ調印せず、督促され「帝国ニ於テモ余リ遅レサル方然ルヘシト思考シ」調印したという事実や、調印にあたって 
下記署名ノ日本「国」代表者ハ政府ノ名ニ於テ本条約第5条ノ確認ヲ延期スルノ権利ヲ留保シ且其ノ署名ハ朝鮮、台湾及関東租借地ヲ包含セサルコトヲ宣言ス
 
というような「留保宣言」をつけ加え、それを、その後も撤回しなかった事実をみれば、櫻井氏のような解釈はできないのである。
 したがって、「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」は、国内世論や国際世論をかわすための手段として発せられ、実は、「慰安婦」集めにあたって、何の制限も加えていない陸軍省兵務局兵務課が発した「副官ヨリ北支方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒」という文書こそが、政策上重要であったと考えられる。軍が必要とした若い「慰安婦」集めるために、「留保宣言」を利用した差別政策がとられたということである。
ⅩⅡ-------------------------------------------------
                        婦人児童売買禁止国際条約        

 目次
1、醜業婦輸入取締1904年条約
2、醜業婦取締1910年条約
3、1921年条約
4、婦人児童売買1921年国際会議の最終議定書

         1、醜業婦輸入ノ取締ニ関スル1904年5月18日条約

独逸国、丁抹国、西班牙国 仏蘭西国、大不列顚国、伊太利国、露西亜国、瑞典国、那威国及瑞西国ハ1905年1月18日ニ白耳義国ハ1905年6月22日ニ葡萄牙国ハ1905年7月12日合衆国ハ1907年1月14日ニ本条約批准書ヲ巴里ニ寄托シ1905年7月18日ヨリ之ヲ実施シタリ

第1条 各締盟国政府ハ外国ニ於テ醜業ヲ営マシメントスル婦娘ノ傭人ニ関スル一切ノ材料ヲ蒐集スヘキ一種ノ官憲ヲ創立若クハ指定スルコトヲ約ス右官憲ハ他ノ各締盟国ノ創立シタル同種ノ官憲ト直接ニ交渉スル権能ヲ有スヘシ


第2条 各締盟国ハ醜業婦ニ用ヰントスル婦娘ノ誘導者ヲ殊ニ停車場、上陸港及旅行中ニ於テ捜索スル為メ監視ヲ行フコトヲ約ス右ノ資格ヲ有スル官吏若クハ其他ノ者ニハ右ノ目的ノ為メ法定ノ範囲内ニ於テ犯罪的取引ノ踪跡ヲ知ラシムヘキ諸材料ヲ収得セシムル為メ訓示ヲ与フヘシ

第3条 各締盟国政府ハ必要アルトキハ法定ノ範囲内ニ於テ醜業ニ従事スル外国籍ヲ有スル婦娘ノ其身分及戸籍ヲ証明スル申告書ヲ受理セシメ何人カ彼等ヲシテ生国ヲ去ラシメタル乎ヲ調査スルコトヲ約束ス、蒐集シタル材料ハ随時婦娘ヲ帰国セシムル為メ其生国ノ当該官憲ニ通告ス
締盟国政府ハ若シ犯罪的取引ノ犠牲者カ全然資力ヲ有セサルトキハ法定ノ範囲内ニ於テ為シ得ヘキ限リ該犠牲者ヲ随時帰国セシムル為メ仮ニ彼等ヲ公設若クハ私設ノ救済機関若クハ必要ナル担保ヲ提供シタル個人ニ委托スルコトヲ得又締盟国政府ハ右ノ婦娘中帰国ヲ請求シ若クハ其身上ニ権威ヲ有スル者ヨリ要求シタル婦娘ヲ法定ノ国境内ニ於テ為シ得ヘキ限リ其生国ニ送還センコトヲ約束ス其帰国ハ本人ノ身分及国籍並ニ国境ニ到着ノ期日及場所ヲ照会協議シタル後ニアラサレハ為スヘカラス各締盟国ハ其領土内通過ノ便ヲ与フヘシ帰国ニ関スル通信ハ可成直接ニ為スヘシ。


 第4条 帰国セントスル婦娘カ其帰国旅費ヲ償還スルヲ得サル場合及彼等ノ為メ之ヲ支払フヘキ夫、父母若クハ後見人アラサル場合ニ於テハ帰国ノ為メ要スル諸費ハ最初ノ国境若クハ生国ノ方向ニ在ル乗船港迄ハ彼等ノ居住シタル国ノ負担トス

第5条 第3条及第4条ノ規定ハ締盟国間ニ於テ締結セラレルヘキ特別条約ヲ徐棄セサルヘシ

第6条 締盟国政府ハ法定ノ範囲ニ於テ出来得ル限リ外国ニ婦娘ノ職業ヲ紹介スル事務所ヲ監視スルコトヲ約ス

第7条 締盟国外ノ諸国モ本条約ニ加入スルコトヲ得ヘシ之カ為メニハ右諸国ハ外交官ヲ経テ其意思ヲ仏蘭西政府ニ通告スヘシ同国政府ハ其旨ヲ締盟諸国ニ通知スヘシ

第8条 本条約ハ批准交換ノ日ヨリ起算シ6ヶ月ヲ経テ実施シ、締盟国中ノ一国カ本条約ヨリ脱スルモ其脱退ノ効力ハ右ノ一国ニ止マリ脱退ノ日ヨリ起算シテ12ヶ月タルヘシ


第9条 本条約ハ可成速ニ批准ヲ経テ其批准書ハ巴里市ニ於テ交換スヘシ
1904年5月18日巴里市ニ於テ調製シタル原本一通ハ之ヲ仏蘭西共和国外務省ノ文庫ニ保存シ其謄本一通ヲ証認(ママ)ノ後各締盟国ニ交付ス



