-NO177~186
--------------韓国併合条約へと至る侵略的議定書・協約------------

 日韓・日朝の根本的な関係改善には、共通の歴史認識が欠かせない。しかし、最近日本では「過去の日本のあやまち」を認めようとしない学者や文化人が組織的に動き、その勢力を伸ばしているようである。
 豊臣秀吉の朝鮮侵略以降、朝鮮と朝鮮人に対する蔑視や偏見、差別感が日本全土に広まっていったといわれているが、さらに、江戸期の儒者・国 学者が皇国史観によって歪んだ朝鮮観を定着させたこともあって、明治維新後続々と征韓論を唱える者が相次ぐことになったようである。
 そして、江華島条約などに見られる、武力を笠に着た威嚇外交が進むのである。それは、下記「日韓議定書」や「日韓協約」、「韓国併合条約」へと進んでいく。したがって、日本は一貫して収奪や搾取をする側、支配をする側であったということになる。
「日韓併合の真相」吉留路樹(世論時報社)では、豊富な資料によって、そのことが確認できる。関係資料の一部抜粋である。
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             第6章 保護という名の侵略

  日韓議定書の締結


 ・・・
 ロシアに対する日本の宣戦布告は、明治37年(1904)2月10日であったが、現実には日清戦争のときと同様、前々日の8日午後、日本海軍がロシア艦ワリヤークとコレーツを攻撃し、ワリヤークは自沈、コレーツは撃沈された仁川沖海戦にはじまった。
 結果は、周知の通りである。清国に次いで、ロシアも朝鮮半島から締め出されたわけで、日本の李朝政府に対する干渉は、いよいよ強化 されていく。
 すなわち、仁川沖で先勝した日本は、2月23日には公使林権助と外部大臣代行李址鎔との間に、日韓議定書を締結したが、その第4条には、「大日本帝国政府ハ前項ノ目的ヲ達スル為メ
軍略上必要ノ地点ヲ臨機収用スルコトヲ得」とある。
 これはつまり、「軍略上必要」という掲げるならば、朝鮮の土地を自由に収用することができるというもので、日米安保条約第6条にいう「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍、及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」に通ずる。


 ・・・

 そこで、明治38年11月2日、政府は駐韓公使林権助に対し、朝鮮に対する外交の一切を「我ガ手中ニ収ムルコト」と訓令し、この条約締結にあたっては「特ニ勅使ヲ派ス」と告げた。
 1年前の議定書では、韓国の「独立」と」「領土保全」を約した日本が、今度は掌をひっくり返して、独立国の主権に属する外交権を奪おうというのである。
 勅使、つまり天皇の親書を持参して韓国皇帝とその政府に対し、外交権の実質的委譲を要求する使者である。政府が駐韓公使に訓令した同日、この重要な勅使には、枢密院議長侯爵伊藤博文が「韓国皇室慰問使」という肩書きで発令され、海軍中将井上良馨、陸軍少将村田淳その他の随員を伴い、同月9日首都漢城に入った。


 伊藤博文の恫喝


 ・・・
 しかし、8人が8人とも「可」とは答えていないのである。伊藤にしてみれば、彼らがどのように答えようと、韓首相と閔度支相以外は「可」にするつもりであったのだから、結論を告げるのに困難はなかった。
「よく相判った。既に協商妥弁の勅を承った以上、各大臣の論じるところは同一ではないにしても、結局、否と答えたのは韓参政と閔度支相の2人にすぎなかった。かくなる上は、主務大臣をして速やかに調印されたい」
 伊藤が語り終わった途端、韓首相は坐ったまま顔面を覆った。泣くな、参政。駄々をこねるな!」
 伊藤は、可・不可の大臣を促して字句の添削修正を求め、統監府設置を含む保護条約5ヶ条を決定、11月18日午前1時半公使林権助と外部大臣朴齊純との間に調印を終えた。


 
    
日韓協約

 日本国政府及韓国政府ハ両帝国ヲ結合スル利害共通ノ主義ヲ鞏固ナラシメンコトヲ欲シ韓国ノ富強ノ実ヲ認ムル時ニ至ル迄此目的ヲ以テ左ノ条款ヲ約定セリ

第1条 日本国政府ハ在東京外務省ニ由リ今後韓国ノ外国ニ対スル関係及事務ヲ監理指揮スベク日本国ノ外交代表者及ビ
     領事ハ外国ニ於ケル韓国ノ臣民及利益ヲ保護スベシ
第2条 日本国政府ハ韓国ト他国トノ間ニ現存スル条約ノ実行ヲ全フスルノ任ニ当リ
韓国政府ハ今後日本国政府ノ仲介ニ由
     ラズシテ国際的性ヲ有スル何等ノ条約若ハ約束ヲ為サザルコトヲ約ス

第3条 日本国政府ハ其代表者トシテ韓国皇帝陛下ノ闕下ニ1名ノ統監(レジデント・ゼネラル)ヲ置ク。統監ハ専ラ外交ニ関
     スル事項ヲ管理スル為メ京城ニ駐在シ親シク韓国皇帝陛下ニ内謁スルノ権利ヲ有ス。日本国政府ハ又韓国ノ各開
     港場及其他日本国政府ノ必要ト認ムル地ニ理事官(レジデント)ヲ置クノ権利ヲ有ス。理事官ハ統監ノ指揮ノ下ニ従
     来在韓国日本領事ニ属シタル一切ノ職権ヲ執行シ、並ニ本条約ノ条款ヲ完全ニ実行スル為メ必要トスベキ一切ノ事
     務ヲ掌理スヘシ。
第4条 日本国ト韓国トノ間ニ現存スル条約及約束ハ本協約ノ条款ニ抵触セザル限総テ其効力ヲ継続スルモノトス。
第5条 日本国政府ハ韓国皇室ノ安寧ト尊厳ヲ維持スルコトヲ保証ス

        右証拠トシテ下名ハ各本国政府ヨリ相当ノ委任ヲ受ケ本協約ニ記名調印スルモノナリ
                                                      明治38年11月18日 

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 実質的植民地支配始まる

 8月2日これまでの光武を廃し元号を隆熙と改めた。新帝の即位式は同月27日惇徳院で行われたが、その3日前の24日、伊藤は新たに新協定7ヶ条の締結を求め、李完用との間に調印した。

第1条 韓国政府ハ施政改善ニ関シ
統監ノ指導ヲ受クルコト
第2条 韓国政府ノ法令ノ制定及重要ナル行政上ノ処分ハ予メ統監ノ承認ヲ経ルコト。
第3条 韓国ノ司法事務ハ普通行政事務ト之ヲ区別スルコト。
第4条 韓国高等官吏ノ任免ハ統監ノ同意ヲ以テ之ヲ行フコト。
第5条 韓国政府ハ統監ノ推薦スル日本人ヲ韓国官吏ニ任命スルコト。
第6条 韓国政府ハ統監ノ同意ナクシテ外国人ヲ傭聘セザルコト。
第7条 明治37年8月22日調印日韓協約第1項ハ之ヲ廃止スルコト。


 伊藤はヘーグ事件を最大限に利用して、この協約を成立させた。先帝が退位し、新帝の即位式前である時期にウムを言わさず、李完用を調印に追い込んだのである。
 外務大臣林薫は新協約成立に際し、実質的に朝鮮支配の全権を掌握した協約は日本政府が伊藤に一任した結果出来上がったもので、これによって伊藤は、「無冠の帝王」になったとまで持ち上げた。
 事実伊藤統監は皇帝の上に位し、朝鮮人民に君臨することとなった。新協約調印から1週間を経た8月1日、韓国軍隊を解散し、10月末には警察権を握った。
 このうち8月1日の軍隊解散は、解散式に先立ち兵器を日本軍の手で押さえたので、まるで武装解除の上で解散式を行ったようなものであった。

 ・・・(以下略)
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日韓併合条約

 ・・・
第1条 韓国皇帝陛下ハ韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ完全且永久ニ日本国皇帝陛下ニ譲与ス
第2条 日本国皇帝陛下ハ前条ニ掲ゲタル譲与ヲ受諾シ、且全然韓国ヲ日本帝国ニ併合スルコトヲ承諾ス。
第3条 日本国皇帝陛下ハ韓国皇帝陛下、太皇帝陛下、皇太子殿下、ナラビニ其ノ后妃及ビ後裔ヲシテ各其ノ地位ニ応ジ、
     相当ナル尊称、威厳及ビ名誉ヲ享有セシメ且ヲ保持スルニ十分ナル歳費ヲ供給スベキコトヲ約ス。
第4条 日本国皇帝陛下ハ前条以外ノ韓国皇族及其ノ後裔ニ対シ、各相当ノ名誉及ビ待遇ヲ享有セシメ、且之ヲ維持スルニ
     必要ナル資金ヲ供与スルコトヲ約ス。
第5条 日本国皇帝陛下ハ勲功アル韓人ニシテ、特ニ表彰ヲ為スヲ適当ナリト認メタル者ニ対シ、栄爵ヲ授ケ、且恩金ヲ与フ
     ベシ。
第6条 日本国政府ハ前記併合ノ結果トシテ、全然韓国ノ施設ヲ担任シ、同地ニ施行スル法規ヲ遵守スル韓人ノ身体及ビ財
     産ニ対シ十分ナル保護ヲ与ヘ且其ノ福利ノ増進ヲ図ルベシ。
第7条 日本国政府ハ誠意忠実ニ新制度ヲ尊重スル韓人ニシテ、相当ノ資格アル者ヲ事情ノ許ス限リ、韓国ニ於ケル帝国官
     吏ニ登用スベシ。
第8条 本条約ハ日本国皇帝陛下及ビ韓国皇帝陛下ノ裁可ヲ経タルモノニシテ、公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス。

                                        隆煕4年8月22日 内閣総理大臣  李完用

                                        明治43年8月22日 統監 子爵 寺内正毅


 併合条約は調印の1週間後、8月29日---に公表された。当夜、初代総督となる寺内正毅は祝宴を催し、
 小早川 加藤小西が世にあらば 今宵の月を 如何に見るらむ
 と、一首詠んだというが、ここでいう小早川は隆景、小西は行長のことで、加藤清正と同様、豊臣秀吉の朝鮮侵略に動員された大名たちだが、得意絶頂の寺内とは正反対に、朝鮮全土には怒りと慟哭がみなぎった。
 併合条約では、皇帝・皇族その他支配階級の身分保障は明記されたが、本来この国の主人公である民衆への配慮は皆無であった。彼らの行く手に立ちはだかったのは収奪と搾取、生活の破壊と絶望につながる暗黒の季節だけだった。その結果爆発したのが、1919年3月1日の独立万歳運動である

 ・・・(以下略)

--------------------安重根 伊藤博文射殺理由の証言----------------------
安重根に射殺された伊藤博文は、韓国統監府初代統監であり、また、日本の初代内閣総理大臣で、そのめざましい活躍が評価され「明治の元勲」と呼ばれる。そして、その肖像が現在でも使用可能な千円札に印刷されていたことは、日本人なら誰でも知っていることである。しかしながら、彼を射殺した安重根が韓国や朝鮮民主主義人民共和国で「義士」「烈士」「志士」などと呼ばれ、愛国者として最大級の評価をされているのは何故であるか。よりよい日韓関係や日朝関係を築くためには、歴史をふり返り、その溝を埋めなければならないと思う。
 伊藤博文の出身校は松下村塾であるというが、
「日韓併合の真相」吉留路樹(世論時報社)には、吉田松陰の「魯墨(ロシア・アメリカ)講和一定、決然として我より是を破り信を夷狄(いてき)に失うべからず。ただ章程を厳にし、信義を厚うし、其間を以て国力を養い、取り易き朝鮮満州支那を切り随え、交易にて魯墨に失うところは、また土地にて鮮満に償うべし」という言葉が紹介されている。「ロシア・アメリカとの交易において損をした分は、朝鮮・満州・中国の土地を奪って埋め合わせをすればよい」という意味で、伊藤博文、井上馨、山県有朋、寺内正毅など、主として長州閥の有力者の対朝鮮強硬論に受け継がれていった、いわゆる「征韓論」の考え方である。「日韓併合の真相」吉留路樹(世論時報社)よりの抜粋である。
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第6章 保護という名の侵略  

 
安重根が伊藤を射殺

 ・・・
 伊藤が哈爾浜駅頭で安重根に狙撃されたのは前年(1909年)10月26日午前9時半、3発のピストル弾は僅か30分後には彼の生命を絶った。
 安重根は、その場でロシア側に捕らえられ、日本領事館に連行の上、旅順の関東都督府地方法院へ送られて裁判を受けることになったが、彼は伊藤を射殺した理由として次の15項目を挙げ、伊藤殺害は単なる個人的な殺人事件ではなく、自分は韓国の独立戦争を戦う義兵中将であるから、法廷で裁判を受けるのは間違っていると述べた。

 伊藤博文の罪状
1、韓国皇后殺害
2、韓国皇帝の退位
3、5ヶ条及び7ヶ条協約締結の強制
4、罪もない韓国人の殺害
5、政権奪取
6、鉄道、鉱山、森林、河川の強奪
7、第1銀行券の強制使用
8、軍隊解散
9、教育妨害
10、韓国人の外国遊学禁止
11、教科書押収と焼却
12、韓国人が日本の保護を受けたいなどという欺瞞的世論工作
13、日本天皇を欺く
14、東洋平和を破壊
15、孝明天皇射殺


安重根は、黄海道海州の生まれ、義兵活動に入ってからは、安応七と名乗っており、逮捕された当時も「応七」と言っているが、彼の列挙した15項目の伊藤に対する糾弾は、最後の「孝明天皇弑殺」を除いて、いずれも伊藤が直接間接に干与している部分で、当時はもとより、第2次大戦で日本の植民地支配が崩壊するまで厳重に秘匿されていた事実をも含んでいて、日本側が懸命に擬装を凝らしたり、厳密に付していた謀略工作を彼は既に見破っていたことを示す。
 いや、安重根だけではない。そのころの朝鮮人の多くが日本の陰湿な侵略策を知っており、それに対する抵抗の血を滾らせていたといってよい。
 たとえば、閔妃殺害事件である。また、皇帝の退位を強制した事件である。前者は朝鮮人壮士が犯人とされ、三浦梧楼以下の日本人側は事件との関係がウヤムヤに葬られたし、後者も韓国側の自発的措置であるとされていた。
 最も重要なのは、一進会その他を使っての世論誘導である。保護条約賛成ー併合賛成など、売国団体あるいは個人を使っての謀略的世論工作は、後の満州国や日米安保条約改定に至るまで、まさに日本歴代の権力がお家芸とするところだが、安重根の慧眼は伊藤の侵略工作を見事に喝破していたのである。
 安重根、30歳。彼がそれらの情報をどこから入手したかは不明だが、右に掲げた15項目の指摘は正確である。ただし、15項目目の孝明天皇謀殺については、岩倉具視らにまつわる疑惑として日本国内の一部に流れていたもので、20世紀末の今日でもなお真相は明らかでないが、現代日本国内でさえ知らぬ者が多いのに、当時の安重根がそれを知っていたとは驚きである。
……(以下略)


--------------裁かれなかった民族性抹殺の「皇民化政策」-------------

 日韓併合条約によて、無理矢理日本の支配下におかれた朝鮮は、戦争の被害が極めて深刻であったにもかかわらず、極東軍事裁判において、日本の戦争犯罪を告発する側に立つことはできなかった。裁かれる側であった(戦犯として有罪を宣告された朝鮮人軍属は、148名で、このうち23名が死刑を執行されたという)。
 したがって、下記に抜粋したような民族性抹殺の朝鮮政策については、何も裁かれていない。しかしながら、不問に付してよいとは思えない。いや、むしろ朝鮮民族の告発にきちんとこたえることによってこそ、真に誇り得る日本にすることができると思う。
「皇民化政策から指紋押捺まで(在日朝鮮人の「昭和史」)」徐京植(岩波ブックレットNO.128)から、3項目のみ抜粋する。
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                           「皇民化政策」───民族抹殺政策