                  2、醜業婦ノ取締ニ関すスル1910年5月4日国際条約

 前文略

第1条 何人ニ拘ラス他人ノ情欲ヲ満足セシムル為メ売淫セシムル意思ニテ未丁年ノ婦娘ヲ傭入レ誘引若クハ誘惑シタル者ハ仮令本人ノ承諾アルモ又犯罪構成ノ要素タル各種ノ行為カ他国ニ於テ遂行セラレタルトキト雖モ処罰セラルヘキモノトス 

第2条 何人ニ拘ラス、他人ノ情欲ヲ満足セシムル為メ売淫セシムル意思ニテ詐偽、暴行、強迫、権勢其他強制的手段ヲ以テ成年ノ婦娘ヲ雇入レ誘引若クハ誘惑シタル者ハ仮令犯罪構成ノ要素タル各種ノ行為カ他国ニ於テ遂行セラレタルトキト雖モ処罰セラルヘキモノトス

第3条 現ニ各締盟国ノ法規カ前2条ニ規定セラレタル犯罪ヲ処罰スルニ足ラサルトキハ締盟国ハ各自国ニ於テ其犯罪ノ軽重ニ従ヒ処罰スル為メ必要ナル処分ヲ定メ若クハ之ヲ立法府ニ建議センコトヲ約束ス

 以下略

       3、婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約(1921年条約)

 前文略

    第1条 
締約国ニシテ未タ前記1904年5月18日ノ協定及1910年5月4日ノ条約ノ当事国タラサルニ於テハ右締約国ハ成ルヘク速ニ前記条約及協定中ニ定メラレタル方法ニ従ヒ之カ批准書又ハ加入書ヲ送付スルコトヲ約ス

    第2条
締約国ハ児童ノ売買ニ従事シ1910年5月4日ノ条約第1条ニ該当スル罪ヲ犯ッッスモノヲ発見シ且之ヲ処罰スル為メ一切ノ措置ヲ執ルコトヲ約ス

    第3条
締約国ハ1910年5月4日ノ条約第1条及第2条ニ定メタル犯罪ノ未遂処罰及法規ノ範囲内ニ於テ右犯罪ノ予備ノ処罰ヲ確保スル為メ必要ナル手段ヲ執ルコトヲ約ス

    第4条
締約国ハ締約国間ニ犯罪人引渡条約存在セサル場合ニ於テハ1910年5月4日ノ条約第1条及第2条ニ定メタル犯罪ニ付起訴セラレ又ハ有罪ト判決セラレタル者ヲ引渡ス為又ハ之カ引渡ノ準備ノ為其権内ニ在ル一切ノ措置ヲ執ルコトヲ約ス

    第5条
1910年ノ条約ノ最終議定書(ロ)項ノ「満20歳」ナル語ハ之ヲ「満21歳」ニ改ムヘシ

    第6条 
締約国ハ職業紹介所ノ免許及監督ニ関シ未タ立法上又ハ行政上ノ措置ヲ執ラサル場合ニ於テハ他国ニ職業ヲ求ムル婦人及児童ノ保護ヲ確保スルニ必要ナル規則ヲ設クルコトヲ約ス


    第7条 
締約国ハ移民ノ入国及出国ニ関シテ婦人及児童ノ売買ヲ防遏スルニ必要ナル行政上及立法上ノ措置ヲ執ルコトヲ約ス締盟国ハ特ニ移民船ニ依リ旅行スル婦人及児童ニ付其出発地及到着地ニ於ケルノミナラス亦其旅行中ニ於ケル保護ニ必要ナル規則ヲ定ムルコト並婦人及児童ニ対シ売買ノ危険ヲ警告シ且宿泊及援助ヲ得ヘキ場所ヲ指示スル掲示ヲ停車場及港ニ掲クルコトヲ約ス


    第8条~第13条 略

    第14条
本条約ニ署名スル連盟国又ハ其他ノ国ハ其署名カ其殖民地海外属地保護国又ハ其主権又ハ法権ニ属スル地域ノ全部又ハ一部ヲ包含セサルコトヲ宣言シ得ヘク右宣言ニ於テ除外セラレタル前記殖民地海外属地保護国又ハ地域ノ何レノ為ニモ後日格別ニ加入ヲ為スコトヲ得廃棄モ又右殖民地海外属地保護国又ハ其主権若クハ法権ニ属スル地域ノ何レニ関ステモ各別ニ之ヲ為スコトヲ得ヘク且第12条ノ規定右廃棄ニ適用セラルヘシ
1921年9月30日「ジュネーブ」ニ於テ本書一通ヲ作成シ之ヲ国際聯盟ノ記録ニ寄托保存ス


 ・・・

 日本国  
下記署名ノ日本「国」代表者ハ政府ノ名ニ於テ本条約第5条ノ確認ヲ延期スルノ権利ヲ留保シ且其ノ署名ハ朝鮮、台湾及関東租借地ヲ包含セサルコトヲ宣言ス


    以下略

        4 婦人児童ノ売買ニ関スル国際会議最終議定書

 前文略

1、婦人及児童ノ売買ノ有効ナル禁止ハ成ルヘク多クノ国ニ於テ共通ノ原則及同様ニ措置ヲ執ルコトニ依リテ促進セラルヘキニ因リ之カ為ニ右犯罪行為ハ各国ノ法律ニ依リ処罰セラルヘキコト肝要ナリト認メラルルニ因リ1904年5月18日ノ協定及1910年5月4日ノ条約ハ右ノ点ニ於テ肝要ナル原則及措置ヲ含ムニ因リ前記協定及条約ヲ成ルヘク完全且一般的ニ適用スルコトハ現在ノ状態ニ対シテ重要ナル改善ヲ確保スルノ効果有ルヘキニ因リ本会議ハ国際聯盟理事会ニ対シ

 1904年5月18日ノ協定及1910年5月4日ノ条約ヲ未タ批准セス又ハ之ハ加入セサル一切ノ連盟国及他ノ国ニ右協定及条約ヲ批准シ又ハ之ニ加入スルノ緊要ナルコトヲ力説セムコトヲ勧告ス 