 神社参拝の強要

 日本帝国主義は、1925年に、現在のソウル市南山に「朝鮮神宮」を竣工させ、1934年までに朝鮮全土282ヵ所に神社を建てました。1936年、南次郎が総督になると、「神社規則」をつくり、各村ごとにかならず一神社をつくらせる「一邑面(日本の町村にあたる)一神社主義」を強要し、朝鮮のすみずみまで神社を建て、1938年からは百済の故地である忠清南道扶余に内鮮一体のシンボルとして「扶余神宮」を建設するため朝鮮人を動員して無料奉仕させました。さらに、各家庭にも神棚を作らせ、お札を買わせて礼拝を強要しました。
 神社参拝を拒否するキリスト教徒を拘束する一方、朝鮮基督教聯合会のような御用組織をつくらせました。1938年9月以後、神社参拝に反対した約2000名の牧師・教徒が検挙投獄され、200あまりの教会が閉鎖、50人あまりが獄死しました。



 「皇国臣民の誓詞」

 1937年10月、「皇国臣民の誓詞」が定められ、その日常的な斉唱が制度下されました。

 「皇国臣民の誓詞」<児童用>
 一、私共ハ大日本帝国ノ臣民デアリマス
 二、私共ハ互ニ心ヲ合セテ、天皇陛下ニ忠義ヲ尽シマス
 三、私共ハ忍苦鍛錬シテ、立派ナ強イ国民トナリマス
<学生・一般用>
 一、我等ハ皇国臣民ナリ、忠誠以テ君国ニ報ゼン
 二、我等皇国臣民ハ互ニ信愛協力シ以テ団結ヲ固クセン
 三、我等皇国臣民ハ忍苦鍛錬力ヲ養ヒ以テ皇道ヲ宣揚セン

 この誓詞は、官公署や各職場で朝礼時間や会合の時 など日常的に斉唱が義務づけられました。朝鮮神宮には皇国臣民誓詞之柱が建てられました。
 また「国語(日本語)常用」が進められ、1943年からは「国語普及運動」が大々的に展開されました。役所などでは日本語でなければいっさい相手にされず、陳情書も日本語でしか受けつけられず、学校では朝鮮語を使うと罰をうけたり減点されたりしました。このような日本語強要=朝鮮語抹殺政策の結果、日本語を解する朝鮮人の人口は、1923年に全人口の4.08%、38年12.38%、43年には22.15%に増加しました(「やや解しうる者」を含む)。
 1942年から43年にかけて、朝鮮語辞典の編集にとりかかっていた朝鮮語学会の会員33人が治安維持法違反で検挙され、2人が拷問のため獄死させられました。このため朝鮮語辞典の編集は、日本敗戦後まで中断させられました。
 


 名前まで奪う

 1939年11月、朝鮮民事令が改定され、朝鮮固有の姓名をを奪って、これを日本式の氏名に統一する「創氏改名」が強要されました(1940年2月18日実施)。日本帝国主義は「創氏改名」を「一視同仁の大理想を具現する」ものであり、「大和大愛の発露」だと宣伝しつつ、施行にあたっては官憲を動員して強制しました。
 創氏改名しない人は、たとえば、子どもが学校に入学できない、官公署などの機関に採用されない、行政機関が事務を取り扱ってくれない、「非国民」「不逞鮮人」として警察に日常的に監視・いやがらせをされる、食糧・物資の配給対象から除外される、「徴用」(強制連行)の対象者にされるなど、あらゆる圧迫をうけました。朝鮮総督府の命令で、末端の派出所にいたるまで警察が創氏改名の強要に動員されました。
 こうして、結局、朝鮮人のおよそ8割が創氏改名に追いこまれたのです。



------------日韓議定書と日韓協約(第1次~第3次)全条文------------

 日露戦争開始のころから、日本が帝国主義列強を見習うかのように対韓国侵略政策を進め、植民地化していったことは、下記の日韓議定書や日韓協約の条文からも窺い知ることができる。そして、調印にいたる現実は、まさに国権の剥奪であり、暴力的支配であって、所謂「八紘一宇」などと正当化できるものではなかったことが分かる。
「近現代のなかの日本と朝鮮」山田昭次・高崎宗時司・鄭章淵・趙景達(東京書籍)からの抜粋である。
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                           日韓議定書

 大日本帝国皇帝陛下の特命全権公使林権助及大韓帝国皇帝陛下の外部大臣臨時署理陸軍参将李址鎔(イジヨン)は各相当の委任を受け左の条款を協定す。

第1条 日韓両帝国間に恒久不易の親交を保持し東洋の平和を確立する為大韓帝国政府は大日本帝国政府を確信し施設
     (ママ)[政]の改善に関し其忠告を容るる事。
第2条 大日本帝国政府は大韓帝国の皇室を確実なる親誼を以て安全康寧ならしむる事。
第3条 大日本帝国政府は大韓帝国の独立及領土保全を確実に保証する事。
第4条 第三国の侵害に依り若くは内乱の為め大韓帝国の皇室の安寧或は領土の保全に危険ある場合は大日本帝国政府
     は速に臨機必要の措置を取るべし。
     而して大韓帝国政府は右大日本帝国政府の行動を容易ならしむる為め十分便宜を与うる事。大日本帝国政府は前
     項の目的を達する為め軍略上必要の地点を臨機収用することを得る事。
第5条 両国政府は相互の承認を経ずして後来本協定の趣意に違反すべき協約を第三国との間に訂立する事を得ざる事。
第6条 本協約に関聯する未悉の細条は大日本帝国代表者と大韓帝国外部大臣との間に臨機協定する事。

                                                  明治37年2月23日
                                                     特命全権公使 林 権助 [印]  
                                                  光武8年2月23日
                                                     外部大臣臨時署理
                                                          陸軍参将李址鎔 [印]
                                                (『日本外交年表竝主要文書1840─1945』上)

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                             第1次日韓協約

一、韓国政府は日本政府の推薦する日本人1名を財務顧問として韓国政府に傭聘し財務に関する事項は総て其意見を詢い
   施行すべし。 
一、韓国政府は日本政府の推薦する外国人1名を外交顧問として外部に傭聘し外交に関する要務は総て其意見を詢い施行
   すべし。 
一、韓国政府は外国との条約締結其他重要なる外交案件即外国人に対する特権譲与若くは契約等の処理に関しては予め
   日本政府と協議すべし。

                                                   明治37年8月22日
                                                      特命全権公使 林 権 助 [印]
                                                   光武8年8月22日
                                                      外部大臣署理 尹 致 昊 [印]
                                                (『日本外交年表竝主要文書1840─1945』上)

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第2次日韓協約<乙巳(いっし)条約>

日本国政府及韓国政府は両帝国を結合する利害共通の主義を鞏固ならしめんことを欲し韓国の富強の実を認むる時に至る迄此目的を以て左の条款を約定せり。

第1条 日本国政府は在東京外務省に由り今後韓国の外国に対する関係及事務を監理指揮すべく日本国の外交代表者及
     領事は外国に於ける韓国の臣民及利益を保護すべし。
第2条 日本国政府は韓国と他国との間に現存する条約の実行を全うするの任に当たり韓国政府は今後日本国政府の仲介
     に由らずして国際的性質を有する何等の条約若は約束をなさざることを約す。
第3条 日本国政府は其代表者として韓国皇帝陛下の闕下に1名の統監(レヂデントゼネラル)を置く。統監は専ら外交に関
     する事項を管理する為め京城に駐在し親しく韓国皇帝陛下に内謁するの権利を有す。日本国政府は又韓国の各開
     港場及其他日本国政府の必要と認むる地に理事官(レヂデント)を置くの権利を有す。理事官は統監の指揮の下に
     従来在韓国日本領事に属したる一切の職権を執行しならびに本協約の条款を敢然に実行する為め必要とすべき一
     切の事務を掌理すべし。
第4条 日本国と韓国との間に現存する条約及約束は本協約の条款に抵触せざる限り総て其効力を継続するものとす。
第5条 日本国政府は韓国皇室の安寧と尊厳を維持することを保証す。

右証拠として下名は各本国政府より相当の委任を受け本協約に記名調印するものなり。  

                                              明治38年11月17日
                                                    特命全権公使 林 権 助  [印]
                                              光武9年11月17日
                                                    外部大臣    朴 斉 純  [印]
                                              (『日本外交年表竝主要文書1840─1945』上)