2 本会議ハ人種及皮膚ノ色ノ如何ヲ問ハス婦人及児童ノ保護ヲ確保セムコトヲ欲シ国際連盟理事会カ婦人及児童ノ売買問題ニ関スル1904年5月18日ノ協定及1910年5月4日ノ条約ノ当事国並未タ右協定条約ニ加入セサル国ニ対シ其ノ植民地及属領ノ為ニモ加入ヲ為スヘキ旨招請セムコトヲ勧告ス


3、本会議ハ国際連盟理事会カ各国政府ニ対シ1910年5月4日ノ条約第1条及第2条ニ定ムル犯罪ノミナラス右犯罪ノ未遂及法規ノ範囲内ニ於テ其予備ヲモ処罰スルノ規定ヲ設クヘキ旨要請セムコトヲ勧告ス

4、本会議ハ国際連盟理事会カ1904年5月18日ノ協定及1910年5月4日ノ条約ノ当事国又ハ之ニ加入セントスル国ニ対シ1910年ノ最終議定書(ロ)ニ掲ケタル年齢ヲ満21歳ニ延長シ且右年齢ヲ以テ最低限(右最低限ニ付テハ各国ハ更ニ之ヲ高ムルコトヲ勧告セラルルモノトス)ト看做スヘキ旨定ムルコトヲ要請セムコトヲ勧告ス


5~15 略

 調印及留保宣言

 大正10年10月6日外務省ハ在「ジュネーブ」国際連盟総会帝国全権ヨリノ電報ニ依レハ婦人小児売買〔禁止〕条約調印ニ関シ国際連盟事務局ハ熱心ニ勧誘ヲ為シタル結果調印国既ニ15カ国ニ達シ尚増加ノ形勢ヲ示シツツアルニ依リ帝国ニ於テモ余リ遅レサル方然ルヘキト思考シ大正10年10月4日林大使調印セリ

 調印文

 『下記署名ノ日本国代表者ハ政府ノ名ニ於テ〔本〕条約第5条ノ確認ヲ延期スルノ権利ヲ留保シ』且ツ其ノ署名ハ朝鮮、台湾及関東租借地ヲ包含セサルコトヲ宣言ス  林 権助  印


参考
本条約
 第5条 1910年ノ条約ノ最終議定書(ロ)項ノ「満20歳ナル語ハ之ヲ満21歳ニ改ヘシ」1910年条約最終議定書
 (ロ)第1条及第2条ニ定ムル犯罪ノ禁止ニ付テハ「未成年ノ婦女成年ノ婦女」ナル語ハ満20歳未満又ハ以上ノ婦人ヲ指スモノト了解セラルヘシ但シ何レノ国籍ノ婦女ニ対シテモ同一ニ適用スルコトヲ条件トシテ法律ヲ以テ保護年齢ヲ更ニ高ムルコトヲ得


ⅩⅢ-------------------------------------------------
国民新聞(8月29日朝刊記事)

     確定的宣言の不法を詰る/婦人売買禁止条約批准の枢府精査委員会で

 婦人児童売買禁止の国際条約批准に関する枢密院第1回精査委員会は既報の如く28日午前10時より同院事務所に開会され正午一旦休憩、一同午餐を共にしたる後午後1時半より再会し午前に引き続き審議を進め質問未了の儘同4時散会した、而して当日会議の内容として確聞する所に依れば開会まず山川法制局長官より同条約の経過並に結果及案の内容と帝国政府に於いて除外例として留保したる二箇の点即ち

 1、同条約は総て之を植民地に適用せざる事
 2、売買年齢を満21歳以上とあるに対し18歳以上としたる事

に関し約40分に亙り詳細なる説明をなし終つて愈々質問に入つたが質問者は全部にして之に対する政府側の答弁は主として山川法制局長官及湯浅内務次官が其の衝に当つた、而して当日提起されたる枢府側の質問者要旨は大体に於て左の如くであると


 第1、本条約に於て帝国政府独り二箇の除外例を設けたるは如何なる理由に基づくか、或は貸座敷業取締規則等の国内法との抵触を慮つた結果であるか、若し然りとせばそは大なる錯誤なり然らずとせば全然理由なき有害無益の留保と観ねばならぬ、抑も同条約の目的とする所は未成年の婦女が醜行を目的として勧誘、誘引、又は拐去され若くは同様の目的に依り詐偽又は暴行脅迫権利の濫用其他一切の強制手段に依つて国内より国外に売買されんとするを禁止するものである以上之に政府の要求したるが如き留保を付するの必要は毫も之を認むる事は出来ぬ、而して斯くの如き留保は人道尊重の上より見るも或は日本文明の見地よりするも、更に又日本婦人の立場より之を論ずるも自ら侮るの甚だしきものであつて甚だ遺憾とせざるを得ぬ、政府は如何なる理由に依り斯くの如き留保を為したか此の点を明瞭に承り度い

 第2、政府は本条約の批准に先ち右二箇の留保に関し殆ど確定的の宣言を為して居る、斯くの如きは御裁可御批准に先ちて帝国政府の立場を確定的にしたものであり御批准に際して仮りに錯誤を発見したりとしても其撤回を要求する政府の面目にも関し殆んど之を不可能としたものと観ねばならぬ、斯くの如きは条約締結の手続上より之を見て頗る遺憾とする所であり将来は大いに注意を要する点と思惟する、即ち御批准前に於て斯くの如き宣言をなしたる事は如何なる理由に基づくのであるか

 第3、本条約は来る9月7日よりゼネバに開会さるる国際連盟総会の議題となり居る問題にして帝国政府としては少なくとも夫れ迄に御批准を為して之を通告せねばならぬ事となつて居る然るに政府は条約締結以来満4箇年其の間屡々連盟事務局より御批准の督促ありしに拘らず苒苒之を抛擲し御批准期の切迫せる今日に於て突如として御諮詢の手続きを執つた事は誠に遺憾とする所である

 右に対する政府側の答弁要旨は大体左の如くである。

 第1、二箇の留保を付したる事は何等国内法規との関係を顧慮したるに非ず唯だ種々の理由に於て特殊の立場に在るのみならず婦女成熟の点に見るも外国に比し可及的速やかなる点もあり且つ国内法に於ても満18歳以上の者に対し之を認め居る事実あるに鑑み右の除外例を要求した次第である


 第2、御批准前に留保の宣言をなしたる事は特に理由ある次第に非ず唯だ日本の公娼制度と関係する所あるに鑑み之を娼妓取締規則と合致せしむべく18歳を主張し且つ植民地に於ける朝鮮人台湾人及海外出稼醜業婦に対し一律に適用し難き事情ある為右の宣言を為したものである

 第3、御諮詢手続きを今日迄遷延せしめたる事は誠に遺憾とする所なるも之は国内的事情に基き万已むを得なかつた次第であると云ふに在るが更に枢府瀚長と政府側との間に於て下調べの必要を生じたる点二三あり其終了を俟つて更に次回委員会に於て質問を続行する事となる模様である
ⅩⅣ------------------------------------------------
 国民新聞(9月9日社説)

                          婦人売買禁止と留保

  一   
婦人売買禁止条約に対して我が政府のとつた措置は如何なる点から観ても、決して認容すべからざる近来の一大失態である。それも事前に於て十分に考慮するの余裕がなかつたとか、若しくは咄嗟のあひだに、誤つてあのやうな失錯をしでかしたとか云ふことであれば、それは多少情状酌量の余地もあらう。然るに今回問題になつた婦人売買禁止条約は1921年に成立したもので、それ以来すでに満4年を経過してゐる。即ち政府としては満4年間考慮に考慮を重ねた上で、今回いよいよ批准の手続きをとることになつたのである。然かも満4年間、政府が考慮に考慮を重ねた結果が最近、枢密院に於て問題となつた2個の留保であると云ふに至つては、実に御念の入つた一大失態と云はねばならぬ。

 
 二   
婦人売買禁止条約の目的とするところは「醜業に従事せしむる目的を以て未成年の婦女を誘拐し誘引し、若しくは拐去したもの」を処罰するにある。これは何人も異議のあらう筈はない。そして1921年の条約では、1910年の条約に売買の目的物たる婦人の年齢を満20歳としてあつたのを満21歳と訂正したのである。満20歳を引き上げて満21歳とした理由は、これによつて更に婦人売買の範囲を制限せんとするにあるは勿論であつて、此の年齢の引上を規定した第5条こそ実に本条約の生命である。従つて我が政府として1921年の国際条約に加入すると云ふならば、よろしく此の趣意にもとづき、全くの無条件で加入するが当然であつた。


 三
政府は満21歳とすれば国内法に抵触するかの如く云つてゐるが、これは全然事実を無視したる弁解である。此の場合、国内法と云ふのは刑法を指すことは勿論である。然るに我が刑法は第224条、第225条及び第226条に於て、誘拐其の他の手段により未成年者を帝国外に移送するものに対し、之を処罰することを規定してゐる。即ち未成年者の誘拐に対してこれを保護することは明らかに我が国内法の命ずるところである。国内法との関係上、満21歳を18歳に引下げねばならぬ理由はすこしもない、また我国に於ては公娼制度がおかれてあるばかりでなく、其の方面に於ては満18歳を以て標準年齢としてゐるので、政府は此等の事情に鑑み、それと釣合を取る必要上、年齢の引下げを条件としたのであると云ふ説もあるが、若しさうだとすれば、其の結果は少数なる営業者の利益を保護するために国家の対面を犠牲に供して顧みざる言語道断のやりかたと云はねばならぬ。


 四
元来、婦人売買禁止の如きは重大なる人道問題であつて、それがだんだん国際問題として取り扱はれるやうになつたことは1921年の国際条約が成立するに至つた経路(ママ)を見ても明白である。即ち1921年の国際条約の前には1910年の国際条約があり、1910年の国際条約の前には1904年の国際条約がある。即ち此等の3条約が相集まつて婦人売買禁止に関する国際条約の三部を作成してゐるある。然かも此等の条約が成立したのは、表面に於ても裏面に於ても、人道論者の大なる努力の賜である。日本は比較的おくれて此等の会議に参加したのであるが、然し政府にして、より多くの道義的観念を持つてゐたならば、たとひおくれたりとは云へ、あのやうな留保をなす以外多少なりとも列国から感謝されるやうな積極的行動に出づることが出来たであらう。然し今となつては、もはや云つても仕方がない。ただ政府としては今回の失態を鑑みて、よろしく自ら其の将来を戒むべきである。「近き将来、適当の機会に於て2個の留保を撤回する」だけでは、決して政府の罪ほろぼしにはならない。(伊藤)


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「従軍慰安婦」問題 秦郁彦教授の論述に対する疑問-------------

 「直言! 日本よ、のびやかなれ」櫻井よしこ(世界文化社)の中で、櫻井氏は吉田清治氏(『わたしの戦争犯罪ー朝鮮人強制連行』の著者)を長々と批判し、「吉田氏の著書に較べて、私が秦氏らの著書や疑問提起に同感していることを読者の皆さんは気付いたと思います」と書いていた。また、「秦氏の現地で集めた情報が何より真実を告げている」と、自らの主張が秦氏に依拠していることを明らかにしつつ、「昭和史の謎を追う」秦郁彦(文藝春秋)の記述を引いていた。
 そこで、「昭和史の謎を追う」秦郁彦(文藝春秋)「従軍慰安婦たちの春秋」(上・下)を通読した後、「現代史の争点」秦郁彦(文藝春秋)を手に取った。でも、「現代史の争点」の「従軍慰安婦」問題に関する記述には、いくつか疑問を感ずるとともに、これが教授の文章なのか、と意外に思われた。政治家や運動団体の活動家のような文章に感じられたからである。