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第3次日韓協約<丁未(ていび)7条約>

日本国政府及韓国政府は速に韓国の富強を図り韓国民の幸福を増進せんとするの目的を以て左の条款を約定せり。

第1条 韓国政府は施政改善に関し統監の指導を受くること。
第2条 韓国政府の法令の制定及重要なる行政上の処分は予め統監の承認を経ること。
第3条 韓国の司法事務は普通行政事務と之を区別すること。
第4条 韓国高等官吏の任免は統監の同意を以て之を行うこと。
第5条 韓国政府は統監の推薦する日本人を韓国官吏に任命すること。
第6条 韓国政府は統監の同意なくして外国人を傭聘せざること。
第7条 明治37年8月22日調印日韓協約第1項は之を廃止すること。

右証拠として下名は各本国政府より相当の委任を受け本協約に記名調印するものなり。

                                           明治40年7月24日
                                                    統監 侯爵 伊藤博文   (印)
                                           光武11年7月24日
                                              内閣総理大臣勲2等 李 完 用  (印)
                                                                     (同上)


---------------「韓国司法権引き渡し条約」と伊藤博文--------------

 日本では「明治の元勲」として評価の高い初代韓国統監府統監伊藤博文も、現在社会の常識的な考え方でふり返れば、韓国に対して極めて差別的な韓国国権剥奪者であったと言わざるを得ない。それは、下記の司法権剥奪条約を含む、彼が関わったいくつかの条約や協約、および様々な制度変更から明らかである。「朝鮮独立運動の血史1」朴殷植著・姜徳相訳注(平凡社)には、200を超える韓国全土の府郡で独立運動がおこり、義兵としてこうした差別的政策に抵抗した人民は、200万をこえたとある。詳細が14ページにわたる一覧表で示されており、死亡人数の総計欄には7,509とある。以下は、同書から司法権剥奪に関わる部分を抜粋したものである。
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                     第12章 伊藤、軍・法両部を廃止する

 伊藤は統監に就任すると、曾弥荒助を副統監とし、各部協判を次官と改称し、全員日本人を任命した。13道の事務官にも日本人を専置し、その俸給を増額した。また朝鮮人巡査250名を罷免し、かわりに日本人警官を充てた。
 伊藤は太子太師の職を利用し、皇太子李垠を東京に連れてゆき、自分のかわりに曾弥を統監に推した。その後伊藤はふたたび来朝し、李完用らを招いて協議し、陸軍、司法両部を廃止した。侍衛歩兵1隊の残存部隊まで、日本軍司令部の指揮下に隷属させ、司法権は日本人の管理に帰した。統監は、法官を設立、任命し、朝鮮人民に日本の刑法を遵守させ、朝鮮の旧法律はことごとく廃止した。全国の裁判所の官吏にはすべて日本人を任命した。司法権引き渡しの条約は左記のとおりである。

  第1条 韓国の司法及び監獄事務の完備したることを認むる時まで、韓国政府は、司法及び監獄事務を日本政府に委託
       すること。
  第2条 日本国政府は、一定の資格を有する日本人及び韓国人を、在韓国日本裁判所及び監獄の官吏に任用すること。
  第3条 在韓国日本裁判所は、協約又は法令に特別の規定あるものの外、韓国臣民に対しては韓国法規を適用すること。
  第4条 韓国地方官庁及び公吏は、各其の職務に応じ、司法及び監獄の事務に付き、在韓国日本当該官庁の指揮命令を
       受け、又は其の補助を為すこと。
  第5条 日本国政府は、韓国の司法及び監獄に関する一切の経費を負担すること。

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        第17章 非法な司法制度

 朝鮮の司法制度は、大審院、控訴院、地方裁判所、区裁判所に分かれ、三審制を採用していた。全国を通じて、大審院1,控訴院3、地方裁判所8、区裁判所113を置いていた。併合後、日本は台湾で実施した制度を朝鮮でも実施し、大審院を高等法院に、控訴院を覆審法院に地方裁判所を地方法院と改称し、区裁判所を廃止し、その職務を地方法院と憲兵隊、警察署に移譲した。現在は高等法院1,覆審法院3、地方法院8、地方法院支庁55、出張所159ヵ所となっている。地方法院支庁は地方法院の事務を処理し、地方法院出張所は登記および公証事務を処理している。地方法院では、判事が1人で裁判を独行しているが、物価千円以上の民事および破産事件の訴訟と1年以上の懲役、禁錮などの刑事事件は、3人の判事が合議裁判を行っている。覆審法院は3人の判事、高等法院は5人の判事で組織し、合議裁判を行っている。朝鮮の旧制度では大審院は7人、控訴院は5人の判事で構成していたから、各2人を減員したことになる。地方法院での判事1人の単独裁判は、あきらかに違法の制度である。
いわんやおしなべて法律知識の浅薄な憲兵や警察官が司法裁判を乱用したのであるから、人民に害毒を与えたこと、これより甚だしいものはないであろう。

 
裁判所の判事、検事局の検事は266人で、そのうち朝鮮人判事はわずか10人にすぎなかった。検事にいたっては、ただの1人もいなかった。書記と通訳生は、614人であったが、そのうち朝鮮人職員は約3分の1であった。朝鮮人判事の職務、権限は、被告が朝鮮人の場合に限定されていた。合議裁判では、つねに陪席に参与したにすぎなかった。
 ・・・以下略



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「皇民化」政策徹底の背景・兵力確保----------------

 民族抹殺政策ともいえる「皇民化」政策の徹底的な展開の背景には、何としても兵力を確保しなければならない戦線の拡大があった。「内鮮融和」のスローガンが「内鮮一体」へと変わっていったのは、1937年の日中戦争の全面展開と軌を一にするという。 そして、1938年に朝鮮における志願兵制度が開始されると「皇民化」政策は切実な問題となり、もはや行政に任せておくことができなかったようである、軍当局が死活問題として「皇軍兵士」育成のために「内鮮一体」の皇民化に直接関わらざるを得なかったのである。さらに、太平洋戦争の完遂が至上命令となった時期には、朝鮮における徴兵制度の一日もはやい施行が求められ、皇民化政策の悲劇は一層深刻になっていったといえる。『朝鮮民衆と「皇民化」政策』宮田節子(未来社)からの一部抜粋である。
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         Ⅱ 志願兵制度の展開とその意義

 四 志願兵制度の意義
    ──皇民化政策の中における志願兵制度の位置──

 志願兵制度を実施してみると、そこでは意外なほど「皇民化」政策が、朝鮮人の中に浸透していない現実につきあたった。
 第1回訓練所後期訓練生採用を行った学務局長塩原時三郎は、その選考に当たっての所感を、次のように苦々しく述懐せざるを得なかっ た。志願者が「日本の国柄の万国に優れた点を問われて行き詰まったり、教育勅語中一番大切な箇所を問われて的外れな答をしたり、皇国臣民の誓詞が言えなかったりしては、寧ろ其の不用意さに驚く外はない」と。
 「半島青年同胞の亀鑑」たるべき志願者にして、この始末では他は推して知るべしである。したがって支配者にとってはむしろ「三十否二十数年前ニ三ツカ四ツノ子供デアッタノガ、ドウシテ今日立派ナ日本国民ニナリ得ナカッタカトイフ点ニツイテハ考ヘナケレバナラヌモノ」があるという深刻な反省になって行くのである。


 しかし朝鮮軍当局にとっては、現在になっても朝鮮人が、「ドウシテ今日立派ナ日本国民ニナリ得ナ」いのかという問題は、より根源的で切実な問題であった。少なくとも色服着用を奨励したり創氏改名や「国語常用者」の比率を計算して、朝鮮人の「皇民化の度合」に、一喜一憂している総督府と、戦場という極限状況の中で「帝国軍人」として生死をともにしなければならない軍当局の立場は、微妙に違っていた。

 朝鮮人への徴兵制度の制定過程で、海軍側が述べたといわれる「大事な軍艦には絶対間違いのないものでなければのせられない。万一朝鮮人の過で事故が起きたら、艦もろとも全員海没である」という見解は、単に海軍のみならず、朝鮮人を「国家の支柱」たる軍隊に入れることにたいする全軍の不安と恐怖を端的に代弁していたと思う。

 しかもそれは単なる杞憂ではなかった。現に「五族共和を国本とする」「満州国」では、軍隊に朝鮮人を採用していたが、「昭和11年夏、東寧県に在りし1ヶ中隊は幹部たりし日本人の対遇(ママ)に不満を抱き、兵変を起こして蘇領内に遁走」するという事件がおこり、そのため一時「間島省内の朝鮮人軍隊の募集を中止」した事実があった。