 ここでは、『Ⅰ 南京事件と慰安婦問題』の、「壮大な茶番劇」としての慰安婦論争』の中の『「奴隷」を安直に使うな』を抜粋し、疑問に思ったことをいくつ指摘したい。

 まず、秦教授は、「慰安婦」を「性奴隷」などと表現するのは間違いで、「慰安婦」は、「合法的存在だった公娼制の慣行にならったものだった」と指摘されている。そして、「慰安婦」には「相手を拒否する自由」「廃業の自由」「外出の自由」があった証拠資料として、「アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号」を挙げておられる。秦教授はこの資料について、「第3者の立場で観察した唯一の公文書であるだけに、その資料的価値は高く…」と述べておられるが、「えっ?」と驚くと共に、「従軍慰安婦」の存在を否定し、「従軍慰安婦問題など存在しない。売春婦が戦地で商行為を行っていたのだ。」などと主張する面々が、この資料を持ち出す「震源地」はここではないか、と直感せざるを得なかった。

 この資料は、多くの元「従軍慰安婦」の証言と食い違う内容の資料である。にもかかわらず、「吉見氏がいうほど慰安婦たちの生活は悲惨だったのだろうか」と言って、この資料を持ち出す秦教授は、十分検証されたのであろうか、と疑問に思われたのである。あるいは、事実を百も承知で、立場上やむを得ずこういう論述をされているのかも知れないとも考えた。この資料についてはすでに、<「従軍慰安婦」と「 日本人捕虜尋問報告 第49号」の問題点>で論じたが、少々付け加えをしながら、再確認したい。

 まず第1に、この尋問報告の大き問題は、記述されている報告の内容が「朝鮮人慰安婦」の証言に基づくものか、それとも日本の民間人(業者)の証言に基づくものかが分からないことである。報告のすべての項目が「情報源」不明なのである。したがって、その「資料的価値」が疑われる。なぜなら、「朝鮮人慰安婦」の生活や労働条件等について、日本の民間人(業者)が、詳しく正確なことを話すとは考えにくい。軍の監督下にあり従属的であったとはいえ、「朝鮮人慰安婦」の立場からみれば、民間人業者も加害者の側面を持つ。性交渉を強要された「朝鮮人慰安婦」の証言の中には、軍人はもちろん、「経営者にぶたれるのではないかといつも身をちぢこませて」いなければならなかった(李容洙)というような証言もあるのである(「従軍慰安婦」吉見義明<岩波新書>)。さらに、人身売買により、女性を「慰安婦」として拘束し、「相手を拒否する自由」「廃業の自由」「外出の自由」などを認めないことは、国際法違反で罰せられる行為である。日本の民間人(業者)が、そうした事実を自ら認めることは考えにくいのである。したがって、報告の内容が「朝鮮人慰安婦」の証言に基づくものか、それとも日本の民間人(業者)の証言に基づくものかが分からないこの資料を、「朝鮮人慰安婦」の証言に基づくものと勝手に判断し、「第3者の立場で観察した唯一の公文書であるだけに、その資料的価値は高く…」など言って利用することが許されるのかどうか、疑問なのである。

 「日本人捕虜尋問報告 第49号」の次に『従軍慰安婦資料集』に収められているアメリカ陸軍歩兵大佐アレンダー・スウィフトの「心理戦尋問報告 第2号」では「それぞれの項目に対して付された整理番号は情報提供者を示す」とある。だれが話したことか明らかにされているのである。また「正確を期すために十全の努力が払われているが、この報告のなかの情報は、他の諸情報によって確証されるまでは控え目に評価されるべきである」とも書かれている。それに比して、この第49号の報告は、そうした配慮や慎重さがまるでないのである。

 次に、「性向」の項目では、「朝鮮人慰安婦」が、「無教育、幼稚、気まぐれ、わがままで、美人ではなく、自己中心的である」と書かれている。また、「見知らぬ人の前では、もの静かでとりすました態度を見せるが、女の手練手管を心得ている」ともある。20人の「朝鮮人慰安婦」について、20日余りの尋問期間で、こんなことが尋問官に分かるとは思えない。また、見知らぬ尋問官の前で、捕虜となった「朝鮮人慰安婦」がそうした性格を丸出しにすることは考えられない。当然のことながら、そういう判断の根拠は全く示されていない。

 それに、朝鮮人「慰安婦」の尋問が、どのようなかたちで、何語でなされたのか、通訳はいたのか、なども分からない。報告者は「アレックス・ヨリチ」という日系アメリカ人のようであるが、朝鮮人「慰安婦」が日本語や英語を話せたとは考えにくい。また、報告者「アレックス・ヨリチ」氏が朝鮮語を話せたかどうかも分からない。したがって、この尋問報告書の大部分は、日本の民間人(業者)が語ったことの記録ではないか、と疑われるのである。

 さらには、「慰安婦は中国兵とインド兵を怖がっている」とあるが、なぜそのような証言をしたのか不思議である。どのような問いかけに対しての、誰の証言であるかを明らかにしないと、報告としては価値がないだろうと思う。教授は「第3者の立場で観察した唯一の公文書であるだけに、その資料的価値は高く…」と述べておられるが、理解できない。 

 「生活および労働の状況」の項目には、「教科書から慰安婦問題の記述を削除せよ」という活動を展開する人たちが、しばしば引用する文章が書かれている。秦教授も「吉見氏がいうほど慰安婦たちの生活は悲惨だったのだろうか」として引用されている部分である。「朝鮮人慰安婦」たちが、いかに厚遇されていたかということばかりが書かれている。困ったことや悔しかったこと、苦しかったこと、悲しかったこと、腹立たしかったことなどは全く書かれていない。したがって、誰に、どんな問いかけをして得た証言なのか、を明らかにしないと、「朝鮮人慰安婦」の「生活および労働の状況」の報告としては、ほとんど価値がないと言わざるを得ない。逆に日本の民間人(業者)が、自らの責任回避のために証言したと考えれば、いろいろな点で納得できる。

 「利用割り当て表」の項目には、唐突に「慰安婦は接客を断る権利を認められていた」と出てくる。「朝鮮人慰安婦」が進んでこのようなことを言い出すとは考えにくい。また、彼女たちを「売春婦」と捉えている尋問官が、そのことを問い質したとも思えない。性交渉を拒否したために暴行を受け、傷つけられたという多くの証言あることを考えると、やはり日本の民間人(業者)が、自らの責任回避のためにした証言ではないかと疑われる。