 この事件は朝鮮軍がかねてから抱いていた「不吉な予感」を、事実をもって証明したものであり、当時の朝鮮国内における治安状況とあいまって、朝鮮軍の不安と焦燥をいかばかりつのらせたかは想像に難くない。すでに第1節で述べたように、その不安と焦燥が強まれば強まるほど、皇民化運動の中核として、朝鮮軍が登場して来る必要性が増大してきたのであり、それと比例して朝鮮人に対する皇民化政策は一層徹底化されなければならなかったし、また同時に「皇国臣民」の内実をも、軍当局が決定して行く理由があったのである。
 ・・・(以下略)
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                          Ⅲ 徴兵制度の展開

 二 徴兵制制定過程


 ・・・
 では総督府当局者さえ、「何等ノ予告ナク」、「驚愕ノ念」をもって受けとられた徴兵制は、いつ、どこで、いかなる必然性をもって決定されたのであろうか。
 朝鮮における徴兵制は、太平洋戦争の開戦とほぼ軌を一にして、陸軍省軍務局軍事課を中心に具体化され、立案されたと断定してよいと思う。
 陸軍では太平洋戦争緒戦の予想以上の戦果と、それに伴う戦線の拡大という新たな事態の中で、世界最強の資本主義国と闘う予想される長期戦にそなえて、戦争遂行の最も基本的な力である「人的資源」について、深刻に再検討する必要に迫られた。


 ・・・

 以上のような兵力の「考定」にもとづいて、「服役3年次分ノ兵力ヲ以テ長期ニ亘リ保持シ得ベキ兵力ノ限度ハ、大和民族ノミヲ以テスレバ、陸海軍合シテ120万」と判断せざるを得なかった。しかもその120万すら「過重負担」であった。したがって「兵力保持ノ困難ト之ニ伴フ民族ノ払フベキ犠牲トヲ考察スルトキハ、外地民族ヲ兵力トシテ活用スルハ今ヤ議論ノ時機ニアラズ、焦眉ノ急務」として、朝鮮人に対する徴兵制の施行が具体的日程にのぼって来たのである。 

資料--------------------------------------------------
  陸密第1147号
朝鮮ニ徴兵制施行準備ノ件
   昭和17年5月1日
内閣総理大臣        陸軍大臣 東条英機
                 拓務大臣 井野硯哉  
朝鮮ニ徴兵制施行準備ノ件 別紙ノ通リ定メ度理由ヲ具シ閣議ヲ請フ
朝鮮人ニ対シ徴兵制ヲ施行シ昭和19年度ヨリ之ヲ徴集シ得ル如ク準備ヲ進ムルコトト致度
             主任者 
             陸軍省軍務局軍事課
             陸軍中佐   高崎正男
 理
帝国防衛圏ノ拡大ニ伴フ軍要員ヲ取得シ併セテ最近熾烈トナレル朝鮮人ノ兵役義務負担熱ノ与望ニ応ヘ以テ朝鮮統治ノ完遂ヲ図ル為徴兵制ノ準備ニ着手スルノ要アルニ由ル。



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韓国併合ニ関スル件・対韓施設大綱ほか------------

 韓国併合の前年、時の桂内閣によって、下記「韓国併合ニ関スル件」および「対韓施設大綱」が、天皇の裁可の下に決定された。また、その翌年には、「併合後ノ朝鮮ニ対スル施政方針決定ノ件」が閣議決定されたが、朝鮮は天皇の大権によって統治すること、一切の政務は天皇に勅隷する総督が独裁すること、また、朝鮮人官吏の採用は階級を考慮することなど、併合の考え方が着々と固められていったことが分かる。「日本帝国主義の朝鮮支配上」朴慶植(青木書店)からの抜粋である。
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             韓国併合ニ関スル件(1909年3月30日総理へ提出、同年7月6日閣議決定)

 帝国ノ韓国ニ対スル政策ノ我実力ヲ該半島ニ確立シ之ガ把握ヲ厳密ナラシムルニ在ルハ言ヲ俟タズ日露戦役開始以来韓国ニ対スル我権力ハ漸次其大ヲ加ヘ殊ニ一昨年日韓協約ノ締結ト共ニ同国ニ於ケル施設ハ大ニ其面目ヲ改メタリト雖モ同国ニ於ケル我勢力ハ尚未ダ十分ニ充実スルニ至ラズ同国官民ノ我ニ対スル関係モ亦未ダ全ク満足スベカラザルモノアルヲ以テ帝国ハ今後同国ニ於ケル実力ヲ増進シ其根底ヲ深クシ内外ニ対シ争フベカラザル勢力ヲ樹立スルコトニ努ムルコトヲ要ス而シテ此目的ヲ達スルニハ此際帝国政府ニ於ケル左ノ大方針ヲ確立シ之ニ基キ諸般ノ計画ヲ実行スルコトヲ必要トス


 第1 適当ノ時期ニ於テ韓国ノ併合ヲ断行スルコト韓国ヲ併合シ之ヲ帝国版図ノ一部トナスハ半島ニ於ケル我実力ヲ確立ス
    ル為最確実ナル方法タリ帝国ガ内外ノ形勢ニ照ラシ適当ノ時期ニ於テ断然併合ヲ実行シ半島ヲ名実共ニ我統治ノ下
    ニ置キ且韓国ト諸外国トノ条約関係ヲ消滅セシムルハ帝国百年ノ長計ナリトス
 第2 併合ノ時期到来スル迄ハ併合ノ方針ニ基キ充分ニ保護ノ実権ヲ収メ努メテ実力ノ扶植ヲ図ルベキ事前項ノ如ク併合ノ
    方針既ニ確定スルモ其適当ノ時期到来セザル間ハ併合ノ方針ニ基キ我諸般ノ経営ヲ進捗シ以テ半島ニ於ケル我ガ実
    力ノ確立ヲ期スルコトヲ必要トス


                               対韓施設大綱

 韓国ニ対スル帝国政府ノ大方針決定セラレタル上ハ同国ニ対スル施設ハ併合ノ時期到来スル迄大要左ノ項目ニ依リ之ヲ実行スルコトヲ必要ナリト認ム
 第1、帝国政府ハ既定ノ方針ニ依リ韓国ノ防衛及秩序ノ維持ヲ担当シ之ガ為ニ必要ナル軍隊ヲ同国ニ駐屯セシメ且出来得
    ル限リ多数ノ憲兵及警察官ヲ同国ニ増派シ充分ニ秩序維持ノ目的ヲ達スル事
 第2、韓国ニ関スル外国交渉事務ハ既定ノ方針ニ依リ之ヲ我手ニ把持スル事
 第3、韓国鉄道ヲ帝国鉄道院ノ管轄ニ移シ同院監督ノ下ニ南満州鉄道トノ間ニ密接ナル連絡ヲ付ケ我大陸鉄道ノ統一ト発
    展ヲ図ル事
 第4、成ルベク多数ノ本邦人ヲ韓国内ニ移植シ我実力ノ根底ヲ深クスルト同時ニ日韓間ノ経済関係ヲ密接ナラシムル事
 第5、韓国中央政府及地方官庁ニ在任スル本邦人官吏ノ権限ヲ拡張シ一層敏活ニシテ統一的ノ施政ヲ行フヲ期スル事


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                併合後ノ朝鮮ニ対スル施政方針決定ノ件(1910年6月3日閣議決定)

 一、朝鮮ニハ当分ノ内憲法ヲ施行セズ大権ニ依リ之ヲ統治スルコト
 一、総督ハ天皇ニ勅隷シ朝鮮ニ於ケル一切ノ政務ヲ統轄スルノ権限ヲ有スルコト
 一、総督ニハ大権ノ委任ニ依リ法律事項ニ関スル命令ヲ発スルノ権限ヲ与フル
   コト但本命令ハ別ニ法令又ハ律令等適当ノ名称ヲ付スルコト
 一、朝鮮ノ政治ハ努メテ簡易ヲ旨トス従テ政治機関モ亦此主旨ニヨリ改廃スルコト
 一、総督府ノ会計ハ特別会計ト為スコト
 一、総督府ノ政費ハ朝鮮ノ歳入ヲ以テ之ニ充ツルヲ原則ト為スモ当分ノ内一定ノ金額ヲ定メ本国政府ヨリ補充スルコト
 一、鉄道及通信ニ関スル予算ハ総督府ノ所管ニ組入ルルコト
 一、関税ハ当分ノ内現行ノ儘ニナシ置クコト
 一、関税収入ハ総督府ノ特別会計ニ属スルコト
 一、韓国銀行ハ当分ノ内現行ノ組織ヲ改メザルコト
 一、併合実行ノ為必要ナル経費ハ金額ヲ定メ予備金ヨリ支出スルコト
 一、総監府及韓国政府ニ在職スル帝国官吏中不用ノ者ハ帰還又ハ休職ヲ命ズルコト
 一、韓国ニ於ケル官吏ニハ其ノ階級ニ依リ可成多数ノ朝鮮人ヲ採用スル方針ヲ採ルコト
     附憲法ノ釈義
 韓国併合ノ上ハ帝国憲法ハ当然此ノ新領土ニ施行セラルルモノト解釈ス然レドモ事実ニ於テハ新領土ニ対シ帝国憲法ノ各条章ヲ施行セザルヲ適当ト認ムルヲ以テ憲法ノ範囲ニ於テ除外法規ヲ制定スベシ



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朝鮮における「土地調査事業」・土地略奪---------------

 韓国併合前後、朝鮮において多くの農民が土地を失い、農民としての仕事を失い、不安定な低賃金労働者となって都会に出たり、失業し一家離散となったり、海外流亡へと没落していくこととなったりしたのは、当時の日本の朝鮮政策に原因があることは否定できない。その中心的なものが「土地調査事業」である。朝鮮農民にとっては、その「土地調査事業」は、下記のような点で重大であった。
 その一つは、「土地調査令」第4条で、朝鮮総督府の定める一定の期間内に土地所有者の申告を規定したことである。この既定により、多くの朝鮮農民が先祖代々の土地占有や所有権を奪われた。複雑な申告手続きや朝鮮農民には理解が難しい申告内容、「法外な税金が課せられるようだ」というデマ情報などによって、当時の多くの朝鮮農民は当惑し、期限内に正確な申告をすることが困難であったという。また、せっかく申告した者の中に「印もれや申告形式の誤りのために所有権を失う者がある」と朝鮮総督府の関係者が認めているような有様であった。
 もう一つは、この「土地調査」を遂行した「地主委員会」は、「面長、洞里長 地主総代、主なる地主」と「地方庁当局者、警察官憲、当該地方担当の土地調査局準備員」など、日本官憲ならびにその保護を受けたメンバーによって構成されていたことである。時には威圧をもって土地調査が進められ、朝鮮農民は極めて不利な状況にあったという。
 下記は、その根拠法令の「土地調査令」と、1911年以後、至るところで個人所有の土地取上げが行われることになったという「土地収用令」及び、大部分の森林が国有林に編入されることとなったという「森林法」(1908年1月)の一部とその解説の一部を「日本帝国主義の朝鮮支配上」朴慶植(青木書店)から抜粋したものである。
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                      土地調査令(1912年8月制令第2号)

第1条 土地ノ調査及測量ハ本令ニ依ル
第2条 土地ハ其ノ種類ニ従ヒ左ノ地目ヲ定メ地盤ヲ測量シ一区域毎ニ地番ヲ附ス但シ第3号ニ掲グル土地ニ付テハ地番ヲ
     附セザルコトヲ得
 1、田、沓、垈、池沼、林野、雑種地
 2、社寺地、墳墓地、公園地、鉄道用地、水道用地
 3、道路、河川、溝渠、堤防、城堞、鉄道線路、水道線路
 前項ノ規定ニ依リ調査及測量スベキ林野ハ他ノ調査及測量地間ニ介在スルモノニ限ル
第4条 土地ノ所有者ハ朝鮮総督ノ定ムル期間内ニ其ノ住所、氏名、又ハ名称及所有地ノ所在、地目、字番号、四標、等級、
     地積、結数ヲ臨時土地調査局長ニ申告スベシ、但シ国有地ニ在リテハ保管官庁ヨリ臨時土地調査局長ニ通告スベシ
第5条 土地ノ所有者又ハ賃借人其ノ他ノ管理人ハ朝鮮総督ノ定ムル期間内ニ其ノ土地ノ四囲ノ疆界ニ標杭ヲ建テ地目及番
     号竝民有地ニ在リテハ所有者ノ氏名又ハ名称、国有地ニ在リテハ保管官庁名ヲ之ニ記載スベシ
第6条 土地ノ調査及測量ヲ為スニ付テハ其ノ調査及測量地域内ノ地主ヲシテ二人以上ノ総代ヲ選定セシメ調査及測量ニ関
     スル事務ニ従事セシムルコトヲ得
第9条 臨時土地調査局長ハ地方土地調査委員会ニ諮問シ土地ノ所有者及其疆界ヲ査定ス
 臨時土地調査局長前項ノ査定ヲ為シタルトキハ30日間之ヲ公示ス
第10条 前条第1項ノ査定ハ第4条ノ規定ニ依ル申告又ハ通知当日ノ現在ニ依リテ之ヲ為スベシ但シ申告又ハ通知ヲ為サ
      ザル土地ニ付テハ其ノ査定当日ノ現在ニ依ル
第15条 土地所有者ノ権利ハ査定ノ確定又ハ裁決ニヨリテ確定ス


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                              土地収用令

第1条 公共ノ利益トナルベキ事業ノ為必要アルトキハ本令ニ依リ其ノ事業ニ要スル土地ヲ収用又ハ使用スルコトヲ得
第2条 土地収用又ハ使用スルコトヲ得ル事業ハ左ノ各号ノ一ニ該当スルモノナルコトヲ要ス
 1、国防其ノ他軍事ニ関スル事業
 2、官庁又ハ公署建設ニ関スル事業
 3、教育、学芸又ハ慈善ニ関スル事業
 4、鉄道、軌道、道路、橋梁、河川、堤防、砂防、運河、用悪水路、溜池、船渠、港湾、埠頭、水道、下水、電気、瓦斯又ハ
   火葬場ニ関スル事業
 5、衛生、測候、航路標識、防風、防火、水害予防其ノ他公用ノ目的ヲ以テ国又ハ公共団体ニ於テ施設スル事業
 6、一ノ場所ニ於テ1年3万5千瓲以上ノ製鋼製鉄能力及1年3万5千瓲以上ノ製鋼能力ヲ有スル設備ヲ以テ営ム製鉄事業
   前項6号ノ製鉄事業ノ範囲ハ朝鮮総督之ヲ定ム
第4条 土地ヲ収用又ハ使用スルコトヲ得ル事業ハ朝鮮総督之ヲ認定ス 


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                              森林法(抜粋)

第1条 森林ハ其所有者ニ依リ之ヲ分チテ帝室森、国有林、公用林及私有林トス山野ハ森林ニ準ジテ本法ヲ適用ス
第2条 国有林山野ノ売却・譲与・交換又ハ貸付及国有ノ林産物ノ売却ニ関スル規定ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム国土保安林又ハ
     国有林野ノ経営上国有保存ノ必要アル森林山野ハ之ヲ売却・譲与・交換又ハ貸付スル事ヲ得ズ
第3条 農商工部大臣ハ造林者ト其収益ヲ分収スルノ条件ヲ以テ国有森林山野ニ部分林ヲ設定スルコトヲ得
第19条 森林山野ノ所有者ハ本法施行ノ日ヨリ3箇年以内ニ森林山野ノ地積及面積ノ見取図ヲ添附シ農商工部大臣ニ届出
     ヅベシ期限内ニ届出ナキモノハ総テ国有ト見做ス

 森林法の制定の目的が何であるかはその19条によって明らかである。この地籍届の強要は林野の大部分を占めていたいわゆる「無主公山」と呼ばれた一般人民の共有林(入会地)の略奪を意味するものであり、事実富裕な朝鮮人山林地主や日本人山林資本家らの届出によるものは全林野面積の7分の1にも満たぬ220万町歩にとどまり、あとの大部分は「国有林野」に編入されてしまったのである。こうして朝鮮人民は1910年以前にすでに多くの私有林や、共有林を略奪され、林野の共同利用がが不可能となり、毎日の薪炭にも困難をきたすようになった。