 「兵士たちの反応」の項目には慰問袋の話がでてくるが<彼らは、缶詰、雑誌、石鹸、ハンカチーフ、歯ブラシ、小さな人形、口紅、下駄などがいっぱい入った「慰問袋」を受け取ったという話もした>というのである。戦地の兵士に「小さな人形、下駄」も不思議であるが、「口紅」などあり得ない話ではないかと思う。にもかかわらず、それをそのまま報告しているのである。

 「軍事情勢に対する反応」の項目では、「ミッチナ周辺に配備されていた兵士たちは、敵が西滑走路に攻撃をかける前に別の場所に急派され、北部および西部における連合国軍の攻撃を食い止めようとした。主として第114連隊所属の約400名が取り残された。明らかに、丸山大佐は、ミッチナが攻撃されるとは思っていなかったのである」とある。しかしながら、「兵士たちの反応」の項目には「彼女たちが口を揃えて言うには、日本の軍人は、たとえどんなに酔っていても、彼女たちを相手にして軍事にかかわる事柄や秘密について話すことは決してなかった。慰安婦たちが何か軍事上の事柄についての話を始めても、将校も下士官や兵士もしゃべろうとしないどころか…」とある。したがって、これも「朝鮮人慰安婦」の証言とは考えにくい。日本の民間人(業者)の証言だろうと思われる。

 「宣伝」の項目の記述<ある将校が「日本はこの戦争に勝てない」との見解を述べた>というのも、報告書全体からを考えると「朝鮮人慰安婦」の証言ではないであろう。

 唯一、最後の「要望」の項目にある、<「慰安婦」が捕虜になったことを報じるリーフレットは使用しないでくれ、と要望した。彼女たちが捕虜になったことを軍が知ったら、たぶん他の慰安婦の生命が危険になるからである>という記述は、ほんとうにそういう証言をしたかどうかは不明であるが、「朝鮮人慰安婦」の立場を語るものとして受け取ることができる。

 また、秦教授は「慰安婦」は、当時合法的存在だった公娼制の慣行にならったものだったと指摘されているが、当時「醜業婦ノ取締ニ関スル国際条約」(1910年5月4日)がすでにあり、その第1条には

 何人ニ拘ラス他人ノ情欲ヲ満足セシムル為メ売淫セシムル意思ニテ未丁年ノ婦娘ヲ傭入レ誘引若クハ誘惑シタル者ハ仮令本人ノ承諾アルモ又犯罪構成ノ要素タル各種ノ行為カ他国ニ於テ遂行セラレタルトキト雖モ処罰セラルヘキモノトス 

 と定められていた。そしてそれは「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」の「1921年条約」第5条で

 1910年ノ条約ノ最終議定書(ロ)項ノ「満20歳」ナル語ハ之ヲ「満21歳」ニ改ムヘシ

と改められているのである。それをふまえて「日本人捕虜尋問報告 第49号」を読むと

 ”1942年5月初旬、日本の周旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮人女性を徴集するため、朝鮮に到着した。この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。これらの周旋業者が用いる誘いのことばは、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、それに、楽な仕事と新天地——シンガポール——における新生活という将来性であった。このような偽りの説明を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、2、3百円の前渡金を受け取った。
 これらの女性のうちには、「地上で最も古い職業」に以前からかかわっていた者も若干いたが、大部分は売春について無知、無教育であった。彼女たちが結んだ契約は、家族の借金返済に充てるために前渡された金額に応じて6ヵ月から1年にわたり、彼女たちを軍の規則と「慰安所の楼主」のための役務に束縛した。


とあり、満21歳に満たない慰安婦4名が記録されている事実から 教授の主張に反し、この資料からでさえ、明らかに国際法違反が認められる。にもかかわらず、教授はそういう点には触れられず、「慰安婦」は「当時合法的存在だった公娼制の慣行にならったものだった」というのである。
 したがって、私には、秦教授がこの資料を十分検証することなく、都合のよい部分だけを抜き出して、利用されているように思われてならないのである。下記は、「慰安婦」にかかわる教授の文章の一部を「現 代史の争点」秦郁彦(文藝春秋)から抜粋したものであるが、”最近では欧米ばかりでなくわが国でも、売春婦は数ある職業の一種として認知される傾向があり、「オカネがたまったら普通の結婚をして……」と語るソープランドや援助交際の女性も出てきた。フェミニストたちが主張するコンプレックスやトラウマの後遺症は薄らいでいるようだ。”というような記述があることにも、正直驚いた。 
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                       Ⅰ 南京事件と慰安婦問題

「壮大な茶番劇」としての慰安婦論争

 「奴隷」を安直に使うな

 文部省食堂論で、 ウェイトレスの労働条件に言及したが、それは吉見氏の言う「軍用性奴隷」なる定義と関わってくる。
 くり返すようになるが、彼女たちの労働条件は、当時は合法的存在だった公娼制の慣行にならったものだった。吉見氏は国内の公娼制も「事実上の性奴隷制度だった」(41ページ)と書いているから、必ずしも慰安婦=公娼論に異議を唱えているわけではなさそうだ。
 しかし「相手を拒否する自由」「廃業の自由」「外出の自由」などの諸点で保護条件が劣悪だったと強調している。同じ「奴隷」でも国内の公娼なら国の法的責任は問えないが、慰安婦は条件がより過酷だったから責任が生じるとの主張かともとれる

 だが、彼女たちを、一律に「性奴隷」ときめつけるのは失礼ではあるまいか。最近では欧米ばかりでなくわが国でも、売春婦は数ある職業の一種として認知される傾向があり、「オカネがたまったら普通の結婚をして……」と語るソープランドや援助交際の女性も出てきた。フェミニストたちが主張するコンプレックスやトラウマの後遺症は薄らいでいるようだ。
 それはさておき、吉見氏が言うほど慰安婦たちの生活は悲惨だったのだろうか。