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朝鮮教育令・民族文化の抹殺-----------------

 韓国併合前後から敗戦に至るまで、日本は朝鮮半島における民族的・愛国的言論や出版活動を取り締まりの対象とし封殺した。例えば「新聞紙法」(1907年7月公布)では、その第11条に「皇室ノ尊厳ヲ冒涜シ、若クハ国憲ヲ紊乱シ或ハ国際交誼ヲ阻害スル事項ヲ記載スルコトヲ得ズ」、また第12条には、「機密ニ関スル官庁ノ文書及議事ハ 当該官庁ノ許可ヲ得ザレバ詳略ニ拘ハラズ記載スルコトヲ得ズ、特殊ノ事項ニ関シ当該官庁ニ於テ記載ヲ禁止シタル時モ亦同ジ」とし、違反したときの罰則も規定した。また、1909年2月公布の「出版法」も同じように朝鮮における言論・出版活動を弾圧するものであった。さらに、日本は朝鮮半島における愛国主義教育を「不良」「不穏」と見なし、下記のような法規によって朝鮮人の自主的教育権を剥奪するとともに、民族独立思想の教育は徹底的に取り締まった。「日本帝国主義の朝鮮支配 上」朴慶植(青木書店)からの抜粋である。
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                               四 民族文化の抹殺

 3 「朝鮮教育令」

 ・・・
 「朝鮮教育令」は1911年8月に公布されたが、その実施に際して寺内は、「帝国教育の大本は夙に教育に関する勅語に明示せらるる所之を国体に原ね之を歴史に徴し確乎として動かすべからず朝鮮教育の本義此に在り、惟うに朝鮮は未だ内地と事情の同じからざるものあり、是を以て其の教育は特に力を徳性の涵養と国語の普及とに致し以て帝国臣民たるの資質と品性とを具えしめむことを要す」「学校の系統及程度を簡約にして民度の実際に適応せしめんとするは新学制の主眼とする所にして何れの種類の学校を問わず一貫せる教育の方針なり」などの論告をおこなった。
 「朝鮮教育令」の主要な条文は次の通りである。


    「朝鮮教育令」(1911年8月、勅令第229号)
 第1条 朝鮮に於ける朝鮮人の教育は本令に依る
 第2条 教育は教育に関する勅語の旨趣に基き忠良なる国民を育成することを本義とす
 第3条 教育は時勢及民度に適合せしむることを期すべし
 第4条 教育は之を大別して普通教育、実業教育及専門教育とす
 第5条 普通教育は普通の知識技能を授け特に国民たるの性格を涵養し国語を普及することを目的とす
 第6条 実業教育は農業、商業、工業に関する知識技能を授くることを目的とす
 第7条 専門教育は高等の学術技芸を授くることを目的とす(以下省略)


さらにこの「教育令」実施に関して総督寺内および内務部長宇佐美勝夫の訓示がある。
 「蓋し今後朝鮮の教育は専ら有用の知識と穏健なる徳操とを養成し帝国臣民たるの資質品性を具えしめることを以て主張と為さざるべからず故に先ず普通教育の完備を期し且重きを実用教育に置き之に加うるに高等普通教育を以てし、進んでは専門教育を施し各自其の分に応じ身を立て家を興すの素地を作り以て国家の進運に伴わしむるを要す。此の趣旨に基き近く朝鮮学制の発布を見るべし。」
(寺内)


 ・・・

 「朝鮮教育令」およびこれらの訓示にても分かるように、朝鮮人教育は、①天皇に忠良なる日本臣民を養成すること ②日本国民たるの品性を涵養し「国語」を普及すること ③「民度」にあった普通教育、とくに実業教育に重点をおくことなどを主目的としたが、これは朝鮮人民を日本帝国主義の植民地奴隷にしようとする方針であった。

 4 奴隷化教育

 ・・・
 次に教科書の内容について見よう。
 『普通学校修身書』巻1(1913年発行)は35課から成立っているが、第10課「テンノウヘイカ」(天皇陛下)、第25課「ヨイ生徒」を通して、「天皇に忠良な国民を育成」する意図がはっきり示されている。
 第10課「テンノウヘイカ」の教授目的には、「天皇陛下ハ我ガ国ヲ治メ給ウ最モ尊キ、最モ有リ難キ御方ナルコトヲ知ラセルノガ本課ノ目的デアル」(教師用)とし、教授要領として、まず天皇が宮城から出かける絵の説明をしてから、「天皇陛下ハ我ガ大日本帝国ヲオ治メ遊バサレ、臣民ヲ子ノ様ニアワレンデ下サイマス。我等ハ皆天皇陛下ノ御恩ニヨッテ、安寧ニ暮スコトガ出来ルノデゴザイマス。皆サンガ学校デ学ブコトノ出来ルノモ、畢竟天皇陛下ガ教育ヲ重ンジ給ウ大御心ニ由ルノデゴザイマス。臣民タルモノハ天皇陛下ノ御恩ヲ有リ難ク思ハナケレバナリマセン」とし、天皇のことを話す時の言語・態度に注意をし、敬意を表し、最敬礼の仕方を教え、国旗や天長節についても教えることになっている。


・・・

 朝鮮総督府は「私立学校令」の内容をさらに強化した「私立学校規則」(1911年10月)を公布して、学校設立は勿論、教員の採用、教科課程、教科書はじめ授業内容その他全般にわたって統制・監督を厳しく規定した。法令の規定に違反した場合には学校の閉鎖が強権をもっておこなわれた。「私立学校規則」の主要内容は次の通りである。

   「私立学校規則」(1911年10月) 
 ①私立学校は総督の許可を受けた上でなければ設立することができぬ。
 ②学校長及教員は総督の許可を受けたものでなくては採用できぬ。
 ③修業年限、教科目、教科課程及毎週教授時数、生徒の定員、学年、学期、休業日、入学者の資格等学制に規定すべ
   き事項は許可を受くることを要する
 ④教科書は朝鮮総督府の編纂したるもの又は朝鮮総督の検定を経たものを用いねばならぬ、若し之等の図書存在せざ
   るときに限り総督の認可を受け其の他の図書を教科書として採用することを得
 ⑤一定の事項に該当するものは私立学校を設立することを得ず、又学校長、教員たることを許さない、若し学校の設立後
   設立者が此の一定の事項に該当するに至りたるときは設立の認可を取消し、学校長教員之に該当するに至りたるとき
   は設立者に対し其の解雇を命ずることができる。
 ⑥学校の設備、授業其の他の事項にして不適当なりと認めたるときは其の変更を命ずることができる。
 ⑦法令の規定に違反したるとき、安寧秩序を紊乱し又は風俗を壊乱するおそれあるとき、⑥の命令に違反して之を実行せ
   ざる場合の如きは制裁として朝鮮総督は私立学校の閉鎖を命ずることができる。


 さらに、1915年3月「私立学校規則」に大改正を加え、私立学校の教科の制限(宗教科目の排除)、日本人教員の採用、教員の制限(日本語のできない教員の排除)などをおこない、「忠良なる皇国臣民」の養成という日本国家の要求する教育方針をさらに強化した。……(以下略)

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 また、朝鮮人学徒間に、排日感情がより烈しくなっていくことを恐れた寺内は、1916年1月4日総訓第2号として「教員心得」定めた。その骨子は次の通りである。

 「我ガ帝国ハ開闢以来万世一系君臣一体世界ニ比類ナキ国体ヲ有ス故ニ帝国臣民タルモノ、協心戮力祖先ノ美風ヲ継承シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼セザルベカラズ是レ実ニ教育ノ大本ニシテ又国家ガ特ニ教育ヲ布ク所以ナリ故ニ教育ノ任ニ当ル者ハ常ニ国民教育ノ大本ニ思ヲ致シ特ニ左ノ参箇条ニ留意シテ努力奮励セムコトヲ要ス
 第1条 忠孝ヲ本トシ徳性ヲ涵養スベシ
  忠孝ハ人倫ノ大本ニシテ臣子ノ至情ニ出ヅ此ノ大本ニ基キ至情ニ出デテ始メテ百行其ノ軌ヲ謬ラザルヲ得ベシ……
 第2条 実用ヲ旨トシ知識技能ヲ教授スベシ
  教育ノ要ハ実用的人材ヲ育成シ国家ノ需要ニ応ゼシメントスルニ在リ……
 第3条 強健ナル身体ヲ育成スベシ
  凡百ノ事業ヲ遂行スルニハ強健ナル体力ヲ要シ国家ノ富強モ亦強健ナル国民ノ努力ニ待ツコト大ナリ……



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朝鮮植民地支配と治安維持関連法規---------------

 「韓国併合」以後、日本は朝鮮の独立運動や民族解放の運動を押さえ込むため朝鮮総督にあらゆる権力を集中させるとともに、様々な法令をもって、取り締まりを強化していった。「日本帝国主義の朝鮮支配 下」朴慶植(青木書店)からの一部抜粋である。
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                      韓国併合処理方案(1910年7月)

  第1 国称の件(勅令)
 韓国ヲ改称シテ朝鮮トスルコト

  第2 朝鮮人ノ国法上ノ地位
 朝鮮人ハ特ニ法令又ハ条約以テ別段ノ取扱ヲナスコトヲ定メタル場合ノ外全然内地人ト同一ノ地位ヲ有ス
 間島在住者ニ付テハ前項ノ条約ノ結果トシテ現在ト同様ノ地位ヲ有スルモノト見做ス
  ・・・  
  第15 官吏ノ任免ニ関スル件
 合併後当分ノ内従来ノ韓国官制ニ依ル官吏ハ成ルベク之ヲ任命セサルコト

  第16 韓国ノ皇室及功臣ノ処分
 現韓国皇帝タル李家ハ世襲トシ其ノ正統ヲ太公其ノ世嗣ヲ公トシ現太皇帝ニハ其ノ一代限リ特ニ太公ノ尊称ヲ授ケ孰レモ
 殿下ト称セシム
(以下略)

  第17 立法事項ニ関スル緊急勅令案
 第1条 朝鮮ニ於テハ法律ヲ要スル事項ハ朝鮮総督ノ命令ヲ以テ之ヲ規定スルコトヲ得
 第2条 前条ノ命令ハ内閣総理大臣ヲ経テ勅裁ヲ請フベシ
 第3条 臨時緊急ヲ要スル場合ニ於テ朝鮮総督ハ直ニ第1条ノ命令ヲ発スルコトヲ得
  前条の命令ハ発布後直ニ勅裁ヲ請フベシ若シ勅裁ヲ得サルトキハ朝鮮総督ハ直ニ其ノ命令ノ将来ニ向ヒテ効力ナキコトヲ
  公布スヘシ 
 第4条 法律ノ全部又ハ一部ヲ朝鮮ニ施行スルヲ要スルモノハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム
 第5条 第1条ノ命令ハ第4条ニ依リ朝鮮ニ施行シテル法律及特ニ朝鮮ニ施行スル目的ヲ以テ制定シタル法律及勅令ニ違
  反スルコトヲ得ズ
 第6条 第1条ノ命令ハ制令ト称ス
   附則
 本令は公布ノ日ヨリ施行ス


  第18 朝鮮総督府設置ニ関スル勅令案
  朝鮮ニ朝鮮総督府ヲ置ク
 朝鮮総督府ニ朝鮮総督ヲ置キ委任ノ範囲ニ於テ陸海軍ヲ統率シ一切ノ政務ヲ統轄セシム
 統監府及其ノ所属官署ハ当分ノ内之ヲ存置シ朝鮮総督ノ職務ハ統監ヲシテ之ヲ行ハシム 
 従来韓国政府ニ属シタル官庁ハ内閣及表勲院ヲ除クノ外朝鮮総督府所属官署ト看做シ当分ノ内之ヲ存置ス
 前項ノ官署ニ在勤スル官吏ニ関シテハ旧韓国政府ニ在勤中ト同一ノ取扱ヲ為ス
   附則
 本令は公布ノ日ヨリ施行ス

  第19 旧韓国軍人ニ関スル勅令案
 朝鮮総督府設置ノ際ニ於ケル韓国軍人ハ朝鮮駐箚軍司令官部附トシ其ノ取扱ハ帝国軍人ニ準ス
 前項軍人ノ官等階級任免分限及給与等ニ関シテハ当分ノ内従前ノ例ニ依ル
   附則
 本令は公布ノ日ヨリ施行ス


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                  統監府警察官署官制(1910年6月勅令第296号)

第1条 統監府賢察官署ハ統監ノ管理ニ属シ韓国ニ於ケル警察事務ヲ掌ル
第2条 統監府警察官署ハ警務総監部及警察署トス
第3条 警務総監部ハ之ヲ京城ニ置ク韓国ニ於ケル警察事務ヲ総理シ兼ネテ皇宮及京城ノ警察事務ヲ掌ル
第4条 警務部ハ之ヲ各道ニ置ク道内ノ警察事務及管内警察署ノ監督ヲ掌ル
  警察署ハ必要ノ地ニ之ヲ置ク管内ノ警察事務ヲ掌ル
  警務部及警察署ノ位置及管轄区域ハ統監之ヲ定ム
第6条 警務総長ハ韓国駐箚憲兵ノ長タル陸軍将官ヲ以テ之ニ充ツ
  警務総長ハ警務総監部ノ長ト為リ統監ノ命ヲ承ケ部務ヲ総理シ警察官署ノ職員ヲ指揮監督ス
第8条 警務部長ハ各道憲兵ノ長タル憲兵佐官ヲ以テ之ニ充ツ警務総長ノ命ヲ承ケ部務ヲ掌理シ部下ノ職員及管内
  警察署ノ職員ヲ指揮監督ス
第9条 警務総長ハ京城ニ、警察部長ハ其ノ管内ニ効力ヲ有スル命令ヲ各其ノ職権又ハ委任ニ依リ発スルコトヲ得
第10条 警察署長ハ警視又ハ警部ヲ以テ之ニ充ツ上官ノ命ヲ承ケ署務ヲ掌理シ部下ノ職員ヲ指揮監督ス

               統監府警察官署官制中改正(抜粋)(1910年9月勅令第358号)
 「統監」ヲ「朝鮮総督」ニ「韓国」ヲ「朝鮮」ニ改ム
 第8条ニ左ノ1項ヲ加フ
  警務部長ハ道長官ノ命ニ依リ道行政ノ執行ヲ助ケ又ハ地方ノ警察事務ニ関シ道長官ノ命ヲ承ケ必要ナル命令ヲ発
  シ又ハ処分ヲ為スヘシ
 第9条 警務総長及警務部長ハ各其ノ職権又ハ委任ノ範囲内ニ於テ命令ヲ発スルコトヲ得

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                朝鮮(韓国)駐箚憲兵条例(1910年9月勅令343号) 

第1条 朝鮮駐箚憲兵ハ治安維持ニ関スル警察及軍事警察ヲ掌ル
第2条 朝鮮駐箚憲兵陸軍大臣ノ管轄ニ属シ其ノ職務ノ執行ニ付テハ朝鮮総督ノ指揮監督ヲ承ケ軍事警察ニ付テハ陸軍
     大臣及海軍大臣ノ指揮ヲ承ク
第3条 憲兵将校、准士官、下士、上等兵ニハ朝鮮総督ノ定ムル所ニ依リ在職ノ儘警察官ノ職務ヲ執行セシムルコトヲ得
第4条 前条ノ規定ニ依リ警察官ノ職務ヲ執行スル者其ノ警察事務ニ関シ職権ヲ有スル上長ヨリ命令ヲ受ケタルトキハ直
     ニ之ヲ服行スヘシ
第5条 憲兵ハ其ノ職務ニ関シ正常ノ職権ヲ有セル者ヨリ要求アルトキハ直ニ之ニ応スヘシ

・・・(以下略)

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その他
  朝鮮刑事令(1912年3月制令第11号)
  朝鮮笞刑令(1912年3月制令第12号)
  朝鮮思想犯保護観察令(1936年12月制令第16号)
  朝鮮思想犯予防拘禁令(1941年2月制令第8号)
  朝鮮臨時保安令(1941年12月制令第30号)


 一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。旧字体は新字体に変えています。青字が書名や抜粋部分です。赤字は特に記憶したい部分です。「・・・」や「……」は、文の省略を示します。

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