 米戦時情報局心理作戦班が1944年夏、北ビルマのミチナで逃げおくれて捕虜になった20人の朝鮮人慰安婦と日本人の業者夫婦に尋問した記録がある。珍しいケースだったので、尋問は微に入り細にわたり、米本国の陸軍省などで争って廻し読みされたという。
 第3者の立場で観察した唯一の公文書であるだけに、その資料的価値は高く、吉見編『従軍慰安婦資料集』(1992)に、439ページから464ページまで26ページを使って全訳が掲載されているのも、それゆえであろうが、彼女たちが前線にしては優雅とも見える生活に満足していたようすが窺える。

 将軍よりも多い高収入で、前借金を1年間で返済して帰国した者もいたし、現在の物価に換算して一千万円以上の大金を家族に送金したり、休日には町へ買い物に出かけたりもしている。「接客を断る権利」も認められていた。

 先に吉見氏が挙げた3つの自由はすべて満たされていて、条件は国内の公娼となんら変わらない。ところが吉見論文は、「都会以外での外出は許されず。都会での外出は許可制」だったとか、この米軍記録を「尋問担当者たちの奴隷状態をつかめなかったことを示すもの」(41ページ)と強弁する。都合の悪い資料は受けつけないか、曲解する手法と言われても、しかたがないだろう。

 つでに書けば、ミチナは都会といっても人口数千の規模、周辺は虎の出るジャングルだが、そんなことより忘れてはならぬ一事がある。より悲惨だったのが、激戦場の下級兵士だったことだ。太平洋戦争で生じた200万に近い戦死者の約7割が広義の「餓死」だったとされる。
 日本国内の公娼が「事実上の性奴隷」、慰安婦が「軍用性奴隷」なら、赤紙1枚で妻子を残し動員された日本軍兵士には、どんな形容詞が適切か。「奴隷」という毒々しい用語を、安直に使うべきではあるまい。

 太平洋の戦場は、地球の三分の一に達するほど広大であった。そこへ進出した慰安婦や業者の動機は、戦場であるがゆえの高リスク、高収入であったろうが、彼らが出会った運命は兵士たちがそうであったように多種多様である。本人の証言こそ大切、とは言っても、韓国挺対協がまとめたもっとも信頼度の高い証言集でさえ、吉見氏が「一部疑問に思うところもあるが、相当信頼性の高い記録」(44ページ)と留保せざるをえないレベルだ。

 半世紀以上を経て、個別の事情を確認するすべはないが、そのうえ彼女たちの母国政府も概して冷淡で、「真相究明」に取り組む気配がない。韓国やインドネシア政府のように、個人に対する国家補償の給付はやらないでくれ、と要請するところもある。既存の社会保障体系を乱されたくないからであろう。こうした客観情勢のなかで、説得性に欠ける国家補償論にこだわり、女性基金による慰安婦への給付を妨害したり、いじめを加える支援組織や運動団体とは何なのか。
 どうやら、慰安婦狂騒曲は、戦後50年をめぐる壮大な茶番劇として終末を迎えそうな気配である。


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「従軍慰安婦」問題 オランダ軍大尉検事の報告書-----------

 下記は、「東京裁判ー性暴力関係資料」吉見義明監修(現代史料出版)に収められている資料24「書類番号5330 日本海軍占領期間中蘭領東印度西部ボルネオニ於ケル強制売淫行為ニ関スル報告(J・N・ヘイブロツク[オランダ軍大尉検事]の報告書、日本軍常習的戦争犯罪の概略)Ex1702」の全文である。慰安婦がまさに「性奴隷」であったことを示す内容とともに、「海軍職員用ノ性慰安所ハ守備隊ガ経営シマシタ」というような記述もみられる。

 最近、従軍慰安婦をテーマにした写真展の開催を巡り、韓国人写真家の安世鴻(アン・セホン)さんが、突然施設の使用中止を通告した会場運営者のニコンに、施設の使用を求める仮処分を申請、東京地裁(伊丹恭裁判長)がこれを認める決定を下した、というような内容のニュースが流れた。
 ニコン側は「政治活動の一環であると判明したため中止を通告した」と主張したようであるが、決定は「政治活動との一定の関わりを否定できないが、写真文化はテーマによっては政治性を帯びつつも、独立の価値を認められながら発展してきている。ニコン側も内容を分かった上で会場の使用を承諾した」と指摘したという。
 写真展当日、右翼団体の会員がデモを行い、「日本軍慰安婦自体がねつ造だ」と主張、写真展の中止を要求したとのことであるが、悲しむべき出来事だと思う。

 敗戦前後の大がかりな軍関係公文書の焼却処分に象徴される日本の隠蔽体質は、戦後もいろいろなところで引き継がれ、今なお日本にとって不都合な事実の多くが隠蔽され続けているために、「日本軍慰安婦自体がねつ造だ」というような主張がなされるのであろう。

 こうしたニュースが流れるたびに、日本は世界世論の非難の的になり、その徳性を疑われ、信用を落としているのであり、信頼回復のためにも、国連人権委員会やILO(国際労働機関)条約勧告適用専門家委員会、国際法律家委員会(ICJ)などの日本政府に対する謝罪や補償、関係者の処罰その他の勧告を受け入れ、一日も早く対応するべきであると思う。
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         日本海軍占領期間中蘭領東印度西部ボルネオニ於ケル強制売淫行為ニ関スル報告

 1943年ノ前半ニ「ポンチァナツク」
(Pontianak、日本語表記は、ポンチャナックとも)海軍守備隊司令海軍少佐ウエスギ・ケイメイ/UESUGI KEIMEI/、(同人ハ1943年8月頃日本ニ帰国シタリ抑留ヲ要求シ置ケリ)ハ、日本人ハ、インドネシア或ハ中国ノ婦人ト親密ナル関係ヲ結ブベカラズ、トイフ命令ヲ発シマシタ。当時、全テノ欧州婦人ト、事実上全テノ印度系欧羅巴婦人ハ、抑留サレテ居マシタ。彼ハ同時ニ公立性慰安所ヲ設立スルヤウ命令ヲ出シマシタ。是等ノ性慰安所ハ、2種ニ分類スルコトニナツテ居マシタ。即チ3ヶ所ハ海軍職員専用5,6ヶ所ハ一般人用デ其ノ中ノ1ヶ所ハ海軍民政部ノ高等官用ニ当テラレマシタ。

 海軍職員用ノ性慰安所ハ守備隊ガ経営シマシタ。司令ノ下ニ通信士官海軍大尉スガサワ・アキノリ/SUGASAWA AKINORI/ガ主任トシテ置カレ、日常ノ事務ハ当直兵曹長ワタナベショウシ/WATANABESHOJI/、ガ執ツテ居マシタ。日本人ト以前カラ関係ノアツタ婦人達ハ鉄条網ノ張リ廻ラサレタ是等ノ性慰安所ニ強制収容サレマシタ。彼女等ハ、特別ナ許可ヲ得タ場合ニ限リ、街ニ出ルコトガデキタノデシタ。慰安婦ヲヤメル許可ハ、守備隊司令カラ貰ハネバナリマセンデシタ。海軍特別警察(特警隊)ガ、其等ノ性慰安所ニ慰安婦ヲ絶エズ補充スルヤウニ命令ヲ受ケテヰマシタ。此ノ目的ノ為ニ特警隊員ハ街デ婦人ヲ捕ヘ強制的ニ医者ノ診察ヲ受ケサセタ後、彼等ヲ性慰安所ニ入レマシタ。是等ノ逮捕ハ主トシテ、ミヤジマ・ジュンキチ/MIYAZIMA ZYUNKIKTI/、コジマ・ゴイチ/KOJIMA GOICHI/、クセ・カズオ/KUSEKAZUO/、イトウ・ヤスタロウ/ITO YASUTARO/、各兵曹長ニヨツテ行ハレマシタ。

 一般人用ノ性慰安所ハ、南洋興発株式会社支配人ナワタ・ヒサカズ/NAWATA HISAKAZU/、ガ経営シマシタ。守備隊司令ハ民政部ニ命ジテ、之ヲ監理サセマシタ。民政部ハ此ノ経営ヲ報国会(日本人実業家ノ協会)ニ依嘱シ、ナワタ/NAWATA/、ガ報国会ノ厚生部ノ主任デアツタノデ、是等一般人用ノ性慰安所ノ主任ニ任ゼラレマシタ。彼ハ帳簿ヲツケタリスルヤウナ事務的仕事ニハ、彼ノ会社ノ使用人ヲ使用シマシタ。毎朝夜間ノ収入ハ南洋興発会社ノ出納係キタダ・カゲタカ/KITADAKAGETAKA/、ニ引渡サレマシタ。是等ノ慰安所ニ対スル婦人達モ亦、特警隊ノ尽力ニヨツテ集メラレマシタ。其等性慰安所ニ充テラレタ家屋ハ、敵産管理人カラ手ニ入レ、家具ハ海軍用慰安所ニアツテハ海軍ガ支給シマシタ。遊客ハ原住民デアル傭人ニ(海軍ノ場合ニハ其ノ階級ニ従ツテ)金ヲ支払ハネバナリマセンデシタ。又ソノ傭人ハ、其ノ金ヲ毎日当直兵曹長、又ハ南洋興発ノ出納係ニ引渡シマシタ。両者ノ場合共三分ノ一ハ諸経費、家具、食物等ヲ支弁スル為保留サレ、三分ノ二ガ当該婦人ノ受取勘定ニ繰リ入レラレマシタ。此ノ中カラ婦人達ハ随時彼等各自ノ用ニ充テル為、其ノ一部ヲ引出スコトガ出来マシタ。毎月ノ計算書ハ、民政部ノ第一課ニ提出セネバナリマセンデシタ。

 特警隊ハ、婦女ヲ捜スニ当リ、民政部及日本人商社ノ全婦人職員ニ特警隊ニ出頭スルヨウニ命ジ、ソノ婦人達ノ何人カヲ真裸ニシ、日本人ト関係シテヰタトナジリマシタ。次イデ、医師ガ検診ヲシマシタガ、数人ハ処女デアツタコトガ判リマシタ。是等ノ不幸ナ婦人達ノ中何人ガ性慰安所ニ強制的ニ送ラレタカ確実ニハ判リマセン。婦人達ハ性慰安所カラ敢テ逃ゲ出サウトハ致シマセンデシタ、ト言フノハ、彼女等ノ家族ガ特警隊ニ依ツテ直チニ逮捕サレテ非道ク虐メラレルカラデシタ、/例トシテ此ノ様ナ事ノ為、当ノ少女ノ母親ガ死ンダ事ガアリマス。幸ニモ占領期間中引続キ診療ニ従事スルコトヲ許サレタ在ケタパン/KETAPANG/、ノインドネシア人軍医ルフリア/LUHULIMA/、博士ハ特警職員ノ命令デ、彼ノ行ツタ是等婦人ノ検診ニ関係シ、宣誓陳述ヲスル事ガ出来マシタ、
 彼ノ証言ニ依ルト婦人達ハ強制的ニ売淫サセラレタノデアリマス。
 上記ノ報告ハ日本人戦犯者ノ訊問カラ得タ報告ト、本件関係者ノ宣誓陳述トカラ輯録サレタモノデアリマス、
 私ハ、上記事実ハ真実ニ上述ノ報告書ニ相違スル点ノナイ事ヲ、情報将校及日本語通訳トシテ誓ツテ断言致シマス、
   バタビア 1946年7月5日
   /署名/ジェー・エヌ・ヘイゲブロエク陸軍大尉/署名/J・N・HEIJBROEK capt/
   蘭印軍情報部
    (T・N・on the 'certificate is written J・N・HEYBROEK)


 一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。赤字は特に記憶したい部分です。一部旧字体は新字体に変えています。

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